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現代古楽の基礎知識

2016-12-02

[] 音盤比較 モーツァルト《交響曲第40番ト短調》K.550


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 「モーツァルトの交響曲の中で、この作品ほどたくさんの論評を喚起したものはない」(ニール・ザスラウ)

 《ト短調交響曲》はいつの時代も「モーツァルト論」や「モーツァルト演奏」の中心課題だった。この作品は1788年の夏、他の2曲、つまり変ホ長調とハ長調の交響曲とともに書き上げられた。かつてはモーツァルトの芸術的欲求から作られたとされたが、最近では「ロンドンへの演奏旅行のため」「ウィーンでの演奏会のため」「楽譜出版のため」といった仮説が唱えられ、とりわけ楽譜出版説の説得力が高い。

 3曲は作曲者の生前には演奏されなかった、とする考え方も修正を迫られている。というのも《ト短調交響曲》に複数の稿が残されているからだ。第1稿A(オーボエ稿、クラリネットなし)、第2稿(第1稿にクラリネットを加えオーボエ声部を手直ししたもの)、第1稿B(Aのアンダンテ楽章を手直ししたもの)の3つである。モーツァルトは、作品を舞台に掛け、修正の必要が生じたときしか改訂を行わない。だから《ト短調交響曲》はまず間違いなく演奏された。

 さて、この《ト短調》を次の二者で聴き比べたい。カール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と、ニコラウス・アーノンクール指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団だ。両者の目指すところは対照的で、ベームは横方向への旋律線の流れ、アーノンクールは縦方向の響きを重視している。また曲の「駆動装置」も好対照。たとえば第1楽章では、前者は16分音符のノコギリ音形を、後者は高速テンポを推進力として使う。結果としてベームは、同時に流れる声部同士を対比させ、アーノンクールは瞬間瞬間の響き同士を対比させている。

 こうした両者の違いは、先述の稿の選択にも表れている。ベームは第1稿Aを選択。弦楽器を主体にして流れを作り出す。一方のアーノンクールは第2稿。クラリネットを加えた管楽器群が、音色や音量にくっきりとコントラストを付けていく。ふたりの指揮者が、自らの音楽観に従って楽譜を選んでいる様子がよく分かる。

 ベームの方向から《ト短調交響曲》を位置付ければ、第1楽章の冒頭に代表される「歌うような旋律の流れ」が各所で強調される。強烈な表現を伴う第4楽章すらどこか優美に響くのは、そうした指揮者の考えが楽団にしみ込んでいるからだ。他方、アーノンクールは「コントラストの妙」を前面に押し出していく。音色や音量の急激な変化を利用して、彫り深くオーケストラを響かせる。第3楽章で大きい三拍子と小さい三拍子とが交錯する。アーノンクールは輝度差のある響きによって、その「ギアチェンジ」を鮮やかに決めてみせた。

 非常に対照的な両者ながら、どちらも魅力的なモーツァルト像を提供していることには変わりがない。《ト短調交響曲》は「論評」だけでなく、「優れた演奏」を引き出す点でも並ぶものがないと言って過言ではないだろう。


【CD】

▼ベーム(指揮), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(管弦楽)▼1975年

▼アーノンクール(指揮), コンセルトヘボウ管弦楽団(管弦楽)▼1983年


初出:モーストリー・クラシック 2014年4月号




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2016-11-28

[] 読売日本交響楽団 第561回定期演奏会


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 フランクフルト歌劇場音楽総監督クリスティアン・ヴァイグレが、読響の定期演奏会に初めて登場。得意のR・シュトラウスで演目を固め、日本の聴衆に指揮の実力を見せつけた。

 ヴァイグレはシュトラウスを、極めて細い糸で織り上げようとする。管弦楽、とくにヴァイオリンが高い精度でそれに応える。糸は細くとも織り上がる布の重さは変わらない。織りが緻密ということだ。光沢は増し、わずかな動きでも表情を変える。管弦のバランスを繊細に調えることで、緊張と緩和の落差を大きくする。大げさな強弱はない。それが緩和を先延ばしにする局面でも効果を発揮した。聴き手はシュトラウスの和声の綾に巻き込まれていく。

 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」でそうした音楽が響いたあと、会場全体はもう指揮者の手の内に落ちた。「4つの最後の歌」では、とりわけ第1曲でソプラノのエルザ・ファン・デン・ヘーヴァーが繊細さを発揮。口跡と音量とが、お互いを殺さない地点で釣り合った。

