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現代古楽の基礎知識

2016-05-15

[] 追悼 ニコラウス・アーノンクール


 2007年6月9日、中部ドイツ・ライプツィヒは晴天。折からの猛暑で、石畳の道には蜃気楼が見える。旧市街の西側にはバッハゆかりのトーマス教会が建つ。この日、トーマスの聖歌隊席に陣取ったのは、ニコラウス・アーノンクールと彼の楽団コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンだ。7日から始まったバッハ音楽祭の3日目、彼らはここでバッハのカンタータを演奏する。普段なら夏でも、御堂の空気は冷んやりとしている。しかしこの年は、教会の中まで熱波が入り込んでいた。

 長堂のほぼ中央、説教壇に近い座席の周囲ではみな、プログラム冊子を団扇代わりにして少しでも涼を得ようとしている。しばらくすると、階上西側の聖歌隊席にアーノンクールが姿を現した。正礼装の燕尾服を着ている。桁外れの暑さの中、彼がホワイト・タイで身を固めたのには理由ある。

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 バッハ演奏を志す者にとって、トーマス教会は特別な場所だ。バッハが働き盛りの時に赴任し、亡くなるまでそこで活動を続けた。その場所で演奏することの意味は、音楽家それぞれに異なるだろう。しかしその意義は、誰にとっても非常に深い。アーノンクールにとってトーマス教会の聖歌隊席は、正礼装で臨むべきところだった。彼がこの聖歌隊席で演奏したのは、この日が初めてであると同時に、この日が最後。彼にとってこの公演は、文字通り一世一代の大舞台だった。

 オーストリアの音楽家ニコラウス・アーノンクールは1929年12月6日、ベルリンで生まれた。まもなくオーストリアのグラーツに移り、そこで少年期を送る。48年にウィーン音楽院に入学、チェロを学んだのち、52年にウィーン交響楽団に加わり、69年まで同団のチェロ奏者として活動した。

 古楽器に興味を持ったのは音楽院在学中。仲間とヴィオラ・ダ・ガンバのコンソートを結成した。1953年、このコンソートを母体として、古楽器の楽団コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンを設立。4年間、18世紀以前の音楽の研究を重ね、57年に公開演奏会をスタートさせる。60年には演奏旅行に出かけるようになった。

 1965年からは録音を開始する。その活動が勢いを増すのは、テレフンケンレーベルと契約した71年。同年から、オランダのチェンバロ奏者で指揮者のグスタフ・レオンハルト(1928-2012)と共に、バッハのカンタータの全曲録音に挑む。このプロジェクトは88年に完了した。

 指揮者デビューは1972年のミラノ・スカラ座。75年にはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、チューリヒ歌劇場で指揮台に登り、以後、現代楽器のオーケストラと公演を重ねている。近年はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の舞台にも、たびたび登壇した。

 2015年12月5日、誕生日の前日にアーノンクールは、演奏活動からの引退を電撃発表。その三ヶ月後の2016年3月5日、ザルツブルクにほど近いザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウで亡くなった。享年86。

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 場面を2007年のトーマス教会に戻そう。この日のプログラムはバッハのカンタータ3曲。いずれもオーボエの活躍が目立つ。最後に置かれたカンタータ第21番「わがうちに憂いは満ちぬ」はワイマール期の1713年に作曲・初演を迎えたが、23年6月13日にライプツィヒで再演された。23年6月といえば、当地にバッハが赴任したての頃。いわば「顔見せ期間」にあたる。つまりこのカンタータでアーノンクールは、1723年と2009年の教会暦上の時期(6月)を一致させ、バッハの「顔見せ」とみずからのデビュー公演を重ね合わせている。

 演奏ではシェーンベルク合唱団の活躍が光った。ピアニッシモで組み立てる音楽は繊細そのもの。声楽は弱音ほど息と神経とを使う。芯の通った合唱の歌は、そんな基本にしっかりと立脚している。歌を支えるコンツェントゥス・ムジクスの働きもすばらしい。合唱の各声部を器楽がなぞり下支えする「コラパルテ」が、言葉を御堂の平土間へと運ぶ。オーケストラが歌の息づかいを感じ、歌手に寄り添っている証拠だ。第21番の第2曲で演奏者は、3度唱えられる「われ」の語を、子音と息の勢いとで描き分けた。言葉の理解、歌の技術、それを運ぶ器楽のサポート、そしてそれらを統括するアーノンクールの音楽家としての底力が、この場面で浮き彫りになった。

