宝永6年12月21日。新院崩御の廻文がある。申(午後3時)頃、勝蔵は早追(急使の馬屋駕籠)で名古屋に到着する。18日未刻(午後1時)江戸を出発していた。申半(午後4時)、文左衛門は一郎左へ頼母子のために出かける。文左衛門が半分得る。吸物・酒を頂く。中根新六へ佐分源太左衛門を呼び、弟子衆の槍を見せるようにと云々。その名前などを書き出すようにと云々。23日に田辺・福沢へも同様。