ほり・たつお(1904-1953) 小説家、作家、批評家。随筆、翻訳も。室生犀星と芥川龍之介と知己、西欧と軽井沢を愛す。代表作に『聖家族』『奈穂子』『風立ちぬ』『曠野』『楡の家』、紀行記『大和路・信濃路』など。
1904年(明治37年)12月28日、東京生まれ。1929年、東京帝国大学文学部国文科卒業。 1953年(昭和28年)5月28日、死去。
甘えたき香り微かに花馬酔木 庭の馬酔木がおわった。あせた不様な姿をさらしている。 でも2月から二月ほど庭を贅沢に彩ってくれた。ピリッとした空気の朝、かすかに漂う香りも嬉しかった。メジロやヒヨドリの群がる木であったし、タテハチョウが真っ先に飛んでくる木でもあった。 花が終われば私の出番で、例年儀式のように花柄を摘む。手も脚も痛むので作業ははかどらず、今年は1週間はかかってしまった。小さい木なのだが。何も考えずに鋏を入れて、花柄だけを切る。暖かい日を浴びて、世間を忘れる一時である。 以前、花柄摘みが映画「おくりびと」と似ている感じがして、「花おくりびと」かなと思えたことがあった。摘んでいるとこの映…
感想、序言に代えて 『風立ちぬ』年譜 物語構造論 堀辰雄と村上春樹 『風立ちぬ』 感想、序言に代えて 読み終えて、思ったのは江藤淳のことである。江藤淳といって若い方にどれくらい通じるのか不安になるけれども、思い出したのは『昭和の文人』にある堀辰雄評ではなくて、『妻と私』のほうである。まえに大塚英志が確かそれに触れていたのを思い出した。唾棄、といってもいいくらいの激しい言葉で批判をくりひろげていた江藤淳が、けっきょく江藤淳じしんの『風立ちぬ』を書いて、そして自殺したことにあのとき、生きる人間の蕭然としたものを感じた。蕭然、とは、雨に濡れた小石のように人間はさびしいということ。そうした意味では、江…
皆さんこんにちは、こんばんは! 本日も気まぐれおやじのブログにご訪問ありがとうございます おいらは今日も「日々楽しく、自由きままに!」 今週のお題「秋の歌」 秋の歌と聞いて真っ先に思いついたのが 聖子ちゃんの7枚目のシングル「風立ちぬ」です かつてファンクラブにも入っていたおいらが、この曲を推さない理由が無いでしょう koulog.hatenadiary.com この楽曲には、前6曲とは大きく違う点があります それまでリリースした6曲には、ひとつの大きな共通項があって、「季節は違っても、すべて海が題材になっている」という点です 「風立ちぬ」の舞台は秋の高原なんです そして最初は普通の失恋の歌な…
ポール・ジャクレーの版画を見てきました。 フランス人の浮世絵師の木版画です。最多のは、100刷、とは、木版を100枚作り、色を重ねていくのです。共同作業とはいえ、そこまでの執着と実行力は、見事な作品となって、時代や国を越えるのですね。近くの堀辰雄文学記念館再訪。落ち着くところです。 世界は、関心を払うこと、存在を認めることで成り立ちます。 いてもいなくともよいとしても、 見捨てられているとまでは、 思わないこと、思わせないことが とても大切です。 たとえば、太古の、あるとき、私たちは、大地に、 棒を使って、高い壁や川を乗り越えたことがあったのでしょう。 そういうことで、棒高跳びが、競われるよう…
大野晋・丸谷才一『日本語で一番大事なもの』の中で、丸谷才一は堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1938)を取り上げて、言います、「巻頭にヴァレリーの ”Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”という詩が引いてあります。それが開巻しばらくしたところで、語り手がその文句をつぶやく。そこが「風立ちぬ、いざ生きめやも」となっている。「生きめやも」というのは、生きようか、いや、断じて生きない、死のうということになるわけですね。ところがヴァレリーの詩だと、生きようと努めなければならないというわけですね、つまりこれは結果的には誤訳なんです。「やも」の用法を堀辰雄は知らなか…
