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現代古楽の基礎知識

2012-05-21

[] 武満徹 ソングブック コンサート


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2011年11月19日(土) めぐろパーシモンホール 大ホール

 ギター・バンドリン・コントラバスの弦楽トリオ・ショーロクラブが、武満徹のポピュラー・ソングを集め演奏会を催した。7人の歌手を呼んだ舞台にはソファやテーブルが置かれ、寛いだ雰囲気を演出する。プログラムは50年代から80年代までの「ソング」を連ねたもの。「めぐり逢い」から「ワルツ」にいたる前半では、おしゃれな大人の集うラウンジの香りを漂わせたが、「ぽつねん」に始まる後半では一転、人生の白秋が歌われた。作曲家の死後に編まれた「MI YO TA」で最後を締めた演奏会は、生老死を語る物語となった。

 以上が舞台で行われたことなのだが、この「一周して武満徹がカッコイイことに気が付いた大人の寛いだパーティー」なる空気感を、どれだけの聴衆が共有できたかはよく分からない。世代違いの人々の宴を観る居心地の悪さをいったん閑却して言えば、寛いだ雰囲気の中にも生老死を感じるのが、アラウンド50世代の「世界の手触り」なのだろうと納得した次第。

初出:モーストリークラシック 2012年2月号

2012-05-20

[] 狂言風オペラ『魔笛』


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2011年10月26日(水) 新国立劇場 中劇場

 モーツァルトの「魔笛」を狂言風に仕立てた2幕の舞台作品。音楽は管楽八重奏の編成に編曲されている。ドイツの民衆音楽劇・ジングシュピールと、日本の滑稽劇・狂言の親和性が高いことは想像に難くない。当夜はその予想を遥かに超え、客席の笑いを大いに誘う爆笑劇となった。

 狂言風オペラと銘打っているが、その実態はシカネーダ台本の狂言「魔笛」に、西洋楽器の囃子方を付けたもの。そうすると設定も滑稽味を前面に押し出したものとなる。

 昼の教祖=ザラストロ(丸石やすし)はストーカー、夜の女王(茂山逸平)はSM嬢、王子=タミーノ(茂山童司)は世間知らず、太郎=パパゲーノ(茂山正邦)は怠惰といった具合で、それを音の霊(豊嶋晃嗣)が音楽療法で治療する。

 終曲で、囃子方の西洋楽器(ドイツ・カンマーフィル管楽ゾリステン)と唯一の邦楽器・鼓(中村寿慶)とが共に演奏を行うことで、日月一双を統合してみせたのは象徴的。日独交流150周年を言祝ぐに相応しい幕切れである。

初出:モーストリークラシック 2012年1月号

2012-05-18

[] 【昇天祭記念】《ロ短調ミサ曲》で礼拝をしたら


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 東洋美術にせよ西洋美術にせよ、美術館の展示ケースに並ぶ多くの品を眺めていると、「元はどんな場所に置かれていて、どんな役割を果たしていたのだろうか」と思わされる。そういったことを抜きにして「もの自体に迫る」というのが、博物館/美術館に負わされた役割(幻想)のひとつ。だから「元の場所」や「元の役割」を考えてしまっては文字通り「元の木阿弥」なのだけれど、そうしたくなってしまうのは、そんな本来の文脈で発揮されていた力や輝きを体験してみたいからに他ならない。

 音楽でも同様で、とりわけバロック期以前 – 音楽が社会の中に確固とした位置を占め、生き生きと活躍していた時代 – の楽曲となると、その思いも余計に強くなる。バッハの《ミサ曲ロ短調》はそんなバロック期の最後の華であり、西洋音楽史上最大の音楽作品と言っても過言ではない。

