山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(42) 今回は、第4章 機械としての生命 第4節 さまざまな力学系モデル の続き、「自分以外のシステムがオートポイエーシス・システムだとどうして分かるのか」(p.224~)である。 私が見ているものが、単に心が作り出した夢なのか、外的世界についての知覚なのかを、私の視点から区別することはできない。こうした類の議論は、近代経験論哲学とともに古くからなされてきたが、突き詰めると「存在とは知覚である」というバークリ的な観念論に至る。世界はまさしく私による知覚と一致するということであり、「私の心」は空間の隅々まで浸透し広がっているということである。 バ…