堀辰雄「風立ちぬ」を読む いまどき、こんな古めかしい恋愛小説を読む人なんていないだろうと思って新潮社文庫版の奥付を見ると、平成23年で115刷、ドヒャ~であります。他社からも数種類の同じ本がでているから、ものすごいロングセラー。改めて「こんな本、誰が読んでるねん」と怪しむ駄目男です。 昨今の世相とはプッツンした、昭和10年ごろの「清く、正しく、美しく」式の物語です。背景が八ヶ岳山麓の高原や雑木林、舞台装置はサナトリウムというロマンチスト向けの設定がウケるのか。たしかに、自然の風景の描写はしつこいくらいで、カップルに次いで三番目の役者という感じです。これが読者を惹きつけていることは間違いないでせ…
サナトリウム文学とよばれるジャンルがあります。結核に有効な治療法がなかった時代に、結核にかかった患者は空気のきれいな高原などで長期療養する習慣がありました。そんな人里はなれた清潔なサナトリウムで、俗世から離れ、特に若者が命と向き合いながら時間を過ごす日々を描いた作品群のことです。今回はサナトリウム文学を含め、かつては不治の病とされた「結核」にまつわる本を取り上げたいと思います。 一冊目は、堀辰雄の『風立ちぬ』です。ジブリ映画の原作のひとつであり、名前を知っている人は多いと思います。映画のヒロインは「菜穂子」ですが、本では「節子」です。堀辰雄には『菜穂子』という別の作品もあり、映画での名前はこち…
風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫) あらすじ 目次 感想 作品の文体について ご参考:作品の散歩コース この作品をおすすめしたい人 著者について 主な作品 あらすじ シーズン前の初夏の避暑地軽井沢に1人で滞在している小説家の「私」は、失恋の痛手を抱えながら、小説の構想を練り、村での散策で出会った自然や村人について綴る。「私」は同じく一人で宿に滞在する少女と出会い、親しくなるとともに心の痛手を回復していく。作品はバッハの遁走曲のような音楽的構成を意図しており、プルーストの影響を受けた長めの修飾の多い文体で書かれている。 目次 序曲 美しい村 或は 小遁走曲 夏 暗い道 感想 堀辰雄は芥川龍之介とと…
こんにちはこんばんは。プラスアルファでございます。 今回も一冊読み終えましたのでご紹介させていただきます。 今回ご紹介するのはこちら。 堀辰雄著『風立ちぬ・美しい村・麦藁帽子』です。 『生きねば』のフレーズで人気を博したスタジオジブリ作品『風立ちぬ』の原作小説のである本書の初版は昭和二十五年十月二十日になります。 本書は解説込みで二百八十ページ。美しい村、麦藁帽子、風立ちぬの三編から構成されていて、それぞれを独立した短編、中編として読むことも可能であり、また全ての編を繋ぎ合わせ、一つの長編として読むことも可能です。 美しい村、ではとある女性に慣れていない年若い男性が、田舎に数日滞在する様子を描…
映画「風立ちぬ」をテレビで観たので、レビューします! 【風立ちぬ (1976年の映画) - Wikipedia】 風立ちぬ 監督 若杉光夫 脚本 宮内婦貴子 原作 堀辰雄 製作 堀威夫笹井英男 出演者 山口百恵三浦友和芦田伸介森次晃嗣夏夕介 音楽 小野崎孝輔 撮影 前田米造 編集 井上治 配給 東宝 公開 1976年7月31日 上映時間 94分 製作国 日本 言語 日本語 配給収入 7億9200万円[1][2][3] 【映画「風立ちぬ」:内容紹介】 ※風立ちぬ (1976年の映画) - Wikipediaより抜粋 『風立ちぬ』(かぜたちぬ)は、1976年製作の日本映画。山口百恵主演文芸作品第5…
荒井さんの著書については出るたびに紹介してきたし(自分は読んでないので荒井さんに叱られたこともある)、上記の著書が朝日新聞の書評欄に取り上げられたり・朝日新聞に荒井さんが毎週コラムを連載していることも紹介したネ。今回再度取り上げたのは、朝日(5月11日)に本書が「第15回わたくし、つまりNOBODY賞」というのを受賞という記事が載っていたからだ。初耳の賞だけど故・池田晶子さんを記念したものだそうだ。池田晶子という人の本は、話題になった時に本屋で立ち読みして読むに価しない「(中身が)薄い」書だと判断したのを覚えている。その後、中学生の教科書にその文章が採られていることを知ったけど、そのレベルのも…