 終演後、当方の席のふたつ向こうに腰掛けていたレオンハルトが真っ先に立ち上がり、聖歌隊席に拍手を送る。装束にも演目にも演奏にも、アーノンクールの矜持がありありと現れていた。

 幸いにして我々は、彼の矜持が何によって支えられていたかを、その著作に探ることができる。『音楽は対話である―モンヴェルディ・バッハ・モーツァルトを巡る考察』(那須田務・本多優之訳、アカデミア・ミュージック、1992年)と、『古楽とは何か―言語としての音楽』(樋口隆一・許光俊訳、音楽之友社、1997年)はいずれも、過去の音楽を演奏する際の哲学的考察から実際上のやりくりまでを記した書物。アーノンクールは作曲当時の楽器や楽譜、文献からさまざまな情報を引き出し、それを演奏に活かし、そこからさらに学び、その結果を公刊した。

 20世紀後半は音楽学が長足の進歩を遂げた時期でもあり、実際、バッハ研究にせよモーツァルト研究にせよ、たくさんの成果をあげた。アーノンクールはそんな研究の世界とは一線を画しつつも、同じ峰を望んでいたと言える。自ら行い得ることは自ら行う。これもまた、この音楽家の矜持の最たるものだ。

 残された我々は録音だけでなく書物からも、彼のまだなお生きる思想に触れることができる。しかし最も重要なのは、聴き手おのおのが、自らの人生の一場面に彼の音楽を響かせた事実だろう。そうした地に足のついた音楽こそ、彼が生涯を通じて追求したものだった。


初出:音楽現代 2016年5月号




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2016-05-10

[] 読響のチラシに出開帳


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読売日本交響楽団の第559回定期演奏会のためにチラシ文を書きました。題して「我信ず -- credo in musicam」。同定期ではシルヴァン・カンブルランの指揮のもと、ベルリオーズの序曲《宗教裁判官》、デュティユーのチェロ協奏曲《遥かなる遠い世界》(ジャン=ギアン・ケラス独奏)、ブルックナーの交響曲第3番《ワーグナー》(第2稿)が披露されます。たいへん興味深いプログラム。ご興味ある方はぜひ!


演奏会情報:2016年6月24日(金) 19:00開演 サントリーホール▼シルヴァン・カンブルラン(指揮), ジャン=ギアン・ケラス(チェロ), 読売日本交響楽団(管弦楽)


チラシ:http://bit.ly/1Odg6CH(PDF)



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2016-04-29

[] バッハ《ゴルトベルク変奏曲》-- 武久源造(チェンバロ)


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J・S・バッハ《ゴルトベルク変奏曲》《14のカノン》▼武久源造(チェンバロ、オルガン), 山川節子(チェンバロ)〔ALCD-1156〕

古典鍵盤楽器奏者の武久が、いわき芸術文化交流館アリオスの所蔵楽器を使って、バッハの晩年期の作品を弾く。《ゴルトベルク変奏曲》に用いた楽器には弦のセットが4つあり、普通の二段鍵盤のチェンバロよりも低音側の弦列が多い。それにより多彩な音色変化が可能になる。武久はその機構を演奏に存分に生かす。第16変奏の華々しさがよりいっそう強調されるのも、低音の厚みが管弦楽を彷彿とさせるから。重要なのは曲と楽器のスケールの大きさに、演奏の懐の深さが負けていないことだ。随所でスイングする楽想、折々に緊張感を醸すアクセルとブレーキ。最後のアリアも、元の位置に戻るのでなく、螺旋階段を一周分昇ったような趣で面白い。

初出:音楽現代 2016年4月号



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2016-04-17

[] バッハ「オーボエ協奏曲集」インデアミューレ


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バッハ「オーボエ協奏曲集」▼トーマス・インデアミューレ(オーボエ、オーボエ・ダモーレ)▼イ・ソリスティ・ディ・ペルージャ(弦楽合奏)〔CMCD-28330〕

オーボエの名手がバッハの協奏曲三曲と無伴奏パルティータとに取り組む。楽器の音域による音色の違いをそのまま生かし、一本の旋律に潜む複数の登場人物を浮かび上がらせる手腕は見事。音色の変わり目がでこぼこしないようにきちんと手当てするあたりにも、名手の名手たる理由が見える。演奏者の楽興が頂点を築くのは「オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調」。それぞれのパートで「一人多役」をきちんと彫琢しているので、独奏と総奏との二項対立にとどまらない重層的な「おしゃべり」が聴こえてくる。短調三曲の中に紅一点、咲いている「華やかなイ長調協奏曲」というプログラミングも功を奏した。独奏者の個人史を反映した解説も面白く読める。

