常なるものを見失う。 小林秀雄は「無常といふこと」でそのような事を述べている。 生きていることは一種の動物的状態であり、死して初めて「人間として確固たる形をなす」という事を言っている。 時間という概念は、現在の人間の殆ど全てが囚われている「ただの考え方」なのだろうか。それは「科学教」と同じく、現代人の宿痾なのであろうか。 「飴のように伸びる過去と未来」というような表現を小林はしている。 飴、という語を決して上品なものとして表現していない。むしろべたついて、子供っぽくて、忌々しいものだ、と言っているのだ。 スッキリと、「今」にいるしか無いのだろう。今には過去も未来も、「今」の要素の一つとして含ま…