宮台 90年代の僕は一貫して、日教組的な言説に対抗してきました。日教組の「万人に無限の力がある」に対し、僕は「人ごとに違う凸と凹が噛み合って尊敬できるコラボがいい」と強調。「勝つ喜びよりも分かる喜びが大切だ」に対し、「感染動機さえあれば、すべて暗記して競争に勝つ喜びも問題ない」と強調。他でもない、僕がそうしてきたからなのです。近田 確かに、ずっとそうだったよね。宮台 僕が東大を目指したのは革命家になるため。高2で父と論争した時、父が「革命家になるにも東大だぞ」と宮本顕治を持ち出してきたこともありました。高2からはグラシム主義者(構造改革派)松田政男氏の本『薔薇と無名者』(70年)を通じて圧倒的…