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食人

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しょくじん

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カニバリズム。人肉を食べること。
 
主に宗教的・儀礼的に人の肉を食べる行為が古来より行われてきた。主に原始社会に多く見られる行為であるが、古代のアステカでは殺した生贄の人肉を食べるという儀式が常態的に執り行われていた。
 
パプア・ニューギニアのある部族では、死者を弔うためにその死体を食する習慣があったが、20世紀にこの部族独特の病気クールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病・狂牛病の親戚と言うべき病気。)の原因であることが判明し、この習慣は禁止された。

古代中国の史書では飢饉の度に食人の記載が見られる。それ以外にも、古代の刑罰として塩漬けがあったことからこれを食人とする研究者もいる。このほか、春秋時代のある王に自分の子供を殺して献上したと言う記録がある。古い中国の料理の書物には両脚羊と言う項目があり、人間の調理の仕方が載っていたと言われている*1。小説などフィクションの世界では、『三国志演義』に劉備が逃走する為に、逃げ込んだ民家で饗応するものが無かったため自分の妻を殺してもてなしたと言う美談がある。『水滸伝』にはその手の記述は非常に多く書ききれない。『封神演義』にも紂王が、周伯(姫昌)をとらえたとき、その周伯の息子(伯邑考)を殺し、それを食べるかどうか試したと言う記載がある。魯迅の『狂人日記』では、儒教社会のメタファーとして食人の妄想が出てくる。このように中国文学史上における食人というテーマを扱ったものとして中野美代子『カニバリズム論 (福武文庫)』などがある(なお、同書は日本のカニバリズム文学にも言及している)。
 
日本における食人については、南方熊楠による論考がある。
http://kangbuk.g.hatena.ne.jp/Jonah/20050618参照)
とりわけ、江戸時代たびたび大飢饉が起きるなかで食人が行われた。
 
20世紀に入っても大飢饉によって食人が発生した(旧ソ連や文革期中国)。また、第二次大戦中の旧日本軍兵士による食人が報告されている(辺見庸『もの食う人びと (角川文庫)』)。大飢饉・戦争以外にも、ウルグアイのサッカー選手が飛行機墜落でペルー山麓に取り残されたときに人肉を食べることで生存した事件は有名である。
このほか、パリの佐川事件など異常快楽で食べるというケースもある。
 
なお、食人というテーマは人種的・民族的偏見とともに語られることが多く、あやふやな証拠にもとづく憶測やバランスに欠ける記述を招きがちである。たとえば、大森貝塚を発見したモースは科学的態度につとめたが、それでも以下のように、「縄文人には食人習慣があった」という(誤った)推定をしたのである*2

 「大森貝塚に関連して最も興味のある発見の一つは、そこでみられた食人風習の証拠である。それは日本に人喰い人種[ママ](原文では「cannibals」)がいたことを、初めてしめす資料である。人骨は、イノシシ・シカその他の獣骨と混在した状況でみいだされている。これらは、獣骨と同様、すべて割れていた。これは、髄を得る目的か、その長さのままで煮るには土器が小さすぎるため、煮るに便利なように割ったのである。」(『大森貝塚』近藤・佐原訳、1983:49)。

http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/030314morse.html

*1:出典は不明だが「人肉」をさす隠語として「両脚羊」という言葉は存在する。

*2:このモースの勘違いに果たして民族的偏見が含まれていたかどうかというと、かなり疑問である。

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