正徳5年11月11日。大光寺で開山の次の日輝の年忌を酉の年のはずのところ3年前倒しで今年行う。頓写・音楽が行われる。霧山など3人で平家、卒塔婆流しを行い、人が多く集まる。丹羽郡宮後村彦八・同村権右衛門・同郡御供所村宿なし銀右衛門の3人は丹羽郡間々村半六のところに盗みに入り、夫婦を打ち殺し、いろいろと盗んだ罪で磔を行う。権右衛門は山伏、しかれどもだがけさ下(ママ)、言うことがないため。10日の夜半より間々村から久保一色・光音寺・宮後・御供所の村々を引き廻し、それより清須へ向かい、かはらけ(土器)野で11日の晩あたりに磔になる。札持、てこ(手小)の者の食事などであれこれ右の村々から60両ばかり渡す…