Arisanのノート RSSフィード

「ファシズムとは、現実のユートピア化である」(久野収)

2016-08-29

[]四方田犬彦と帝国の欲望

以下の文章、あまりにも酷いので批判を書いておく。


四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』

http://parkyuha.org/archives/5161

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2016-08-23

[]『動物に魂はあるのか』

今年5月に亡くなられた金森修氏の著作。

僕は、まだこの人の本を読んだことがなかった。

動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書)

動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書)


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2016-08-22

[]『野火』

先日、塚本晋也監督の映画『野火』を、やっと劇場で見た。

この映画は、内外で高い評価を得ているようだが、実際に見て、期待にたがわぬ内容の作品だと思った。

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2016-08-20

[]高里鈴代さんの講演を聞いて

今週の初めにFBとmixiに書いたものですが、ほぼそのままの形で以下にも載せておきます。

メモを元にしているので、内容に不正確なところがあるかもしれません。ご了承ください。

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2016-08-15

[]『コーラ』29号のご案内

『コーラ』の新しい号が出ましたので、紹介します。

私と広坂さんが書いている連載企画は、第五回目で、今回の内容は『太平記』のなかの田楽に関する記述が発端です。私も、主には羽仁五郎のことを書いてるのですが、書き出しで壬生狂言に触れています。

こうしてみると舞踊とか、身体的な反応や伝承が一つのテーマになってるかのようでもあります。社会学者の酒井隆史さんが雑誌『現代思想』の鶴見俊輔追悼号に寄せた文章で、「反射」ということについて書かれていたのを思い出します。

そういえば映画『シン・ゴジラ』のゴジラの中には狂言師野村萬斎が入ってるのだそうですね。映画は、私はたぶん見ないでしょうが。


 ■■■Web評論誌『コーラ』29号のご案内(転載歓迎)■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html

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 ●連載<前近代を再発掘する>第5回●

  歴史のあいまいな領域

  岡田有生・広坂朋信

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/zenkindai-5.html

  ■高時天狗舞

 『太平記』の「相模入道田楽を好む事」(第五巻4)は、田楽に耽溺する得宗

 北条高時を印象的に描いている。

  当時、京都で田楽が大流行だと聞いた高時は、田楽の一座を鎌倉に呼んで、

 これに夢中になった。ある晩、酔った高時が自ら田楽舞を踊っていると、どこ

 からか十数名の田楽一座の者があらわれて、高時とともに舞い歌った。これが

 実に面白かった。しばらくしてから歌の調子が変わって「天王寺の妖霊星を見

 ばや」と歌いはやした。高時の屋敷に仕えていた女中が障子の穴からのぞいて

 みると……。(以下、Webに続く)

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●

  第39章 和歌三態の説、定家編─影のない世界

  中原紀生

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-39.html

 ■定家と虚なるもの、あるいは「かげもなし」の余韻

  俊成自讃の「おもて歌」が、歌の本質を「広がり」にではなく「深み」にお

 いて見る中世詩歌の特徴を自覚的・予感的にあらわしていた、と大岡信氏が指

 摘する「夕されば野べの秋風身にしみて鶉なくなりふかくさの里」であったと

 して、それでは、定家の代表歌はなんだろうか、それは、武野紹鴎が佗び茶の

 湯の心をこの歌に見出した、と「南方録・覚書」が伝える「見わたせば花も紅

 葉もなかりけりうらのとまやの秋のゆふくれ」なのか、いや、百人一首に撰入

 された「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」こそ文

 字通りの自撰歌ではないか、いやいや、それは「歌織物」(林直道)もしくは

 「グラフィック・アナグラム」(丸山圭三郎)を編集する企みゆえの撰歌だっ

 たかもしれない、などと自問自答しているうち、成立年及び作者はともに未詳

 ながら、後鳥羽院から西行法師まで十七人の新古今歌人が各々十首ずつ秀歌を

 自撰したとされる「自讃歌」なる文献があることを知り、さっそく検索し定家

 の部を拾い読みしたところ、掲載順が価値の序列をあらわしているわけではな

 いにせよ、第一の「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲のそら」と

 第三の「年もへぬいのるちきりはゝつせ山おのへのかねのよそのゆふくれ」の

 間に掲げられていたのが、(以下、Webに続く)

