1333〜1384、実名=清次、芸名=観世。
同朋衆となり、「観阿弥」と号した。
将軍;足利義満の庇護の下、
物まねを基に現在の“一発芸”的な大和流の行為に始まり、
やがて曲舞などの近江流の「歌舞」の要素を接り収れて、
次第に「幽玄」なものへと進化させていった。
大和四座の内の「観世座」を起こした。
1384年、駿河を巡業中に亡くなった。
別段、この観阿弥が「能」を創始したわけではなく、
狂言の創始者と目される玄恵法印(1269〜1350)の時代、
いやその少し前の12世紀には最古の演目である『翁』
が演じられている。観阿弥の価値は、
変拍子の強い音調をもった踊りである「曲舞」〔くせまい〕を
導入したことにある。これによって能はとんでもない
複雑なものと化すのだ。
創作作品=『松風』、『卒塔婆小町』、『通小町』、『自然居士』など。