正徳4年3月1日。昼から文左衛門は弥四・文四・治兵の家内8人を呼ぶ。藤蔵は夕飯後に帰る。その他は戌(午後8時)に帰る。この時、建中寺前で火事と言うので文左衛門は勘太夫のところへ行くと、東隣の御馬廻帯金半平の長屋が焼失していた。半平は70余りで一家とも縁を切っていた。小さな家のためすぐに鎮まった。文左衛門が行くと既に火事は鎮まっていたが、勘大夫東の屋根に上がってしばらく様子を見てから運び出した道具などを入れさせ、屋敷を見廻ってから門から出て、見廻衆に挨拶をして亥半(午後10時)前に帰った。この日頃のことか、手嶋杢内が修理殿へ会いに出かけた。権右衛門が門を出てきて挨拶をした。杢内は自分に預けられた…