元禄10年5月28日。今月、出雲守様(松平義昌)御家老衆が御家中に申し渡しを行う。家中の下々が長屋で障子を閉めて集まっているようだが博奕をしているのではないかと疑われている。昨年も障子を閉ざすことは禁止だと言い渡されたはずである。今後、下々集まって疑いが持たれるようであれば押之者が有無を言わさず捕まえて取り調べると。
元禄10年4月30日。仲間相原久兵宅へ行き、冨永彦兵が言ったことを聞く。その内容は、今後御本丸・御深井丸の番所では番人は袴を着て勤めるように。そして夕暮れには解く(脱ぐ)ように。これは最近の六郎左組の者の悪行によるもの。六郎左組へは厳しく言い渡したと。公の御下屋敷が大きくなり、手代御足軽が多く広井村へと移る。本田(検地帳に記された田)であったので町人または諸士がこれを買い、代わりの新田を百姓に下される。14日に御国奉行宅で申し渡される。