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 ●連載「新・玩物草紙」●

  太陽帆走/坂道

  寺田 操

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-33.html

  鳥のように自由に大空を飛びたいという夢は、大量輸送の飛行機から小さな

 プロベラ機、気球、スカイダイビングと実現されてきた。それだけでは物足り

 ない。空飛ぶ絨毯やスーパーマンのように人の身体が赤いマントをひるがえし

 て空を泳ぐように、飛びたいと夢を追っているうちに空飛ぶ「ウイングスー

 ツ」の登場だ。2016年1月4日の某新聞記事には富士山近くを飛行する

 ウィングスーツが映っていた。両手両足を広げて飛ぶ姿は気持ちよさそうだ。

 垂直に落花するスカイダイビングと違って水平飛行。この空飛ぶスーツは

 1990年、フィンランドの企業が開発し、一着約20万円。小型飛行機に乗

 りこみ、タイミングを計り空へと飛びだす。鳥たちはお仲間が増えたと歓迎す

 るだろうか、それとも奇怪な新種だと目をそらすだろうか。

 (以下、Webに続く)

2016-08-13

2016-07-29

[]事件への思い・政権の意図

相模原の事件の報道に接した当初、僕は被害にあったのが町中からはずれた場所にある重度障害者の施設であると知って、障害者を地域社会から排除し、施設に閉じ込めようとしてきた戦後の日本の福祉政策や社会のあり方に結びつけて、今回の犯行を考えていた。

しかし、その後、今回被害にあったような重度の知的障害をもつ人たちにとって、そうした施設に入るということは、社会からの排除や隔離ではなく、むしろ親元に居たのでは接することのできない他人と関わりを持ち、社会の中で生きていくための方途なのだということを知った。

自分の無知を恥じるとともに、そのような障害者や家族の人たち、関係者の、生への意志と希望を踏みにじった今回の事件の悲惨さ、残酷さを、いっそう感じずにはおれない。

同時に、僕自身を含めて、障害を持つ人たちの現実に対する無知や無関心、偏見、そして、そのような人たちの存在に関わり、深く考えることを遠ざけておきたいという、私たちの社会全体の姿勢が、やはりこのような出来事の遠因になっているということは、あらためて確認しておくべきだろう。


前回にも少し書いたように、戦後の日本社会と国は、1996年まで続いた優生保護法の下での重大な人権侵害をはじめとして、障害者の生を否定するような姿勢を続け、それを基本的にはあらためようとしていないのであり、石原慎太郎をはじめとするような政治家たちの「妄言」も、現在のネット上の状況も、そうした根の上に生じてきたものなのである。

(それについては、この記事も参考にしてもらいたい。http://bit.ly/2aogL5G

そうした体質を反省し、あらためることを行わないままに、ネオリベラリズムによる社会福祉の削減や、排外主義の台頭、ファッショ的な政権の登場といった新しい事態が次々と生じた中で起きたのが、今回の事件だ。


本来なら、首相をはじめ政治家たちがまず行わねばならないのは、この事件の動機だと容疑者本人が言っている、差別の思想に無条件に反対するメッセージを、公的に発することだろう。

それを行わないことは、同様の犯罪の再発を容認、もしくは扇動することにもつながる。

だが、今の政権や、それに近い大手メディアや言論人などが、そうしたメッセージを発することはないだろうというのは、前回書いたとおりである。

おそらく政権側の意図としては、メディアを通じて容疑者の「主張」が広められることで、「合理的」かつ「合法的」な優生思想的政策(障害者の生の否定につながる社会保障費削減策)への世論の流れを作り、同時に社会全体に恐怖と暴力の雰囲気を広めることで、望み通りの統治を行いやすくする、というところだろう。

また、すでに首相が言明しているように、措置入院制度の見直しなど、人権侵害的な治安対策の強化につながる法制の改編も、これを好機として進められていくだろう。

結局のところ、今回の悲惨な出来事によって、安倍政権が不利益を被ることなど何もない。

しかも(あろうことか)、犯行の予告は、事前に政府中枢にきわめて近いところにもたらされていたのだ。

そこに、たんに事件を「奇貨として」事をなしたという以上のものを感じるのは、僕だけであろうか?

