知的障害児・肢体不自由児・病弱児・虚弱児などに対し普通学校に準じた教育を行い、また、障害による困難を克服するために必要な知識・技能などを養うことを目的とする学校。
中等部・高等部に分かれた形で設置されている学校もあったが、 1990年代までは職業訓練や機能訓練に重きが置かれ、大学進学を選ぶ生徒は極めて少なかった。
後に特別支援学校と名称が変更。
私一人で医療機関ではない相談施設で、相談をしました。ここでも教育委員会の手応えのない回答について報告し、とても疲れていることを伝えました。自分自身が混沌としていることを感じながら話しました。話しているうちに、これまで娘が学校教育を受けてきた経験の中で、気がついたこともありました。気がついたことはありましたが、それをどう自分の中で消化していいのかわかりませんでした。 帰り道、とても夕焼けが綺麗で、空の写真を撮るのが好きな娘に写真を送ろうと写真をとりました。私たちが住んでいる街は、とても景色の綺麗な素朴な街です。この綺麗な空の下に、今、人としての尊厳が奪われて説明できない障害児がいるかもしれない。…
娘は被害者支援センターに面談に行っています。事件発覚当時、相談した弁護士さんが被害者支援センターへ繋いでくれました。それ以来、定期的に面談をしています。被害者支援センターは性加害に限らず、犯罪の被害にあった方が相談できる場所です。たとえ事件化していなくても、丁寧に相談にのってくれます。担当の方はとても親身に寄り添ってくださって、親子で助けられています。 被害者支援センターでは、教育員会からの結果について、話してきたのだと思います。でも、娘から事件の話はありませんでした。私も何も聞きませんでした。
晩ご飯は、娘がベーグルを作っていてくれました。私の帰宅時間に合わせて、生地を茹でて、オーブンで焼いて食べました。ふわふわあったいベーグル。二人で笑顔で食べました。まだ寝る時間ではないので、このまま夜まで穏やかに眠りにつけるといいね。
お昼にパスタを食べて、娘と買い物に出かけました。ドラックストアの後で、産直で買い物。産直で美味しそうな手作りお菓子と大きなトマトと野菜を買いました。 家に帰ってきて、買ってきたお菓子を「おいしいね」と言って、二人で笑って食べました。その後、リビングを掃除していると娘の部屋から泣き声が聞こえてきました。 娘の部屋を覗くと、折り紙を折っていた娘が泣いていました。 「どうしたの?」 と私が言うと娘は、 「なんだかわからない気持ちになって涙がでてきた」 と言って体を丸めて泣きます。 「もう一個お菓子をたべようよ」 と声をかけて、リビングに戻ってお茶を入れてました。お菓子を食べて温かいお茶を飲んで、娘は…
昼ごはんを食べて、明るい昼下がり。昼寝をしようと思って自分の部屋にいると、リビングから泣き声が聞こえてきました。リビングに行くと、娘が震えて泣いていました。 「フラッシュバックしてる。事件のことを思い出してしまった」 そう言って娘は声を押し殺して泣きました。 私は娘の背中を何回もさすりました。 「ごめんね」とまた娘が言いました。 瞼を閉じて、 「○ちゃんはちっとも悪くないよ」 と返しました。 しばらくすると、フラッシュバックはおさまりました。その後、私が昼寝をしていると、心細くなった娘が布団に入って一緒に眠りました。 今日のフラッシュバックはこれだけかなと思ってたのですが、夜にまたフラッシュバ…
娘が事件の前から通院している心療内科にいきました。娘は事件のPTSDで、それまでの投薬治療の他にカウンセリングの治療もしています。 教育委員会の結果が私たちの希望通りではなかったことを、お医者様とカウンセラーに伝えました。そして、フラッシュバックが再び多くなったことも伝えました。娘はカウンセラーの先生に、 「悔しいけれど、お母さんが言うように、事件のことは一区切りで、これからは自分のことに集中したい」 と言いました。 私たちはもう精魂尽き果てました。被害を負った上に、その被害を訴えるための労力は大変なものでした。被害を負った上に、時間や心まで奪われてしまう。悔しいです。でも、今はただ私と娘の生…
今日は娘がつくった料理を夜ご飯に食べました。娘は料理を作っていると心が落ち着くといいます。心が落ち着くからと、フラッシュバックする中、泣きながら料理を作っていることもあります。私が仕事に行っている間、娘は夜ご飯の料理を作ってくれていたので、今日どうだったのはわかりませんでした。いつもそのことは聞かないようにしています。娘の料理を「美味しいね」と言って食べるだけです。(もちろん失敗するときもあります)
夕ご飯を作っていると、娘がスイッチを持ってやってきました。 「ママ、推しのユーチューバーが〇〇海岸に行ってる!」 と画面を見せてくれました。その〇〇海岸は修学旅行で教員Fと一緒に行った場所でした。 また、思い出してしまったのかなと私は身構えました。 すると娘は、 「あいつと一緒に行った場所に好きな子が行ったから、哀しい思い出がなくなった」 と言って笑っていました。 「よかったね」と私は言いました。 生徒数の少ない支援学校での生活は、先生と生徒の距離が近く、家族以上に過ごす時間が長いので、思い出がたくさんあります。教員Fが性加害をしたとわかるまでは、娘にとって、支援学校での思い出は、彼女の人生の…
障害がある人を理解するために役立つ本です。イギリスの本ですが日本でも問題なく読めます。 学習障害の人を紹介しているわけではなく「学習の障害」がある人を紹介しています。脳性まひ、ダウン症、二分脊椎、自閉症等。 養護学校や普通の学校なども大事でだれもおいてけぼりにならない事が大事とわかります。 ---------- 障害を理解しよう 3学習の障害がある人たち へのアマゾンリンクはこちら。 https://amzn.to/3WxeOJZ ---------- 障害を理解しよう 3学習の障害がある人たち 著者 マーガレット・フリン ピーター・フリン 日本語版監訳 茂木俊彦 訳者 京兼玲子 表紙イラスト…
仕事から帰ってきて、夕ご飯を食べてから、娘と買い物に出かけました。 家に帰ってきて、平和な1日だったと思った矢先、リビングで娘がうずくまり無言になって背を向けました。 「ママ、ごめんね。少しだけフラッシュバックしちゃった」 娘は静かに泣き始めました。 そして、どうして学校で教員Fと二人きりになってしまったのか、その経緯を話し始めました(これも何回も話していることです)。 私は娘の背中をさすって話をききました。 辛いことがあったのに、背中をさすってあげられなかった姉妹の分もこめて・・・ 娘と泣きながら、どうやったら元気になれるかな?と話しあって・・ 「大好きなユーチューブ見ようか?」と目に涙を溜…