 局所的にはつねに軽やかだが、結果として軽々しくならないのは「家庭交響曲」でも同じ。こうした方向性は、日常生活の各場面と、登場人物それぞれの性格とを細やかに描き分けるこの作品にうってつけだ。

 この指揮者が管弦楽に求める機能と、読響の持つ高精細な演奏能力との平仄がぴたりと一致している。音楽上の相性の好さを、強く聴衆に印象付けた一夜。〔2016年8月23日(火)サントリーホール〕


初出:モーストリー・クラシック 2016年11月号




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2016-11-21

[] レッスン室の言葉


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「バッハは1日に6時間も稽古を付けてくれます」(弟子クロイターの言葉。バッハのレッスンについて)

バッハの鍵盤レッスンは打鍵法の訓練から始まる。鍵盤のたたき方だけで半年以上を費やした。それを終えた生徒は《インベンションとシンフォニア》で基礎を身につけ《平均律クラヴィーア曲集》でフーガの訓練へ。レッスンの仕上げは通奏低音の演奏法を身につけること。低音旋律を左手で弾き、右手でそれに適した和音などを即興で演奏する。弟子のゲルバーに行った授業では、アルビノーニの《ヴァイオリン・ソナタ》が教材に選ばれているので、実際にバッハがヴァイオリンを弾きながらゲルバーの通奏低音を指導していたかも知れない。


「数時間がほんの数分に思える」(弟子ゲルバーの言葉。バッハの模範演奏を聴いて)

ときにはバッハの気がレッスンに向かないことも。そんなときはレッスン代わりに数時間も鍵盤楽器を演奏してくれた。バッハのリサイタルが目の前で行われるわけで、弟子にとっては贅沢な時間だった。


「彼女の顔は悪魔の顔のお手本だ」(モーツァルトの言葉。アウエルンハンマーを評して)

モーツァルトに鍵盤楽器を習う生徒は大勢いたが、なかでも才能に恵まれていたのがヨゼファ・アウエルンハンマー。ヨゼファはモーツァルトに恋をしていたが、モーツァルトは見向きもせず、つれない態度。


「左手はオーケストラの指揮者」(ショパンの言葉。レッスンに際して)

ショパンは自在にテンポを揺り動かしたというが、実は左手は正確なテンポで、右手の表現がとても自由だった。左手はあくまでも正確に。そのことをショパンは、オーケストラの指揮者にたとえて弟子たちに教えていた。


「宿題を暗記して来た子どものつもり?」(ショパンの言葉。弟子の態度にいらついて)

楽譜を持たずにレッスンに来た生徒。ショパンが楽譜はどうしたかたずねると、暗譜しているから持ってこなかったとの答え。それに対してショパンが放った一撃。いつも物静かなショパンも音楽に関してはやはり厳しい。


テクニックは精神によって培われる」(リストの言葉。ピアノの訓練に関して)

超絶技巧ピアニストの代表選手と言えばリスト。ところが彼は弟子にテクニックの指導をしなかった。弟子の身体は自分の身体とは違う。伝えられるのはテクニックの奥に潜む本当の意義だけ、という信念から。


「激しく燃える詩人は恐ろしい」(シューマンの言葉。師との法廷闘争を前に)

シューマンは18歳の時、ピアノ教師ヴィークに弟子入りした。たちまちその家の娘クララと恋に落ちる。ところが師匠には交際を反対され、泥沼の裁判沙汰に。師匠と弟子の絆も、恋愛の炎の前には灰となるしかない。


【CD】

▼バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第2巻 BWV870-893▼エフゲニー・コロリオフ(ピアノ)

▼バッハ《ゴルトベルク変奏曲》BWV988▼高田泰治(チェンバロ)

▼モーツァルト《クラヴィーア・ソナタ イ長調》K.331ほか▼アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)

▼ショパン《24の前奏曲》作品28 ほか▼ウラジーミル・ソフロニツキー(ピアノ)

▼リスト《超絶技巧練習曲集》▼ジョルジ・シフラ(ピアノ)

▼シューマン《ダヴィット同盟舞曲集》作品6 ほか▼アンドラーシュ・シフ(ピアノ)




