#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.230 (テキスト版) 「『子ども』の権利」 当然の事ながら「子ども」にも様々な権利があるしかし それを正当に行使する手立てを大人は教えていない 「子ども」が普段”権利だ権利だ”と叫ぶことは本来の意味を理解せずして発している事が多い しかし もし「子ども」自らがこれを学ぼうとし自らで理解することができたならそれはどんなに素晴らしいことだろう ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.229 (テキスト版) 「見方」 大人の「子ども」の見方 この子は「面白い」この子は「すごい」この子は「楽しみだ」 そんな眼差しがその子の個性を尊重しそして認めることにつながっていく それが「ない」という見方は視線が上からになっている可能性が高い ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.228 (テキスト版) 「良い(いい)関係」 「子ども」にとって良い大人とは? 大人にとって良い「子ども」とは? 共通した解はお互いが尊重できるそしてお互いが成長し合えるそんな関係が良い関係 人は良い関係ができれば自ずと自分の花をきれいに咲かせる事ができる ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.226 (テキスト版) 「困り感としんどさ感」 困り感としんどさ感二つは似て非なり 困り感はポジティブしんどさ感はネガティブ 困り感は自分の成長につながるがしんどさ感は自分の成長を阻害する 今、目の前の問題を困り感とするかしんどさ感にするかはあなた次第 ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.225 (テキスト版) 「育む」 「育む」 "育てる"でもなく"育った"でもない「育む」 何かその単語にはエネルギーを感じ温かみを感じる 「育む」それは"育てたい"でもなく"育てた"でもない 立派な一人称の熟成された単語だ ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.224 (テキスト版) 「リスペクト」 「子ども」は何をもって大人をリスペクトする? 大人によってはそんなリスペクトは要らないという しかし今 その瞬間目の前の「子ども」に責任が持てるのはあなたしかいない リスペクトは求めて生まれるものではなく寄り添って向き合える結果として滲み出るものだ ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.223 (テキスト版) 「世の中」 問題は起こしてはならない対立は生んではならないみんな仲良く一つの輪になって 世の中 実はそんなことはあり得ない 問題は必ず起こる対立は当然の如くある一人残らず仲良くなんてできないみんな一つの輪にはなれない もしそれを否定するのであれば誰かが我慢をするかそうなるように犠牲になるしかない ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.222 (テキスト版) 「きっかけ」 「子ども」を目の前にして出来ないと言うよりどうしたら出来るかを考える どうしたら出来るかを考えても答えが出ない時は もう一度目の前の「子ども」を診る それでも答えが出ない時は自分(大人)の心を見直す 解決するきっかけはどこかに必ずある ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.221 (テキスト版) 「信頼」 「子ども」との信頼関係は小さな「いいね」の積み重ね 小さな「いいね」は小さな心の繋がりを生みその繋がりの糸が束ねられて「信じる」という心情へと形を変えていく そして「信じる」という心の糸が真実で束ねられるほどそれはやがて「信頼」という関係へと成熟していく ヒガパパ
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.220 (テキスト版) 「ワカリマスカ」 みんな違って当たり前解っちゃいるけど解ってる? 「子ども」の違い解ってる? 違うのが解るのではなく違いの対応が解って初めて「ワカル」 「子ども」の違い「ワカリマスカ」 ヒガパパ