プロ野球・読売ジャイアンツの選手。旧名・陽仲壽。愛称は「アッシュ」。(台湾時代のあだ名とのこと:参照「ファイターズマガジン」)福岡第一高校時代の同級生に歌手の絢香がいる。
右投右打、ポジションは遊撃手→外野手。1987年1月17日生まれ。台湾・台東市出身。台湾の先住民族である高山族の血を引く。兄は陽耀勲。
お立ち台での決めゼリフは「サンキューで〜す!」。陽と一緒にお立ち台に立った稲葉篤紀たちまで彼の台詞をマネしていう光景も見られた。
小学校3年で野球を始め、中学時代に台湾代表に選ばれる。台湾人留学生として福岡第一高校に入る。
2006年、高校生ドラフト1巡目で、北海道日本ハムファイターズに入団。持ち前の足の速さで今後が期待される。
2008年にはようやく一軍での出場機会も増え、待望のプロ初ホーマーを放ったが、内野手のポジション争いにマトモに参加できず、鎌ヶ谷生活が多くなっているようにも見える。ショートには金子誠や高口、サードの定位置には小谷野と、鉄壁の守りをなしているスター選手がいたことが理由とされる。
2009年12月に陽岱鋼へ改名。外野手へのコンバートによって、出場機会が前よりも増えた。2011年からは2番ライトでのスタメン出場が増え、打撃の好調に加え、外野からの返球で本塁ランナーをアウトにするなど、地肩のよさも見えつつある。
2012年の栗山英樹体制になってから、スタメンに本格的に定着し、ホームランも徐々に増えるなどの活躍を見せるようになった。自身初のオールスターゲーム出場では、イチロー以来の初打席先頭打者ホームランを記録した。
武田勝、吉川光夫らの活躍に対し、打撃面では陽などの若手選手の活躍も、チームの躍進を後押しした。同年、ゴールデングラブ賞を受賞。オフに新庄剛志と森本稀哲がかつて着けていた背番号1を継承する。
2017年、FA権を行使して読売ジャイアンツに移籍。背番号は2。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
2003-2005 | 福岡第一高校 | - | - |
2006-2016 | 北海道日本ハムファイターズ | 24→1 | 2005年高校生ドラフト1順目 |
2017- | 読売ジャイアンツ | 2 | FA宣言 |