#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.235 (テキスト版) 「近づけていますか?」 あなたの手を叩いて飛び跳ねる姿 あなたの「キー」と大声で叫ぶ姿 あなたの色鉛筆の色を毎日、何の食べ物か聞いてくる姿 そして険しい表情と笑顔のコントラスト 私は毎日少しずつでもあなたに近づけているでしょうか? ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.234 (テキスト版) 「最先端」 ”一斉”よりも”個別最適化” ”競走”よりも”協働” 今の「学校教育」最先端論 ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.233 (テキスト版) 「シンパシーからエンパシーへ」 シンパシー(共感※)からエンパシー(協働※)へ 「子ども」の気持ちにシンパシーを感じるレベルからエンパシーして関わるレベルへ この二つは似ているようで「子ども」への影響差は大きい 上辺で付き合うか身体ごと付き合うかだ ヒガパパ(※個人的解釈)
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.232 (テキスト版) 「間(あわい)」 教育哲学者苫野一徳さんが教育は間(あわい)だという つまり二項対立では無くその間で行われるものだと 例えば強制か受容か放任か主体的か 様々な場面の時々で二項の間の適切なポイントで関わっていく その間(あわい)の感覚が教育の良し悪しを決定するという ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.231 (テキスト版) 「『子ども』の教育は」 「子ども」の教育は 信頼して任せて待って支えていく しかし今は 心配して手伝って一緒にして甘やかす 「子ども」が信頼できるかどうかは大人の気持ち一つで大きく変わる ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.230 (テキスト版) 「『子ども』の権利」 当然の事ながら「子ども」にも様々な権利があるしかし それを正当に行使する手立てを大人は教えていない 「子ども」が普段”権利だ権利だ”と叫ぶことは本来の意味を理解せずして発している事が多い しかし もし「子ども」自らがこれを学ぼうとし自らで理解することができたならそれはどんなに素晴らしいことだろう ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.229 (テキスト版) 「見方」 大人の「子ども」の見方 この子は「面白い」この子は「すごい」この子は「楽しみだ」 そんな眼差しがその子の個性を尊重しそして認めることにつながっていく それが「ない」という見方は視線が上からになっている可能性が高い ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.228 (テキスト版) 「良い(いい)関係」 「子ども」にとって良い大人とは? 大人にとって良い「子ども」とは? 共通した解はお互いが尊重できるそしてお互いが成長し合えるそんな関係が良い関係 人は良い関係ができれば自ずと自分の花をきれいに咲かせる事ができる ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.226 (テキスト版) 「困り感としんどさ感」 困り感としんどさ感二つは似て非なり 困り感はポジティブしんどさ感はネガティブ 困り感は自分の成長につながるがしんどさ感は自分の成長を阻害する 今、目の前の問題を困り感とするかしんどさ感にするかはあなた次第 ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.225 (テキスト版) 「育む」 「育む」 "育てる"でもなく"育った"でもない「育む」 何かその単語にはエネルギーを感じ温かみを感じる 「育む」それは"育てたい"でもなく"育てた"でもない 立派な一人称の熟成された単語だ ヒガパパ