戦国期の豊後府内に住んでいた渡来系中国人。絵画技術を持ち、大友氏のもとで貴重な顔料の調達に関わることもあった。天正末年頃、府内唐人町や隣の稲荷町の住人と伊勢参詣を行っている。 『大友興廃記』にみる狩野永徳と樹岩見山 中国産顔料の調達 府内唐人町の住民 参考文献 『大友興廃記』にみる狩野永徳と樹岩見山 元亀二年(1571)、豊後国の戦国大名・大友義鎮は、同国臼杵に丹生島城を建設し、京都から狩野永徳・宗秀の兄弟絵師を招いた。江戸初期の軍記物である『大友興廃記』には、狩野永徳と当時臼杵に住んでいた樹岩見山という中国明朝から渡来した人物との交流のエピソードが記されている。 これによれば、樹岩見山は「大…