ネットの口コミで「演者の心にダメージが残らないか心配」と書かれるほど、役者のテンションが振り切っていて緊張感がありました。2時間のうち、半分は誰かが怒り叫んでいて、その他は重い沈黙、ほんのわずかに和む時間がありました。観劇から3ヶ月過ぎた今でも場面を鮮明に覚えていて、役者さんと演劇という表現の「力」を感じました。
調停人・ジャック・マニングが今回取り組むのは、既に結審した事件の、服役者スコットサイドの関係者と被害者の両親との修復――「心を癒やすのではなく摩擦を減らす」試みだ。両家関係者のほか、服役者のかつてのセラピストの計7名が出席した住民会議の場で、ジャックはまず口を開くーー「目指すものは先ず何が起きたのかを聞き、みんながどんな思いをしたのかを掘り起こし、そこから何らかの理解が生まれないか、考えることです」と。加害者・被害者の狭間で、マニングは如何に耳を傾けるのか。(劇団俳優座 公演『対話』)
原作はオーストラリアの人です。歴史や背景が異なるためか、表現や更生に対する意識の違いを感じました。「ストレート、オブラートに包まない、対立から始める」という感じです。読んだ本によると、日本では「被害者と加害者が最初から真っ向勝負」というのはうまく行かず、時間をかけて準備するそうです。また「事件」が陰惨で救いの無いものでした(書けないくらいの胸糞事件。日本でなら「交通事故」にするのでは)。本来、何年もかけて少しずつ進めるものを2時間に押し込んだことによる違和感もあります。調停人ジャックは、取り乱した家族が部屋を出ようとすると「出ていったら全てが台無しですよ!いいんですか?」と繰り返す。2時間で収めるには誰かが「看守」をしないといけない。
フィクションの良さもあります。7人がそれぞれ異なる「背景・加害者−被害者への思い・罪悪感・怒り・葛藤」を持っていて、対話を通して7通りの変化をします。それは脚本のための単純化された配役ではありますが、実際の被害・加害の関係の中にも7つのどれか(または複数の組み合わせ)があるはず。実際の現場では、劇ほどストレートに表現されず見過ごされることも多い。たくさんの課題が出てきて関係を詳しく見ることができない。フィットの会の活動でも異なる関係・受け止めがあります。それでも「7つ」の関係を考慮するのはちょっと多い。支援の中の「問題解決」の側面からは単純にしたい。実際の支援の中でも、この作品を思い出して「最低でも7つの配役はあるはず、単純化しすぎないように」と立ち止まるのも、いいかも知れません。
7人の役に一言コメント。「建前〜本音〜変化」にまとめようとしましたが、コトはそう単純ではなさそうでしたのでA・B・Cというラベルで分けています。
〇 加害者の母 〜 会議の発起人
(A)「自分の育て方が悪かった。自分が全て悪い。それを伝えたくて来てもらった」
(B)息子=加害者が、直前に刑務所内で暴行を受けた。個室に移らないとは命の危険があるが、被害者家族の承認が必要。感情がこみ上げ「承認がほしい」と口にし相手家族を激怒させる。
(C)被害者母との交流を経て「苦しみを誰か一人が背負うものではない」と考え始めた。息子への「許されない愛情」を受け止められたことが救いになっていたように見えた。
〇 姉 〜野党の政策コンサルタントだと最後に判明(オーストラリアの政治ネタみたい)
(A)謝罪はしつつ「弟が異常・生まれつきの悪人」という意見には断固反対。被害者家族に語気強く突っかかることも。生育環境(地域・片親・貧困・・)が要因の一つだった、との主張は最後まで変わらない。(事件が悲惨すぎて、被害者家族に物申す姿勢が場違いに感じました)
〇 弟 〜横暴な兄に虐げられてきた
(A)序盤の超険悪な空気の中で「被害者家族に同意します。兄は極刑になればよかったんだ!」と声を上げたことで、対立していた場が動きだす。
(B)事件直前、危険を報せられる機会があったと打ち明ける。だが被害者に、貧困地域出身の自分を蔑む態度をとられ躊躇した。自分が許せないが、その屈辱感も忘れられない。
(C)告白がきっかけにもなり、被害者母が「娘にはそういう面もあった。完全な人間ではなかった」と話し始め、議論が「悪人が善人を殺した」というものから「名前のある個人の関係」という視点を含んだものに変わった。
〇 被害者の父
(A)加害者擁護の意見に対する反論を日夜調べている。被害者への憎しみだけの生活になっており、妻との関係は悪化して離婚予定。
(C)怒りは変わらないが妻の変化を見て態度は軟化する。夫婦関係は修復された。
(感想)憎しみは、娘が殺されたことだけでなく、家族関係を壊されたことも含む。娘は返ってこないが、家族関係は修復できる、ということかも知れません。
〇 被害者の母(情緒の波が激しすぎて、とにかく役者さんお疲れ様です)
(A)「娘の未来を奪っただけでなく、過去も奪った」と話す。娘の写真は「その先の結末を暗示」するので見られなくなった。ただし「楽しかったエピソードを話す」ことはできたし、むしろ話したい。夫はそれを聞きたくない。夫婦関係が悪くなった。
(B)カウンセラーが「時系列のアルバムが良くない。ランダムに抜き出してはどうか」と助言。「帰ったらすぐにやってみる」。「誰も娘の話を聞きたがらない」という言葉に加害者母が「ぜひ聞きたい」と促す。夫は「こんな人たちに聞かせたくない」と後ろに下がるが、子供の頃のエピソードを話し続ける。
(C)被害者母の共感を目にして、「最初に素晴らしい娘だと言ったけど、実際は育てるのが難しいことも多かった」と告白する。加害者弟の「被害者の差別的な態度」のエピソードに「それも娘の側面の一つだった」と話す。
〇 叔父(母親の兄)車を出しただけで参加するつもりはなかった
(A)妹家族を親身に支えた気のいいおじさん。加害者を一時期雇っていた。
(B)中盤以降、妹家族から集中砲火を浴びる。別の犯罪で捕まった時にすぐに解雇したこと。女性へのモラハラ的な態度を容認・助長するようなコミュニケーションがあった。加害者にとって唯一といえる「尊敬できる相手」だったことで、同性同士の何気ない会話が、本人の価値観に強く影響したはず。
(感想)社会と個人の間「職場など身近なコミュニティ」を代表しているように見えた。また、姉のように社会の責任を求めるのは、距離があって実感が薄いけど、その中間にいる叔父を責めることで、行き場のない加害者家族の苦しみが軽くなるようにも感じました。
〇加害者のカウンセラー 〜中立の立場のプロフェッショナルという態度
(A)会議について「参加者に良い結果を生まない」と調停人に対して反対していた。
(C)実は大きな葛藤を抱えていて参加を躊躇していた。後半で「前の事件で、なぜ仮釈放に肯定的な判断をしたのか?」と、主に被害者父に繰り返し問われて、加害者の巧みなコミュニケーションによって「治療がうまくいって改善した」と誤った判断をしてしまった、と告白する。自信を失い休職している。仕事はもう続けられないと思っている。
(感想)関わった専門職の苦しみという役どころ。加害者・被害者関係、双方から責められる立場で苦しむ。加害者姉・弟から「誰か一人に責任を求めるのはもう止めよう」という言葉。最後の「一人ずつ退場シーン」では調停人に「やって良かった」と感謝を伝える。
(公演が終わると作品に触れる機会が少ないのでネタバレ御免で書きました)