宝永3年6月22日。未半(午後2時)過ぎから文左衛門は瀬左と八郎右へ出かける。笠原村と羽田川村百姓の山境絵図の決断(判断)を行う。老中の判5つの他に10の判や裏書を見る。酒などを頂く。少し前から開帳だったので志水観音へ出かけ、座敷に入って酒などを頂く。白蓮が咲き誇り、風も気持ちがいい。友右・惣左も同席する。大曽根を廻って、夕暮れに帰る。24,5になる青木分六が青木覚左衛門に預けられる。親類佐分源太左衛門などには注意して監視するようにと云々。分六は乱心し、4月11日に逐電していた。京・奈良などを廻り、近頃戻っていた。