2016-07-27

[]相模原の事件について

相模原の事件について、容疑者が衆院議長に送ったとされる手紙の全文が、黒塗りつきだが公表されているようだ。

http://breaking-news.jp/2016/07/26/026100

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2016-06-28

[]『新編 現代の君主』

新編 現代の君主 (ちくま学芸文庫)

新編 現代の君主 (ちくま学芸文庫)


イタリア人マルクス主義者、アントニオ・グラムシは、ムッソリーニ政権下で投獄され1937年に亡くなったが、獄中で膨大なノートを残した。それらは、死後に編集されて出版され、日本を含む世界中のマルクス主義に大きな影響を与えたとされる。

この本も、そのノートの一部を編んだものである。

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2016-06-20

[]『歴史主義・保守主義』その2

『歴史主義・保守主義』(マンハイム・森博訳)から、論文「保守主義的思考」について。

これは、日本でも単独で文庫になっているほど名高い論文である。


ここで言われていることは、煎じ詰めると、たいへんシンプルだ。

つまり、保守主義というのは、近代の中央集権的・官僚的な国家体制、および啓蒙主義的思想という二種類の合理主義の流れに対する、非合理主義からの反動として生じたものであるというのが、マンハイムの考えなのだ。

この際、保守主義的思考から着手しなければならない理由は、近代の歴史観がその主要点においてまさにこの潮流の創造物であったからであり、またこの思考様式の本質的業績は、われわれの考えでは、一方では宗教意識の変容によって、他方では近代的合理主義によって駆逐された思考方法が、歴史における非合理的要素をとらえるための機関を生み出した点にこそ求めらるべきであって、そのような仕事には自由主義も社会主義も、その中に本来的に作用している衝動からして、ついぞかかわることがなかったからである。(p78)

ここでは、19世紀末のドイツ(プロシャ)における保守主義の発生と展開が分析されているが、そのプロシャの政治体制に範をとった明治から大正にかけての日本社会の動向との類似に、あらためて気づかざるをえない。

つまりプロシャでは、封建社会の残滓というべき身分的思考が、中央政府と啓蒙主義という二つの合理主義に対抗して同盟を結んだというのだが、同じ事が日本でも繰り返されたと思われる。伊藤博文が設計した近代的・中央集権的国家体制と、ブルジョア啓蒙思想とに対抗する、非合理的・右翼的思考(「維新」)の台頭である(伊藤と山県との共犯性というようなことは、今更言うまでもあるまい)。

その保守主義的思考と体験の重要な特徴について、マンハイムは次のように指摘していく。

この保守主義的な体験と思考との本質的特徴のひとつは、直接に現存するもの、実際的に具体的なものへの執着である。(中略)一切の「可能的なもの」、「思弁的なもの」に対する極端な嫌悪を意味する。(p93)

ここに、具体的な所与の状況に即した思考の名において、「あまりにも高度の前提」からする構成的思考に対する闘争が行われる。(p157)

この思考(政治的ロマン主義)は、概念にたいする生の強調への衝動を、メーザーにおけるような単に官僚主義的合理主義に対する反動からだけでなく、また同時に、当時の合理主義の変種、すなわち、ブルジョア合理主義に対する反動から獲得する。(p166〜167)

先にも書いたように、マンハイムは、保守主義の根底に「生の哲学」の潮流を見出している。

つまり、合理主義に対する非合理的なものの反抗、その気分を巧みに回収するイデオロギーという見方だ。

下の一節は、その事情をよく説明していると思う。

現代における生の哲学のさまざまな変種は、(中略)ブルジョア合理主義の二変種、カント主義と実証主義とに対する、かれらの共通の反抗によって、そのすべてが反革命ロマン主義的根源を露呈している。さまざまな生の哲学ロマン主義的起源をもっている。というのは、それらの中には一般化された概念への共通の反抗が、なお広く存続しているからであり、かれらは現実にリアルなものをば、概念的構成によっては洗い流されてしまう・合理的に蔽いつくせない・現象学的な純粋体験の中に求めるからである。生の哲学は、今日の段階では、もはや反革命的なとは称しえないものになり、少くとも政治的には中立的なものとなった。しかしそれはかつて保守主義的根本志向から生れたところの思考・体験志向によって生きているのである。もともとロマン主義的潮流が、そのよって立つ政治的基盤(中略)を喪失したからこそ、生の哲学は(中略)この「純粋に動的なもの」をますます内面化することができたのである。(p190〜191)

「政治的基盤の喪失」は、日本では明治の民権運動の挫折において生じたと思われる。

そこから、現実政治への関与の意志を欠いた、観念的な社会主義や労働運動の傾向が生じてくる。つまり、「生の哲学」の時代である。たとえば大杉栄を、その代表的な一人と考えることができるだろう。