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2016-11-18

[] 映画に聴く20世紀音楽


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 映画監督にとって、同時代の作曲家の曲を作中に使うことには、功罪の両面の意味がある。功のほうは、今を生きる作曲家と対話を重ねながら、納得いく作品づくりに取り組めること。罪のほうは、個性の強い作曲家との対話が必ずしもうまくいくとは限らず、作業が難航すること。

 映画と音楽とが「同時代」であることは、次のような制作パターンを生み出すことにもつながる。映画監督は既成の音楽作品を使うこともできるし、その映画用に楽曲を注文することもできる。さらにその使用法は映画のジャンルによって違ってくる。アート系、ドキュメンタリー系、エンタテインメント系、それぞれの映画が要求する音楽は大きく異なる。音楽は既存か新作か、映画のジャンルはいずれか、といったことを掛け合わせると、同時代の映画監督と作曲家との共同作業の姿が見えてくる。

 スタンリー・キューブリックは映画「シャイニング」(1980年)で、ジェルジュ・リゲティの「ロンターノ」(1967年)やクシシュトフ・ペンデレツキの「ヤコブの目覚め」(1974年)など、既成の同時代音楽を取り上げた。積み重なっていく狂気を表現するのに、同時代音楽特有の、不安な音と平安な響きとの行き来が効果をあげる。

 マイケル・ナイマンは1982年、ピーター・グリーナウェイの映画「英国式庭園殺人事件」のために音楽を書いた。幾何学的な映像とミニマル・ミュージックとが呼応して、作品世界に深みを与える。以後、ナイマンはグリーナウェイ作品の常連作曲家となった。

 エンタテインメント系の映画でナイマン同様の手腕を発揮した作曲家に、ミキス・テオドラキスやタン・ドゥンがいる。テオドラキスはマイケル・カコヤニス監督の「その男ゾルバ」(1964年)で、映画音楽の作家としても一流であることを証明した。タンは90年代以降、中国系の映画を中心に、いくつかの作品で音楽を担当した。アン・リーの映画「グリーン・ディスティニー」(2000年)では、アカデミー賞作曲賞を受賞している。

 先述のペンデレツキは、既存の作品の提供だけでなく、映画音楽の作曲も手がけた。アンジェイ・ワイダの映画「カティンの森」は、ソ連軍によるポーランド将校虐殺事件を描いた作品。故郷の忘れてはならない悲劇を後世に伝えるため、作曲の腕を振るった。

 こうした共同作業のうち、とりわけ大規模なもののひとつに、ゴッドフリー・レッジョ監督の「カッツィ三部作」がある。フィリップ・グラスが音楽を書いた。1982年の「コヤニスカッツィ」を嚆矢として、「ポワカッツィ」(1988年)「ナコイカッツィ」(2002年)が続く。ドキュメンタリーに分類されるが、映画自体は「単純に映像を体験するために」制作されたもの。低速度撮影の映像の連なりと、グラスのミニマル・ミュージックとが一体となり、映像体験の質を支える。両者の表現の方向が高度に一致した好例だ。


【CD・DVD/BD】

映画▼スタンリー・キューブリック監督「シャイニング」(1980年)▼ジャック・ニコルソンほか

音楽▼ジェルジュ・リゲティ《ロンターノ》▼ノット(指揮), ベルリン・フィル(管弦楽)

映画▼ピーター・グリーナウェイ監督「英国式庭園殺人事件」(1982年)▼アンソニー・ヒギンズほか

音楽▼マイケル・ナイマン「フィルム・ミュージック」

映画▼マイケル・カコヤニス監督「その男ゾルバ」(1964年)▼アンソニー・クインほか

音楽▼テオドラキス「その男ゾルバ」

映画▼ゴッドフリー・レッジョ監督の「カッツィ三部作」(1982・1988・2002年)

音楽フィリップ・グラス《コヤニスカッツィ》《ポワカッツィ》《ナコイカッツィ》


初出:モーストリー・クラシック 2016年2月号




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2016-11-15

[] エスファハニ「現在も過去も」&「ゴルトベルク変奏曲」


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▼「現在も過去も」▼マハン・エスファハニ(チェンバロ), コンツェルト・ケルン(弦楽合奏)〔UCCA1101〕