堀辰雄の「晩夏」を読む。 この土日は本を読む楽しみを久しぶりに思い出した。 今読むと、堀辰雄がこのとおりのひとであったなら、セロリ嫌いだったり、奥さんとの会話や周囲の人々との対応も、なんとなく子どもっぽい感じだな、と思ってしまう。 とは言え、それが自覚されており、雰囲気が伝わるように書かれているのは流石だが。 また、昨晩は、妙に寝付けず、黒谷知也さんという人の漫画を読む。 本のことがたくさん出てくる漫画だった。 二鳥翠 半透明のアイスクリーム 本の懐胎 幸福はアイスクリームみたいに溶けやすい 岸本英夫さんの「死を見つめる心」も読み始める。 認知症も、死も、今や私の眼前にある。 もともと常にあっ…
連休明けだし雨だし寒いしでとことんブルーが上塗りされるマンデーを乾杯で明るくしようと仕事を切り上げて同期や先輩と居酒屋に繰り出してビールをがぶ飲み。次の日、宵越しのアルコールでふわふわして駅の階段を踏み外しそうになりながら会社に向かっていたら、テレビにうつっていることに気づいた何人かの人から連絡が入った。インタビューを再編集したものがおはよう日本のなかで流れるというので予約録画しておいたのを帰ってから見た。菓子パンの袋は舞っていなかった。寝ぐせはきちんと直そうと思う。 寝るときになって、せいちゃんが布団にきて、テレビを見たらじいじに会いたくなっちゃったと言うので、一緒になってめそめそした。 N…
美学の授業で、上野も軽井沢も終わってしまったという新聞記事を読んだ記憶がある。 たしかに商業化が進んでいて、堀辰雄と同じ世界をみるのは無理だろうなと感じる。 今回初めて旧軽の奥の方まで行った。その別荘地然としてるところをみると、軽井沢らしさを味わえないと思うのは、新幹線で来て軽井沢駅周辺だけみて帰る都会人だからなんじゃないの?とも思う。 千住博美術館が軽井沢に出来たのは2011年。当時も充分すぎるほど商業化してる、というか元々避暑地として完成されていたはず。 ずーっとニューヨークにいるのになぜ軽井沢に?作品の多くは東京で展示してるよね?と思うんだけど、 そういう場として軽井沢がまだ求められてる…
4/30(土)『梶井基次郎全集』(ちくま文庫 1986.8)を買った。 4/30(土)僕は僕が苦しんでゐるのを人に見られることを恐れる。それなのに、自分の傷を自分の指で觸って見ずにゐられない負傷者の本能から、僕は僕を苦しませてゐるものをはつきりと知りたい欲望を持つた。 僕はあらゆる思ひ出を恐れ、又、僕に新しい思ひ出を持つてくるやうな一つの行爲をすることを恐れる。そのために僕は僕自身の影で歩道を汚すより他のことは何もしようとしない。 時間は苦痛を腐蝕させる。しかしそれを切斷しない。僕は寧ろ手術されることを欲した。(堀辰雄「不器用な天使」) 僕はしみじみと、愛し合ふことは、苦しめ合ふことであるのを…
野村英夫というひとの本があって、そのひとつに「堀辰雄跋」と表紙に書かれてある詩集がある。 この「跋」とはなんだろう、と気になって調べてみた。 跋は「ばつ」と読むらしかった。 よく小説の終わりにある後書きと同じ意味で、要は本の最後に書き添える文章のことになる。跋文とも書く。踵(かかと)の意味からきたらしい。 ばつ、なんて発音をただ耳で聞くと、バッテンの方しか頭に浮かんでこない。多分大方のひとはこの連想になるとおもう。編集者や本作りに詳しいひとなら先にこっちの意味が浮かぶのだろうか。 この詩集は昭和28年7月に発行されていて、著者の野村英夫はそのおよそ5年前にすでに故人になっていた。だからこの詩集…
松田聖子 「ちょっと先に石を投げる」 森進一「冬のリヴィエラ」 「1969年のドラッグレース」 薬師丸ひろ子「探偵物語」 水橋春夫、早川義夫 川原伸司=平井夏美、「瑠璃色の地球」 休憩期間、中森明菜「二人静」 90年代、変わっていく“シーン” 筒美京平 山下達郎 前回の続き。 風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年 作者:田家 秀樹 KADOKAWA Amazon 松田聖子 松田聖子に対しては、松本隆もそれまでの歌謡曲の歌い手にはない要素を感じ取っていた。彼はデビュー曲「裸足の季節」を聴いた時のことを、僕が担当しているラジオ番組でこう言った。 「何か、コニー・フランシスみたいな感じがしたの。ポ…
