学校職員のうち、直接教育に従事する職員の総称。教育活動を職業にしている教師のこと。
大学・高等専門学校以外の学校では教員免許を要し,また国・公立学校の場合は教育公務員として扱われる。明治初期には教員と教師は厳密に区別され,日本の学校に雇用されている日本人の教師を〈教員〉,外国人教師を〈教師〉と呼んだ。
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №846" (テキスト版) 「男子輩3名」 昨晩は中学校を卒業して10年来の男子輩(やから)3名との飲み会。その内の1人は”いざ”という時の非常時には最前線に立って、市民や国民の安全と命を守る覚悟が感じられ、また違った1人は「子ども」の運動を通しての心身の機能の発育・発達を促す方法やトレーナーの資格取得に向けての勉強に励んでいたり、あと1人は、ひと月に莫大な金額のお金を動かす仕事に従事していたりと、それぞれが夢を持ちながらも悪戦苦闘している姿を目の当たりにして、とても興味深く話を聞くことが出来た。そして、中学生当時の話になると、私が知らなか…
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.224 (テキスト版) 「リスペクト」 「子ども」は何をもって大人をリスペクトする? 大人によってはそんなリスペクトは要らないという しかし今 その瞬間目の前の「子ども」に責任が持てるのはあなたしかいない リスペクトは求めて生まれるものではなく寄り添って向き合える結果として滲み出るものだ ヒガパパ
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №845" (テキスト版) 「自分で判断する」 「子ども」を指導する時、一般的によく言われるのは、”してはいけないことを言うのではなく、どうしたらいいかを言う”というのがある。例えば”走っちゃダメ”ではなく”歩いてください”ということだ。しかし、私はこれに少し疑問を持っている。大切なことは「子ども」自身が自ら判断して納得した上で自分の行いをコントロールすることが大切だ。確かに”歩いてください”と言われれば、「歩いた方がいいんだな」と判断はしやすいかも知れない。しかし、もしそれが指示した大人の誤解で、どうしても走らなければならない状況があった…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №844" (テキスト版) 「頼られる存在」 私は大人は「子ども」に対して、教える立場ではなく頼られる存在でなくてはならないと思っている。教えるというのは大人主体。頼られるというのは「子ども」主体の考えだからだ。しかし、大人はついつい”教えたがる”。今の若者世代は自分が「子ども」の時に散々大人にお節介をかけられてきたかも知れない。その時、もし「楽(ラク)だった」「苦労しなかった」という感覚が知らず知らず身に付いていたとしたら、それは恐らく大人になってからも身近な「子ども」に「同じような体験を施(ほどこ)してあげよう」と”教えてあげる”ことに…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №843" (テキスト版) 「長嶋茂雄さん」 「長嶋茂雄さん亡くなる」。ネットニュースで見て、思わず「そんなに体調を崩されていたのか」とメディアもその状況をあまり取り上げていなかっただけに驚いた。長嶋さんの代名詞は山ほどあるが、何と言っても野球というプロスポーツを一躍、国民的スポーツにまで押し上げた功績は並々ならぬものだと推測する。私は長嶋さんについて、特に詳しく知っているわけではないが、王貞治さんとの”ON”コンビで巨人軍を不動の地位まで引き上げたシーンやニュースは、かすかに記憶に残っている。私は、昨日の報道を見ているだけでも、「一野球人…
学校に行っている子供たちは授業を受けている。誰もがこう思っていると思う。もちろんほとんどの時間はそうである。しかし、多くの学校で年間数十時間は教師不在の自習時間があることを知っていますか?
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №842" (テキスト版) 「身近な大人」 「子ども」にとって、一番身近な大人は一般的には「親」ということになると思うが、私が幼少期の頃と今を比べると「親」に対する感覚というものも随分変化しているのだろうと感じる。私は両親から体罰的な事を受けた覚えはなく、勉強を強いられたり、厳しくて一緒にいるのが嫌だったこともない。ただ、母親の逆鱗に触れた時には、家の横にあった小屋に放り込まれ、鍵をかけられるような事はあったようだ(うっすら記憶にはある)。今はこんな事をして小屋の中で「子ども」が大声で叫んでいると即、虐待として通報されるだろう。しかし、当時…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №841" (テキスト版) 「更生」 昨日、刑法の改正に伴って懲役と禁固が廃止され、「拘禁刑」に一本化された。今回の改正の背景には、受刑者の立ち直りを重視するため、今までは「懲らしめ」という意味合いが強かった刑務作業をなくし、高齢者や障害者、依存症の人など、受刑者の特性に合わせた指導をするように変更することで出所してからの再犯率を減らそうという意図があったようだ。以前にも少しつぶやいたことがあるが、少年院に精神科医として勤務していた大学教授が、「この中の約30%の『子ども』が学校教育できちんと診てもらっていたら、ここへ入所することはなかった…
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.223 (テキスト版) 「世の中」 問題は起こしてはならない対立は生んではならないみんな仲良く一つの輪になって 世の中 実はそんなことはあり得ない 問題は必ず起こる対立は当然の如くある一人残らず仲良くなんてできないみんな一つの輪にはなれない もしそれを否定するのであれば誰かが我慢をするかそうなるように犠牲になるしかない ヒガパパ
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №840" (テキスト版)「子どもの心を診る」 朝のNHKニュースで、不登校児童・生徒の相談窓口の一つとして大きな拠り所となっている児童精神科の予約が2,3ヶ月待ちで、受診を待機している間にもその症状が悪化した事例が報告されていた。確かに、今は学校外での受け入れ施設やフリースクールの必要性も叫ばれていたり、今回の報道のような病院等の受け入れ態勢が充実することも大切なことだとは思うが、私がいつも言うように根本的な解決無くして、こうした問題を減らしていくことは不可能だ。そして、その根本的な原因の大半は学校側にあるというのが私見だ。私が現場で40…