初出:音楽現代 2016年4月号



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2016-04-15

[] 上岡敏之&読売日本交響楽団 第182回東京芸術劇場マチネーシリーズ


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 ドイツ・ヴッパータール市立歌劇場の音楽総監督で、日本でも活躍する上岡敏之の指揮の下、読響がベートーヴェンの「第九交響曲」を披露した。合唱は新国立劇場合唱団。

 年中行事に終わらせない、とする指揮者の意気込みが演奏から伝わってくる。たとえば冒頭楽章。中音域・低音域を充実させて、声部の絡み合いを克明に描く。飛び立つような軽やかさを第2楽章の随所に感じるのは、オーケストラが7割の力で音楽をドライブさせるから。第3楽章では、アダージョとアンダンテとの対比が決然と描かれ、性格の違いがはっきりと打ち出される。こうした手入れの行き届いた運びはいわば、室内楽の手触りだ。

 最終楽章でもこの室内楽は維持されるが、バリトン(シグルザルソン)の大上段に構えた朗唱「友よ、そんな調べではなく!」から、それが大管弦楽へと姿を変える。このコントラストは実際、作品の肝。純器楽部分を室内楽として演奏することで上岡は、声楽部分との輝度差を大きくすると同時に、親密なアンサンブルと細やかな楽想変化とを実現した。

 合唱の貢献も特筆ものだ。「抱き合うがよい」と男声が歌い出すところでの、声とトロンボーンとの溶け合いは、聖歌の響きを強く感じさせる。それが直前の軍楽調の部分と呼応して、大団円のヴォルテージを高めるのに一役買った。演奏の新鮮味が初春を先取る。指揮者の狙いがぴたりと当たった57分。〔2015年12月19日(土)東京芸術劇場コンサートホール〕

初出:モーストリー・クラシック 2016年3月号



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2016-04-06

[] B→C 第178回 -- 佐藤卓史(ピアノ)


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 ウィーンで研鑽を積むピアニスト、佐藤卓史の演奏を聴く。このシリーズの習い通り、バロック期の作品から21世紀の新作までが演目に並ぶ。佐藤は今回、ダンスにまつわる曲を集めてプログラムを構成した。

 バッハであれば「フランス組曲第6番」。弦楽器の弓の上下を思わせる拍節感で、締まるところと緩むところとをきちんと造形し、舞曲それぞれの持つ性格を折り目正しく描き出していく。サラバンドなどで聴こえてきた通り一遍の装飾音は玉に瑕だが、バッハの芯を捉えた演奏にはうなずくほかない。

 水際立っていたのはウィーンもので固めた後半。作品と楽器と奏者の「言葉づかい」の平仄がぴたりと一致した。ペダル操作で音色の幅を確保し、打鍵でその間を繊細につないでいく。そのおかげか、コントの「12のワルツとコーダ」の持つ、古典と前衛の中性的な魅力がよく出た。シュトラウス/エヴラーの「美しく青きドナウ」による、超絶技巧の大団円も清々しい。〔2016年1月12日(火)東京オペラシティリサイタルホール〕

初出:モーストリー・クラシック 2016年4月号



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2016-04-05

[]「星の冠」ロベルト&クララ・シューマン -- 小倉貴久子


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「星の冠」ロベルト&クララ・シューマン▼小倉貴久子(フォルテピアノ)〔ALCD-1153〕

シューマン夫妻の作品を、小倉貴久子が作曲者と同時代のフォルテピアノで演奏する。シュトライヒャーが作ったこの楽器は、音域によって異なる音色を持つ。それが作品に仕組まれた「おしゃべり」の様子を克明に描き出していて興味深い。とりわけコントラバスのピチカートを思わせる低音の響きが、ロベルト特有の「翳り」をうまくすくい取っていく。音色の変化や音量の対比が、緊張と緩和の行き来に結びつけられているので、ロマン派特有の「怪しげな」ハーモニーの運びも、しっかりと「居心地悪く」聴き手の耳元に届く。それでこそシューマンの音楽だ。作品の芯に迫る小倉の手練が心地よい。ロマン派のピリオド演奏、次の一手に期待。

初出:音楽現代 2016年3月号



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