後漢時代の君主。字は景升(142-208)。かつて放浪の旅をしていた劉備らを迎え入れた。
海賊だった甘寧を仕官させたこともあった。
後の「髀肉の嘆」という故事は、劉表の下で食事をしていた際に、中座し厠に向かった ことから生まれたとされる。(劉備の項目を参考)
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袁術は南陽を捨てて兗州に侵入したが曹操に敗北すると逃走に逃走を重ねて淮南まで逃げてそこに落ち着いた。 敗北後に淮南を目指した決断こそ考察すべき対象なのだろうが今日はその前段、なぜ南陽を捨てたのか、ということを考える。 もちろん「実は南陽を捨ててはいなかった」という可能性もないではないがそれは今回はいったん無視する。いずれ考えてみたい。 まず、地図(193年1月頃)を置いておく。 武帝紀:四年春,軍鄄城。荊州牧劉表斷術糧道,術引軍入陳留,屯封丘。 劉表に「糧道を断たれた」ために、袁術は陳留に侵入したというのである。 一方、袁術伝では侵攻の理由は書かれない。ただし、南陽郡の袁術の政治が、欲望をほし…
さて、今回は劉表勢力の紹介じゃな。 勢力概要 能力一覧 説明ぢゃ
さて、今回は劉表の紹介3回目じゃな。今回は劉表が亡くなるまでと、それからあれば逸話等、それと劉表の能力評価と行こうかのう。
さて、今回は劉表の紹介、2回目じゃな。前回で劉表の人物像に少し偽りの面があるのではと書いたが、今回はその辺りをさらに突っ込んで見ていくとしようかのう。
さて、今回紹介するのは劉表じゃな。字は景升、生年が142年と言うことから、曹操達より一回り上の世代の人物じゃな。前漢の魯の恭王(景帝の子)の子孫と言われているんじゃよ。さて、皆さんにとって劉表とはどんなイメージの人物じゃろうかのう。
三国志と信長の野望をやるときに武将の能力を細かく調整するのが趣味なんですが、何を根拠に自分がそういう調整を行ったのかがわからなくなることが多いため、メモとして残すことにしました。 三国志のエディットは「史実に寄せる人」と「演義に寄せる人」で分かれると思います。自分は基本的に史実と演義のいいとこ取りをする方針です。そのため、全体的に数値がインフレ化する傾向にあります。 また、各内容はインターネットで5分程度で調べて適当に解釈したものなので、間違っている可能性がかなりあります。 ステータス・スキルセットは三國志14PKの物です。主義・政策は調整による影響力が強すぎるので基本変えてません。 全武将の…
曹操、孫権、袁術、公孫瓚、陶謙といった連中は孝廉や茂才に挙げられたことを『三国志』で記しているんだな。 袁紹や劉表はその辺が書かれていない。 ただ劉表は党錮の禁が直撃したことが関係しているようなので別の問題だ。 袁紹については『三国志』袁紹伝注引『英雄記』では「幼使為郎」などと書かれているので、はっきりとは分からないが孝廉・茂才とは別の形で郎になったように思える。かなり若くして郎になったのか? 弱冠つまり20歳前後にして郎から濮陽県長というから、20歳で孝廉経由で郎になって洛陽北部尉(県尉)となった曹操よりも少し早く昇進していることになりそうだ。
195年、呂布を破り兗州を平定した曹操は年末に豫州の陳国へと転進。袁術が置いた陳相の袁嗣を降伏させた(196年1月)。 195年の時点で陳王国は滅んでいた(197年ではなく)、というのが前回の記事での推測である。 このあとの曹操の動向である。 三国志魏書武帝紀:建安元年春正月,太祖軍臨武平,袁術所置陳相袁嗣降。太祖將迎天子,諸將或疑,荀彧、程昱勸之,乃遣曹洪將兵西迎,衞將軍董承與袁術將萇奴拒險,洪不得進。汝南、潁川黃巾何儀、劉辟、黃邵、何曼等,眾各數萬,初應袁術,又附孫堅。二月,太祖進軍討破之,斬辟、邵等,儀及其眾皆降。天子拜太祖建德將軍,夏六月,遷鎮東將軍,封費亭侯。秋七月,楊奉、韓暹以天子…
歴史イベントをなしにすればまた話が別になるのかもしれないけど。 歴史イベントありで曹操軍以外でクリアするには歴史イベントに振り回されない 勢力を選ぶしかないらしい。劉表軍は周辺に空白都市が多いし、孫堅軍が歴史 イベントで早々に長沙から立ち退いてくれるから強力な新武将に頼れば歴史イベント ありでもクリアできるかもしれないな。初心者丸出しで悪いね。強力な新武将に頼ら なければクリアできる気がしないんだ。君主プレイ専用のシリーズは特に。三国志9 は抜擢武将システムがあるから不評みたいだけど、もしプレイする機会があったら俺は 抜擢武将や新武将に頼りまくるよ。三国志3は兵糧攻めという反則技を使えば簡単に…