▼「バッハ《ゴルトベルク変奏曲》」▼マハン・エスファハニ(チェンバロ)〔UCCG1748〕

 イラン生まれのアメリカ人で、現在イギリスに拠点を置くチェンバロ奏者、マハン・エスファハニの録音が相次いで発売された。デビュー盤にあたる「現在も過去も」では18世紀音楽と20世紀音楽とを取り上げる。変奏曲ラ・フォリアとミニマル・ミュージックとを「繰り返し音楽」という視点でつなぎ並置する。コンセプトには特段の深みはない(ミニマルと取り合わせるのなら厳格なカノンなどのほうが位相ズレの本質をえぐるだろう)。その「深みのなさ」=「ちょうどよい分かりやすさ」が身上と見える。グレツキの《協奏曲》やライヒの《ピアノ・フェイズ》のチェンバロ版を聴ける楽しみもあるが、演奏の面白みはむしろ、スカルラッティやC・P・E・バッハの《ラ・フォリア》のほうにある。とりわけ、旋律に句読点を打ち音楽の対話を交通整理するあたりに、18世紀音楽への専門性がほの光る。

 もう一方の音盤にはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》が収められる。全体構成に工夫の跡。最初のアリアから装飾音、つまり不協和音を取り去って、段落感を薄める。一方、最後のアリアには装飾音をフルに載せ、作品全体の段落感を強める。30ある変奏曲にも大きな設計思想が働く。とくに第26変奏以降で、追い立てるようにクライマックスを形成。楽章間の間を取らず第30変奏までをひとつなぎに。各楽章は淡白に進めるが、その淡白さが最後のアリアの粘りある段落感を際立たせる。こちらも分かりやすい。


初出:音楽現代 2016年11月号




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2016-11-11

[] 音盤比較《ブランデンブルク協奏曲》


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 バッハのオーケストラ曲集として《管弦楽組曲》と並び称される《ブランデンブルク協奏曲》。原題は「種々の楽器のための6つの協奏曲」。献呈先の貴族の所領にちなんで後世「ブランデンブルク」の名を冠した。曲集がまとめられたのは、バッハが宮廷楽長を務めたケーテン期にあたる1721年。ただし6曲の成立時期はまちまちで、ヴァイマル期からケーテン期に書かれたものまでがひとつに束ねられている。原題の通り、使われる楽器や作品のスタイルは曲によりまちまち。こうした多様なありかたが、この曲集の価値を高めている。

 ここではバッハにつきものの2つの演奏潮流 ― 現代奏法古楽奏法とで比較を行う。前者の代表はカール・リヒター指揮のミュンヘン・バッハ管弦楽団。後者の代表はレオンハルトが指揮をし、ブリュッヘンやビルスマらが参加したオーケストラだ。

 まず、音楽の鳴り響かせ方の理想が、両者で大きく違っている。リヒターは弦にも管にも、トコロテンを押し出したような均質な音を要求する。音域の高低による音色差もなるべく均す。いっぽうレオンハルトは、弦には弓の上げ下げの力動性の違いを、管には息の吹き込みの勢いの変化を求める。また音域による音色差もはっきりと打ち出す。

 たとえば第6番の第3楽章。この楽章は長短のリズムが特徴的な舞曲ジグに基づいている。リヒターはこの楽章でも均質な弓運びを目指すので、その代償としてジグのリズムもまた均される。レオンハルトは弓の上げ下げの力動性と、ジグの長短リズムとを紐づけて、舞曲らしい推進力を実現する。リヒターの方が速度が速いのは、スポイルされた舞曲の推進力を速度で補うため。それもひとつの方策だ。

 第1楽章には楽器の違いがはっきりと音として表れている。リヒターが使う現代楽器のホルンは、現代管弦楽の響きの美しさの枠内で役割を果たそうとする。レオンハルトが用いるナチュラル・ホルンは、他の楽器とは違う異質な音響世界を打ち立てる。

 協奏曲では独奏群と総奏群との強弱対比が曲の肝だが、それを文字通り音量の輝度差で表現しようとするのがリヒター。いっぽうレオンハルトはそれを、メディアの交代、つまりオルガンの音色栓(レジスター)の変化のように捉えている。

 こうした特徴は第5番の第1楽章で改めて確認することができる。リヒターレオンハルトも同曲ではチェンバロを弾く。ふたりはそれぞれ、推進力の点では速度を重視力動性を重視、強弱の点では音量の輝度差を重視レジスター交代を重視、チェンバロ演奏の点では均質なレガート奏法を重視減衰の速さを力動性として利用する奏法を重視している。

 リヒターの演奏は1970年レオンハルトの演奏は1976年から77年にかけて。同時代にこれだけ違いの際立った「ブランデンブルク」が出来した。両者の存在を同時にゆるす懐の深さこそ、この曲集が名曲であることを証ししている。


