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「ファシズムとは、現実のユートピア化である」(久野収)

2016-06-20

[]『歴史主義・保守主義』その2

『歴史主義・保守主義』(マンハイム・森博訳)から、論文「保守主義的思考」について。

これは、日本でも単独で文庫になっているほど名高い論文である。


ここで言われていることは、煎じ詰めると、たいへんシンプルだ。

つまり、保守主義というのは、近代の中央集権的・官僚的な国家体制、および啓蒙主義的思想という二種類の合理主義の流れに対する、非合理主義からの反動として生じたものであるというのが、マンハイムの考えなのだ。

この際、保守主義的思考から着手しなければならない理由は、近代の歴史観がその主要点においてまさにこの潮流の創造物であったからであり、またこの思考様式の本質的業績は、われわれの考えでは、一方では宗教意識の変容によって、他方では近代的合理主義によって駆逐された思考方法が、歴史における非合理的要素をとらえるための機関を生み出した点にこそ求めらるべきであって、そのような仕事には自由主義も社会主義も、その中に本来的に作用している衝動からして、ついぞかかわることがなかったからである。(p78)

ここでは、19世紀末のドイツ(プロシャ)における保守主義の発生と展開が分析されているが、そのプロシャの政治体制に範をとった明治から大正にかけての日本社会の動向との類似に、あらためて気づかざるをえない。

つまりプロシャでは、封建社会の残滓というべき身分的思考が、中央政府と啓蒙主義という二つの合理主義に対抗して同盟を結んだというのだが、同じ事が日本でも繰り返されたと思われる。伊藤博文が設計した近代的・中央集権的国家体制と、ブルジョア啓蒙思想とに対抗する、非合理的・右翼的思考(「維新」)の台頭である(伊藤と山県との共犯性というようなことは、今更言うまでもあるまい)。

その保守主義的思考と体験の重要な特徴について、マンハイムは次のように指摘していく。

この保守主義的な体験と思考との本質的特徴のひとつは、直接に現存するもの、実際的に具体的なものへの執着である。(中略)一切の「可能的なもの」、「思弁的なもの」に対する極端な嫌悪を意味する。(p93)

ここに、具体的な所与の状況に即した思考の名において、「あまりにも高度の前提」からする構成的思考に対する闘争が行われる。(p157)

この思考(政治的ロマン主義)は、概念にたいする生の強調への衝動を、メーザーにおけるような単に官僚主義的合理主義に対する反動からだけでなく、また同時に、当時の合理主義の変種、すなわち、ブルジョア合理主義に対する反動から獲得する。(p166〜167)

先にも書いたように、マンハイムは、保守主義の根底に「生の哲学」の潮流を見出している。

つまり、合理主義に対する非合理的なものの反抗、その気分を巧みに回収するイデオロギーという見方だ。

下の一節は、その事情をよく説明していると思う。

現代における生の哲学のさまざまな変種は、(中略)ブルジョア合理主義の二変種、カント主義と実証主義とに対する、かれらの共通の反抗によって、そのすべてが反革命ロマン主義的根源を露呈している。さまざまな生の哲学ロマン主義的起源をもっている。というのは、それらの中には一般化された概念への共通の反抗が、なお広く存続しているからであり、かれらは現実にリアルなものをば、概念的構成によっては洗い流されてしまう・合理的に蔽いつくせない・現象学的な純粋体験の中に求めるからである。生の哲学は、今日の段階では、もはや反革命的なとは称しえないものになり、少くとも政治的には中立的なものとなった。しかしそれはかつて保守主義的根本志向から生れたところの思考・体験志向によって生きているのである。もともとロマン主義的潮流が、そのよって立つ政治的基盤(中略)を喪失したからこそ、生の哲学は(中略)この「純粋に動的なもの」をますます内面化することができたのである。(p190〜191)

「政治的基盤の喪失」は、日本では明治の民権運動の挫折において生じたと思われる。

そこから、現実政治への関与の意志を欠いた、観念的な社会主義や労働運動の傾向が生じてくる。つまり、「生の哲学」の時代である。たとえば大杉栄を、その代表的な一人と考えることができるだろう。

2016-06-18

2016-06-15

2016-06-02

2016-06-01

[]恐るべき和解

以下は、オバマの広島でのスピーチの翌日の毎日新聞の朝刊一面に載った特別社説だ。

これを読んだとき、あまりの酷い内容に即座に批判記事を書こうと思ったのだが、その時はネットでは見つけられなかった。

http://mainichi.jp/articles/20160528/ddm/001/030/126000c

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2016-05-31

[][]98%の意味

内容のない伊勢志摩サミットが閉幕し(もっとも、なんの「成果」も生まなかったという意味では、過去のサミットの中では最善のものだったかも知れないが)、各社による世論調査が発表されている。