字は文台。黄巾の乱の鎮圧や、洛陽の都で暴虐を尽くした董卓との戦いで大いに名声を上げる。その後は袁術と袁紹の兄弟の勢力争いにおいて袁術派に属しており、袁術の指示によって襄陽の劉表と戦う事になるが、そこで不運にも敵に射殺されてしまう。その後は長男の孫策が亡き父の兵達をまとめて袁術から独立し、中国の南東に勢力を拡大。次男の孫権が兄・孫策の領地と軍を引き継いで呉の国を建設するという偉大な息子たちを残した。
有無を言わさず劉表の配下に収まってしまった。歴史イベントに絡まない武将以外は 史実モードではまともにプレイできないな。パワーアップキット版は歴史イベントを 発生させないこともできるけどそれでは味気ない。
『三国志演義』の劉備(りゅうび)は詩を作らないキャラクターです。『三国志演義』第三十四回で、劉備のことを邪魔だと思っていた蔡瑁(さいぼう)が劉備の詩を偽造して劉表(りゅうひょう)に見せ、あいつはあなたに背く気ですと讒言(ざんげん)した時、劉表は「玄徳(げんとく)と長い間いっしょにいるが、彼が詩を作ったところは見たことがない」と言って讒言を信じませんでした。 画像:横山光輝「三国志」(潮出版社)第20巻79ページ 『三国志演義』ではあいつが詩を書くなんて信じられねぇよォと劉表に思わせた劉備ですが、『三国志演義』より前に成立した『三国志平(へい)話(わ)』では劉備はいくつか詩を詠んでおります。 本…
酒と三国志は切っても切れない関係…三国志で最も酒と深い関わりを持った人物は誰か? その人物とは曹操。 「對酒當歌(酒に對『たい』して當『まさ』に歌ふべし)」という歌い出しで知られる「短歌行(たんかこう)」も有名だが、献帝に対して酒のレシピを上奏している。そして、世には恐ろしい酒というものも存在する!😱劉表は、敵の排除に酒をうまく利用した… 三国時代の恐ろしい酒事情 「宴に招いて55人暗殺した劉表」 - 草の実堂
劉表によって交州刺史になり、劉備の元で太常になった頼恭。 交州に赴任してから益州で太常になるまでの詳しい経緯とか、交州からいなくなった契機とか、色々と知りたいことが多い。 省略されてる部分をぜひとも知りたくなる人物の一人。
「甘寧」は三国志の登場人物で、呉の孫権に仕えた武将である。荊州の劉表の元に居たが厚遇されず、劉表の臣下の黄祖の部下となったが、やはり良い待遇を得られなかったために呉の孫権へと下る。武に秀でた豪傑で、曹操の数万の軍営にたった100人で夜襲をかけて大混乱におとしいれた。この時に兵士たちの兜に、同士討ちを防ぐためのアヒルの羽根を付けたというのは、三国志演義(物語)の話である。
後漢末の豫州情勢は何かと不明点が多いが、気になるのは陳国王の劉寵のことである。 陳国の始祖は後漢の第二代皇帝の明帝の子の劉羨である。劉寵は第11代の桓帝(132-168)と同じ世代にあたる。曾祖父同士が兄弟である。第12代の霊帝(156-189)からは親の世代にあたる。 劉寵の即位年は不明だが、173年に謀反の疑いを掛けられている。それ以前の即位ということになる。劉寵は弓の名手として有名で、強弩数千張を有しており、黄巾の乱の際も陳国人は敢えて反乱しようとしなかった。董卓が専横し、義兵が起こると、劉寵は陽夏県に駐屯し、輔漢大將軍を自称した。国相の駱俊の政治は威恩があり、鄰郡の人々も多くこれに帰伏…
スタダで戦争も最近多くなってきているので、初中級者の方用に一応まとめ。 スタダ戦争で強いのは双封減か塁実双減をつくることです。 双封減とは、断金+反計+磐陣(形兵・避其) 塁実双減とは、塁実+反計+形兵(避其) のことを言います。 重要なのは、複数の部隊編成であれば、双減と断金を分けた方が総合力があがりますが、ことスタダ戦争においては1、2部隊しか使わないので、その二部隊にすべてを搭載します。 例えば、群貂蝉は本来の編成である避其・3軍や始計・3軍とはせずに、断金・3軍で編成します。例外的に、孫権や張機が塁実・魚であればテンプレが最強なので構いません。 ざっくりいうと1部隊運用なら、単騎などで…