【CD】

▼リヒター指揮, ミュンヘン・バッハ管弦楽団

▼レオンハルト指揮, ブリュッヘン, クイケン兄弟, ビルスマほか


初出:モーストリー・クラシック 2014年5月号




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2016-11-07

[] 映画に聴くモーツァルト


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 劇付随音楽の歴史は古い。たとえば16世紀の劇作家シェイクスピアは、自作の上演にあたって付随音楽に関する詳細な指示を書き残した。こうした音楽演出の分厚い伝統が、映画の世界に流れ込んでいることは間違いない。

 宴会の音曲など場面を示す音楽、不思議な出来事を縁取る魔術的な音楽、場や人の性格をくっきりと描く性格的な音楽と、求められる役割は古来の劇付随音楽にせよ、最近の映画音楽にせよ、あまり変わらない。

 ただ映画が、演劇とは異なる表現形式を手に入れたことにより、そこで求められる音楽像もまた、劇付随音楽からは変化した。映画の表現にとって重要な絵筆はおもに、撮影と編集だろう。このふたつによってさまざまな描写が可能になった。たとえば、クローズアップによって俳優のわずかな動きで大きな心情変化を表したり、細かいカット割りで場面の推移にリズムを作ったり。音楽もこうした映画特有の表現に沿ったものが選ばれる。

 モーツァルトの作品には、そんな映画表現にふさわしい特徴を持っているものが多い。一瞬で聴くものの心をつかむ性質、ときに細やかに、ときに大胆に変化する情緒を描き出す性質、忘れがたい旋律で映画全体の雰囲気を作る性質。映画音楽に求められる音楽像はそのまま、モーツァルトの作品像と重なる。

 実際、彼の楽曲が用いられた映画を見渡してみると、上記の性質の色濃く現れる作品が選曲されている。オペラ《ドン・ジョヴァンニ》の二重唱《お手をどうぞ》は、ラフェルソンの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981年)などで使われた。この曲は、モーツァルト作品の中でも屈指の編曲率を誇る。ベートーヴェン、パガニーニ、ショパン、リストらが、この曲を主題に変奏曲を書いた。《お手をどうぞ》の、一瞬で人の耳を奪う力に、後輩作曲家も現代の映画監督も目をつけたというわけだ。

 次に注目したいのはモーツァルトの短調作品。当時、欧州の音楽作品は長調が多く、モーツァルトに限らず短調作品は少なかった。だから一層、短調に込められる情念は深くなる。その深さの甚だしいのがモーツァルトだ。たとえばハ短調やニ短調の《幻想曲》、ト短調の《交響曲第40番》、ニ短調の《ピアノ協奏曲第20番》、ハ短調の《ミサ曲》が、ベルイマンの「鏡の中の女」(1976年)やゴダールの「パッション」(1982年)など多くの映画作品で、闇をえぐる役割を果たす。

 《クラリネット協奏曲》はモーツァルト作品の中で、映画にもっとも多く登場するもののひとつだ。とりわけニ長調の第2楽章が頻出する。18世紀以来、澄み切った旋律美で愛される1曲。ポラックの「愛と哀しみの果て」(1985年)、ウィアーの「グリーンカード」(1990年)などで、叙情的なメロディーが映画の性格を彩る。いずれの作品も偽装結婚を発端とする物語。諦念の漂うような透明度の高いメロディーが効果的に響く。


【CD・DVD/BD】

映画▼ラフェルソン監督「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981年)▼ジャック・ニコルソンほか

音楽▼オペラ《ドン・ジョヴァンニ》全曲▼ヴァイサー(バリトン), ヤコプス(指揮), フライブルク・バロック・オーケストラ(管弦楽)ほか

映画▼ゴダール監督「パッション」(1982年)▼ハンナ・シグラほか

音楽▼《交響曲第40番》《ミサ曲ハ短調》▼ガーディナー(指揮), モンテヴェルディ合唱団(合唱), イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(管弦楽)ほか

映画▼ポラック監督「愛と哀しみの果て」(1985年)▼R・レッドフォードほか

音楽▼《クラリネット協奏曲》▼ホープリッチ(クラリネット), ブリュッヘン(指揮), 18世紀オーケストラ(管弦楽)


初出:モーストリー・クラシック 2016年2月号




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