2022年、ネット上での話題や議論を独占してる漫画は、「月か、金か」でございますね(笑)…数年後にわからなくなってるマクラだな、たぶん。ま、それで金のほう、「ゴールデンカムイ」5月8日まで全話無料がまさかの延長ということで、話題が続いているんですけど、こんな話を一寸しました。 連ツイ全体を興味深く読みましたが、部分的に一つ。実はかつての日本語では「勃起」を、精神的に励まされる、やる気が出る…的な意味に使われることもあり、吉田松陰の文章にも出てきたとか(みなもと太郎書いてた)ゴールデンカムイのそれとは偶然の一致と思いますがhttps://t.co/IedfblmXhg— INVISIBLE DO…
また素敵なご縁を頂きました。 山梨県は八ヶ岳南麓の高原にある美しいお店「八ヶ岳南麓 HERB STAND」にて「四季のきせき」を取り扱って頂ける事になりました。 八ヶ岳南麓 HERB STAND HP https://www.herb-stand.com/ ※写真はすべてお店のHPとインスタグラムからお借りしました。 オーナー手書きの「今一番ときめく一冊」の文字がすごく嬉しい.....! オーナーは自然の中での暮らしに惹かれて八ヶ岳に移り住んでもう30年になるそうで、高原の美味しい空気と野の草花に囲まれた環境の中で、雑貨のお店を営んでいらっしゃいます。 私の一冊目の本「森の家から」も大切に読ん…
4/23(土)懐疑は独白と化した自己自身であり、「自分」も他者であるほかはないから、自己自身との対話である。(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p498) 4/24(日)死にたい 4/25(月)理性によって決められたことは理性によって行使されなければならない。「こんな奴死刑にすればいいのに」と反射的に口走るような人間に立法者の素質はない。仲介者の素質もない。法やルールを取り決める、取り扱う場において、冷静でない者を話し合いに加えてはならない。本能で、感情的になって法を行使する(しようとする)のは、人殺しの心理と全く変わらない。 4/25(月…
折々の言葉(2) 3,4月ぶん 生きることの目的は、生きることそれ自体にあります。(ゲーテ「J.H.マイヤー宛書簡」) 3.4 生きているということは誰かに借りをつくること、生きてゆくということはその借りを返してゆくこと。(永六輔) 3.7 風立ちぬ、いざ生きめやも (ヴァレリーの詩の堀辰雄訳) 原詩はLe vent se lève, il faut tenter de vivre.「風が吹いた、生きることを試みなければならぬ」だから、「風が吹いた、さあ生きるのだろうか、生きないかもしれない」という意味になる堀辰雄訳は、誤訳ではあるが(「やも」は反語)、結核患者の節子との愛の物語なのだから、こ…
個人的な文学作品の50選です。
しあわせ学級崩壊「リーディング短編集#1」(A team)@Cafe BPM池尻大橋 大音量のEDMの音楽に乗せて、セリフをラップのような抑揚でフレージングしていくのがしあわせ学級崩壊のスタイル(様式)*1。しあわせ学級崩壊「リーディング短編集#1」では2つの形式でのリーディング(朗読)公演が行われ、音楽に合わせた独特のフレージングの可能性を探る試みとなった。 2つの形式と書いたが今回の公演には古典といってもいい短編小説をこの公演のために僻みひなたが作った4つの楽曲に併せて朗唱するAteamとその4つの楽曲を原イメージにそこからそれぞれの劇作家が書き下ろした新作戯曲を朗読するBteamがあるこ…
すがは、戦時下抵抗のルネッサンス論と見なされがちな『復興期の精神』(一九四六年)を、花田自身は「アンチ・ルネッサンス論」と主張していたことに注目する。そして、花田のいう「復興期=ルネッサンス」は、「文学史的には「昭和十年前後」(平野謙)とも呼ばれる「文芸復興期」を(も)指していると見なしうる」と述べるとき、それはすが自身の批評が「アンチ・ルネッサンス」であったことを想起させてやまない。例えば、次のような一節。 ヨーロッパ中世を「闇」とし、ルネッサンスを「光」と見なす歴史観や、日本の戦後を「第二の青春」と高唱する文学観は、今やあまり顧みられない。にもかかわらず、そうした観念は今日なお曖昧なまま生…