 実のところこの《ミサ曲ロ短調》には少し特殊な事情がある。バッハが生きている間には全曲の初演が行われなかった。そもそも何のために作曲されたか定かではない。だから「元はどんな場所で演奏され、どんな役割を果たしていたのだろうか」という点に決定的な答えはない。ここではそれを逆手に取り、《ミサ曲ロ短調》を「仮想の18世紀文脈」に流し込んだら、どんな姿が現われるか試してみたい。


ミサ曲

 当然のことながら《ミサ曲ロ短調》はミサのための音楽である。キリスト教カトリック典礼には聖務日課とミサがある。聖務日課は日々の祈りの定式。一方、ミサはイエスの最後の晩餐を再現したもので、キリストの「体と血」を象徴する「パンと葡萄酒」を分け合う儀式だ。その式次第は大きく2つのユニットからなり、前半を「言葉の祭儀」、後半を「感謝の祭儀」と呼ぶ。

 ミサの式文はその性質にしたがって2種類に分けられる。その日ごとに決められた式文である「固有文」と、原則的にはすべてのミサに共通の「通常文」だ。この通常文の内、キュリエ/グローリア/クレド/ザンクトゥス(ベネディクトゥスを含む)/アグヌス・デイの5章に付けられた音楽をミサ曲と呼ぶ。大規模なミサ曲は重要度の高いミサには欠かせない。歌詞が同じだから、14世紀以来「作曲家の腕比べ」の舞台としても機能していた(したがって、バッハが《ロ短調》を作曲したのは自分の作曲の腕を歴史に問うためだった、とも言える)。


18世紀のルター派の典礼

 1517年に始まる宗教改革によって、バッハが生涯を送ったドイツのテューリンゲン地方やザクセン地方はルター派の牙城となった。カトリックの教義の多くに改革をもたらしたルター派だが、その礼拝は意外にもカトリックのスタイルを色濃く残している。ルター自身も、初期教会から変化しつつも綿々と受け継がれて来た「儀式」を打ち捨てるつもりはなく、その姿勢はルター派教会の中でも共有された。

 そのひとつの現れが「典礼儀式書」だ。これはルター派の典礼の式次第を定めた書物で、おおよそ領邦ごとに定められた。バッハが晩年を過ごしたザクセン地方では当時、『ザクセン選帝侯典礼儀式書』(1691年ライプツィヒ版)が主に用いられた。そこで、この儀式書に基づいて、《ミサ曲ロ短調》を用いたルター派の礼拝を再現してみよう。礼拝全体の雰囲気と、その中でのミサ曲の働きとを感じていただければ幸いだ。


174X年5月某日 キリスト昇天祭の礼拝

 ここではキリスト昇天祭(2012年は5月17日)を想定して礼拝を再現する。場所はザクセン地方のある都市の教会。優秀な聖歌隊と立派なオルガンとを備えている。復活祭から40日目の木曜日に当たるこの日はすでに初夏の陽気。塔の鐘が鳴り響き、礼拝の始まりを街中に告げる。


【言葉の祭儀】

〔オルガン前奏〕バッハ《プレルディウム ハ長調》BWV547

〔聖歌隊による賛歌〕《キリストの昇天》(『賛歌傑作選集』ニュルンベルク, 1747年)

〔オルガン〕バッハ《キュリエ, とこしえの父なる神よ》BWV672

〔聖歌隊と管弦楽〕バッハ《キュリエ》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) キリエは神への呼びかけ。「憐れみたまえ」と訳されるが、実際は礼拝の始めにあたり神への呼びかけを行っている。

〔カントルによる先唱〕《グロリア・イン・エクツェルシス・デオ》(グレゴリオ聖歌)

〔聖歌隊と管弦楽〕バッハ《グロリア》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) ルカ2:14を冒頭に据えた「栄光の賛歌」。父なる神と子なるキリストへの讃美を歌い上げる華々しい曲。

〔集禱〕「我ら祈るべし Oremus」…「然り Amen」

〔使徒書朗読〕使徒行伝 第1章 第1〜11節

〔会衆によるコラール〕ルター《いまぞともに喜べ, 愛しきキリストの徒よ》(1523年)

