さて、昔は朝敵を討ちに都から立つ将軍には節刀を賜うのが例であったが、 こんどの頼朝追討には、讃岐守《さぬきのかみ》の正盛が、 前対馬守源義親《さきのつしまのかみみなもとのよしちか》追討の例に従い、 鈴だけが下賜され、皮の袋に入れて雑兵の首にかけさせた。 昔、朝敵を討ちに行く将軍には三つの心得が必要とされた。 第一に節刀を賜わる日は家を忘れ、第二に都から出る日は妻子を忘れ、 そして戦場ではわが身を忘れる、この三つであるが、 このたびの征討の大将軍維盛も、 副将軍の忠度も、恐らくこの心得を胸に刻んでいたであろう。 武士の常とはいえ、哀れなことである。 軍勢は九月十八日福原、十九日京都につき、その翌…