長さ136km、流域面積4100kmの秋田県北部の川。
奥羽山脈の西側に発し、鹿角(かづの)、大館、鷹巣(たかのす)の各盆地と峡谷を連ねて西流し、能代市で日本海に注ぐ。秋田県北部を流れる米代川水系の本流で、一級河川。東北地方第五の大河で、秋田県内でも流域面積が雄物川に次ぐ。奥羽山地の中岳(標高1024m)から南流する切通川と、八幡平北麓に発し北流する兄川が岩手県八幡平市兄畑で合流し、米代川と名を変える。
どうも!ますらおです。 2025年になり、そろそろサクラマスの準備段階に入ってきました。去年の米代川釣行では大量にルアーロストしてしまい、弾切れとなっておりましたので、 月一でコツコツと買い溜めていて、30本くらいでしょうか。そんなルアー達を納める箱は、 MEIHOのボックスに入れようと思いましたが、マグナムが入らない・・・。 そこでほんの少しだけサイズが大きいBlueBlueの箱を買って来て入れてみるとジャストサイズ! 各社MEIHOさんにお願いしてメーカー名だけ入れたような箱ではなくて、この箱は独自で設計したような造りになっててなんだか拘りが感じられますね。
出羽北部を流れる米代川(野代川)河口部に位置する港町。戦国期には檜山安東氏の外港として日本海海運の要衝を占めた。 渤海使の来航 弘治二年の町立 檜山安東氏と日本海海運 参考文献 渤海使の来航 その史料上の初見は古く、『続日本紀』には宝亀二年(771)六月に渤海使の壱万福ら325人が17隻の船で「出羽国賊地野代湊」に着岸したことがみえる。1隻あたり20人弱なので、この時の渤海使船はさして大きなものではなかったとみられるが、17隻が着岸したとすれば、すでに野代湊はそれなりの施設を備えた港湾になっていた可能性がある。 kuregure.hatenablog.com 一行のうち壱万福ら40人が翌年の正…
2023年6月4日 いつもと同じ道を走り、いつもと同じコンビニに寄り、いつもと同じ風景・・・ 今シーズンは、今日でラストになるサクラマスフィッシング。 一ヶ月半突っ走りましたね。次は一年後かと思うと寂しくなりますね。 良い結果が出るように頑張りたいと思います。
2023年5月21日 今日も鱒を狙いにいって来ました! 今シーズン4回目。実際の日数としては1泊2日が2回あるので6日目です。 本当に家族には白い目で見られています💦
2023年5月3日・4日とサクラマス狙いに米代へ。 初日の3日は4回あたりがあり2回はヒットしました。 その内の一回目はランディング直前でフックアウト。 こういう事もあると、気を取り直して30分ほどキャストを続けていると
2023年4月29・30日の2日間サクラマス釣りに行ってきました。
2023年4月23日、サクラマスを求めて米代川に行ってきました。
あれよあれよと楽しい時間は終わってしまう 最終日の朝をむかえてしまった マズメだけやって 小笠原氏のいる街まで向かわなければならない 残り時間は後わずかだ、、、 最終日も何事もなく終了した 釣れる釣れないよりも 秋田の地に再び来れただけでも満足できた 釣れれば尚の事良いのだが(笑) また来年 待ち合わせ場所の由利本荘まで向かう こんな所まで自転車で来てるなんてタフすぎる しかも、寄り道しながらだから頭が下がる 由利本荘市に早く到着したので銭湯にでも浸かりながら時間を潰す にしめ湯っ娘ランド↓↓↓ 24時間営業のスーパー銭湯は車中泊する人間にはありがたい 道の駅やスーパーも併設され過ごしやすいの…
皆さん、こんばんは。 今日は12度から気温が上がらず。しかも冷たい雨の一日でした。 最近は川に白い鳥が複数羽よく見かけては撮りたいと思っていても停車するタイミング逃して撮れない、もしくは停車すると飛んでいき撮影がなかなか困難な、とても賢い白い鳥。 橋からの撮影で橋の下付近に白い鳥が休んでいたので停車した瞬間、飛んで行きます。とっても小さいですが木に隠れることなく飛ぶ姿を眺められました。 撮影した川は地元では一番大きな米代川(よねしろがわ)。東北地方では五番目に大きな川で子供の頃にはよく遊んでいた川です。鮎釣りでも有名な川。 しばらくすると飛んでいった逆から違う白い鳥がやってきました。 小さい写…
日本でただ一箇所と言われる、米代川の筏流しの歴史は古い。 記録によると、豊臣秀吉が伏見城を築く際、南部藩に秋田スギの供出を命じたが、この時、伐採した木材を筏に組んで米代川を流し、今の能代市から沖出して敦賀港に運んだとされている。 明治に入ると河川工事が進み船の航行範囲が広まることから、筏流しのみならず、米や鉱石などを乗せた船が米代川を上下し、大変なにぎわいを呈していた。 しかしながら、ダム建設に伴う水量低下やトラック輸送の発展などにより、全国各地の筏流しは次々と姿を消し、最後まで残されていた米代川の筏流しも、奥羽本線が開通した昭和三十八年の翌年、最後の時を迎える。 朝六時三十分。 最後の筏がつ…