袁譚(えんたん、生年不詳〜205年)字は顕思。中国の後漢時代末期の武将。豫州汝南郡汝陽県の人。後漢末の諸侯の一人で三公を輩出した名門袁家の棟梁である袁紹の長子。袁煕、袁尚の兄。劉氏が母の袁尚とは異母兄弟と思われる。従兄弟に高幹。また、他に袁買という人物がいるが、袁譚の弟説や、袁尚の兄の子説が有り、袁譚にとって子・甥のいずれであるかは不明。
さて、今回は高幹の主な事績を追いかけていくとしようかのう。戦闘記録はあまり多くないながらも、それが脅威だったのは確かなんじゃよ。
トンネルズ&トロールズ(T&T)で無理矢理三国志を遊ぶ一人用シナリオ。 種族(善のみ 人間推奨)、性別、レベル(作りたて推奨)、タイプ不問。 家臣どころか義兄弟すらいない状態で新勢力を立ち上げ、戦乱に荒れる大陸の統一をめざす。 1dを3回ふり、戦う勢力、 1曹操軍 2劉備軍 3孫堅軍 4董卓軍 5袁紹軍 6孟獲軍 と、一騎打ちで戦う相手を決める。一族武将はMR30、勇将はMR40、知将はMR20。接敵距離は5m。サイズはすべて中。PCの降伏は認められない。勝てばMRと同じ冒険点・金貨入手。 気絶ダメージか、MRを0~-9にして倒した武将は家臣にできる。家臣はPCの代りに一騎打ちで戦わせられるが…
さて、今回は袁買と言う人物の紹介じゃ。彼は袁紹の息子と思われているんじゃが、実は異説があるんじゃよ。それでは袁買について見ていくとしよう。
さて、今回は袁紹の息子袁尚の紹介じゃな。袁譚と袁煕の弟であり、美貌の持ち主であり、武勇に優れた人物であったと言う評判だったんじゃよ。
さて、今回は袁紹の次男、袁煕の紹介じゃな。彼は幽州の統治を袁紹から任されており、袁一族の中で一番最後まで曹操に抵抗しえた人物と言えるかもしれんのう。
チームでは勝ったのに、落城した心境です。。。 味方:袁術・呂布・劉表・com李傕相手:劉備・袁紹・張繍・com孔融時間:48分結果:197夏、勝利配下:夏侯惇、陳宮、程昱、典韋、袁譚、陳羣、郭汜、鞏志、雷薄、成宜、陳矯 袁術 呂布
さて、今回は公孫度の子で後継者であった公孫康の紹介じゃな。字や生没年は不明なんじゃが、記録を見る限り、彼も父に劣らずの器量の持ち主であり、なかなかの野心家でもあったようじゃな。
昨日の話の続き。 曹操の子のひとり曹均は、曹操の子の中で、本人または直系(後継ぎ)の子孫が残っていた家としては唯一「王」になれず、「公」のままだったらしいと書いた。 昨日は理由がよくわからないと結論づけたのだが、ツイッターにて以下のようなご指摘をいただいた。 長男だけ張夫人との間の子で、張繡の血を引いていたから…とかだと冷遇されるのはありえそうですよね— たく(TaC) (@sangokusi1219) 2022年8月9日 つまり、曹均はあの張繍の娘を妻としている、ということだ。後を継いだ曹均の嫡子も張繍の孫と言う可能性が高い。 なるほど、それなら確かに曹操・曹丕に嫌われ続けてもおかしくはない…
初、討(袁)譚時、民亡椎冰、令不得降。頃之、亡民有詣門首者、公謂曰「聽汝則違令、殺汝則誅首、歸深自藏、無為吏所獲。」民垂泣而去、後竟捕得。 (『三国志』巻一、武帝紀) 前にも書いたことがあるかもしれんが、やはりこの話って曹操の慈悲深さではなく、民への慈しみの無さ、冷たさを表現するエピソードじゃないかなあ。 名君のテンプレなら、そういう民を前にした君主は「では民を苦しめて死刑を増やすその法令を直さなければ」となるところだろうからなあ。 上記エピソードだけでは、まるで「自分自身が手を下したり、見えるところで連行され処刑されるのはイヤだから逃がしてやるが、見えないところで官憲に捕まって死ぬのは仕方な…