昭和27年生の自分が大学時代、沖縄は日本ではなかった。アメリカだった。沖縄出身の先輩は、大学で自家用車を持っている学生はまだ少なかった。当時、確か軽自動車だったと思うが、彼いわく、対向車がいないと知らぬ間に反対車線を走ってしまうとのこと。日本は『車は左、人は右』だが、沖縄では『車は右、人は左』と教えられたのだ。返還前の沖縄では、自動車は右車線を走り、人は道路の左側を歩いていた。 さらに驚かされたのが、その沖縄の先輩が夏休みやお正月などで実家に帰るにはパスポートが必要だった。このパスポートは日本政府が発行したものではなく米国側が発行したようだ。1972年5月15日からは、日本の国に戻り自由に行き…