軒並み安倍政権の支持率が上昇していることは、これまでの例から考えると驚くことではないが(特に「操作」のようなものがあったとは思わない)、私が一番衝撃を受けたのは、共同通信の調査で、オバマの広島訪問を「評価する」と答えた人が98%に上ったことだ。


彼は立派な演説をしたというが、文章を読むと、原爆投下という出来事を他人事のように述べただけのようである。実際にオバマ政権が行ってきた政策は、核兵器の永続化を目指そうというようなことであり、http://mainichi.jp/articles/20160531/ddn/041/030/010000c

また国際関係を緊張させて、そのことによって「核の脅威」を世界に広めてきた。このことは、米日韓三国による大規模な軍事演習が繰り返されている東北アジアの状況を見ても、よく分かるだろう。

そうした、戦争と核の脅威を増大させるような政治を行ってきた米国の指導者が、自国の原爆の被爆地である都市にやってきて、実際の政策とはまったく裏腹な空言をスピーチする。

これほど、被害者を冒涜し、「平和」を危うくする行為があるだろうか。

そもそも、オバマが広島を訪問した理由は、たんに「核のない世界」をうたい文句にしてきた当人の引退の「花道」を飾りたかったからではない。

彼は広島を訪れる前(資料館の展示を見たのは5分間だけという、非常に短時間の訪問だったわけだが)、岩国まで行って海兵隊にスピーチし(沖縄であの事件が起きた直後の、この時にだ)、そこからオスプレイに乗って広島にやってきたのだという。また、帰国時も、米軍基地から飛び立ったらしい。

これは、彼の日本訪問の目的が、サミット出席を別にすれば、日米同盟の再編的強化のアピールにあったことを、よく示している。

広島に行って、「和解」を強調したのも、この新たな同盟関係の誇示のためである。そこに表れているのは、軍事化を強める日本の動きを今後は抑制することなく「活用」しながら、アジアにおける軍事的プレゼンスを維持していくという米国の意志だろう。

日米安保体制は、日本の改憲・軍事力の強化に伴って、より戦闘的なものへと変容するのであり、そのような右翼的・軍事的な日本の政治体制の路線を肯定しながら、同盟を維持していくという姿勢が明確にされたわけだ。

日本がもはや侵略戦争を行った加害国ではなく、原爆投下という無比の悲劇の「被害者」であり、しかも、そのことに関して加害国の米国に決して謝罪を求めないという「品位ある」態度を示すことで、「謝罪を求める」ような他の被害者たちに比して道徳的優位性を獲得するという、どこまでも日本にとって都合のよい「和解」のストーリーを演じることをオバマが引き受けたのも、こうした「和解」(過去の加害行為を無かったことにすること)の論理が、結局は(最大の植民地主義国家である)米国自身にとっても何より好都合なものであるからと同時に、肥大する日本のファッショ的なナショナリズムに、米国がお墨付きを与えたことを周辺各国に対して示すためなのだ。

こうして、オバマは東アジアにおける米国の戦争利権を確保し、「代理人」としての仕事を後任者(おそらく、トランプになるのだろう)に引き継ぐということが、今回彼がたどった「花道」の意味だったのである。


と、以上のようなことが、まったく認識されていない結果が、98%の「評価する」という声なのだろうか。

たとえ、まったくの言行不一致であっても、やはり広島に来て、あのような演説をしたことに意味があったと、考える人が多いのか。

だが、そのような発想には、どこか現実に対して関わっていく姿勢が欠けていると思える。

世界と日本の政治の動きに対する、無力感、傍観者的態度が社会を覆っていることを、この「98%」という翼賛的とも思える数字は示している気がするのである。

2016-05-08

2016-04-25

[]『コーラ』28号

九州の地震があったり、自分自身も再び沖縄(辺野古)に行ったりしたため、紹介がすっかり遅くなりました。

『コーラ』の新しい号が発行されています。

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html


私と広坂さんによる連載物ですが、今回は『太平記』に加えて、以前にこのブログに載せた馬琴の『椿説弓張月』についての拙文も題材になっています。

この物語を知っている方には説明不要ですが、この後半の琉球篇というのは、権勢の絶頂にあった平清盛の追討を思い立った主人公の源為朝が、潜んでいた阿蘇の山中で兵を挙げ、水俣の浜辺から漁船に乗り組んで都(福原)へと向かったが、途中で暴風雨に襲われて琉球に流れ着いたところから、展開が始まるわけです。

(以下転載)

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2016-04-17