天神通りからJR長岡京駅線路沿いを南に行きますがなかなかガードに出会わず、JR東海道線を超えられず道が細く成って抜けたところでガードを超え、ちょうど勝龍寺城公園の北の道に出、勝龍寺公園北門から中へ。 勝龍寺城は、西国街道と鳥羽街道が交差する交通上の要衝に在り、南北朝時代 北朝方の細川頼春が築いたのが最初とされますが根拠に乏しく、応仁の乱の頃に畠山義就が郡代役所を置いたのが確かな記録で「郡代の政庁から城郭に発展した典型的な例」と「日本城郭大系」に紹介されていて歴史の表に出てくるのは織田信長と三好三人衆の争いの頃、戦国末期に細川藤孝が入り藤孝の嫡男忠興に明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が輿入れした…