〔福音書朗読〕マルコによる福音書 第16章 第14〜20節

〔カントルによる先唱〕《クレド・イン・ウヌム・デウム》(グレゴリオ聖歌)

〔聖歌隊と管弦楽〕バッハ《クレド》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) ニカエア信条。聖書の言葉を受けて一同がその信仰を告白する。父・子・聖霊、教会、洗礼、甦りに言及。

〔会衆によるコラール〕ルター《我らひとつなる神を信ず》(1524年)

〔一同〕「主の祈り

牧師による説教〕使徒行伝 第1章 第1〜11節より

〔会衆によるコラール〕ルター《ただキリストの昇天にのみ》(1529年)


【感謝の祭儀】

〔叙唱〕司祭が「心を高く挙げて Sursum corda」と朗唱し、聖歌隊が「つねに汝を讃えて言わん… sine fine dicentes: 」と昂揚して閉じる。

〔聖歌隊と管弦楽〕バッハ《ザンクトゥス》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より)、《ベネディクトゥス》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) 「汝を讃えて言わん」の言葉を受け、天使の合唱として歌われる「感謝の賛歌」。通常文中、最古とされている。

〔聖体設定の言葉〕ここで「パンと葡萄酒」がキリストの「体と血」に変容する。

〔配餐〕洗礼を受けた信徒が聖餐を受けるため進み出る。

〔聖歌隊と管弦楽〕バッハ《アグヌス・デイ》(《ミサ曲ロ短調》BWV232より) 「神の子羊」の意。配餐中に歌われる。「子羊」はキリストの体=裂かれるパンを表している。

〔聖体拝領の言葉と祈り〕

〔祝福〕

〔聖歌隊による賛歌〕《キリストの昇天》(『賛歌傑作選集』ニュルンベルク, 1747年)

〔オルガン〕バッハ《フーガ ハ長調》BWV547

             

写真:ドレスデン・聖母教会(2005年10月30日の献堂式)

2012-05-17

[] アン・アキコ・マイヤース ヴァイオリン・リサイタル


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*今回から新シリーズ【過去の批評】を始めます。音楽専門誌に発表したものをこちらで順にご紹介。

 アメリカのヴァイオリニスト、マイヤースがピアノ伴奏に江口玲を迎えリサイタルを行った。バッハからベートーヴェン、シュニトケを経て1981年生まれのチュピニスキに至るプログラム。そこに瀧廉太郎、宮城道雄の日本近代音楽を加えた多様な構成だ。

 どの曲でもマイヤースは「滑らかな演奏」を目指す。ほぼすべての音を切れ目なくつなげ、そこに大きな振幅のヴィヴラートを常にかける。そんな「滑らかな演奏」とは裏腹に音楽の流れ自体は不自然なところが多い。大きな原因はその和声感にある。和声は緊張と緩和とを繰り返しつつ進行する。緊張すべきところで緩和し、緩和すべきところで緊張しては調性音楽は自然に響かない。

 和声感の点で江口の伴奏は優れていた。とりわけベートーヴェンの「春」での活躍は、この曲を「ヴァイオリン付クラヴィーア・ソナタ」と勘違いさせるほどだった。(1月13日 紀尾井ホール)

初出:「音楽現代」2012年3月号

2012-04-17

[]「かすがい」を密かに打つ ー カンブルラン&読売日本交響楽団


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読売日本交響楽団 第514定期演奏会

2012年4月16日 サントリーホール

指揮 シルヴァン・カンブルラン

ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》

ドビュッシー バレエ音楽《おもちゃ箱》(管弦楽編曲 キャプレ)

ストラヴィンスキー バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版)



 場面を描き出す。言葉なら「前景から後景へ」など何らかの優先順位に沿って線をたどるように記述する(せざるを得ない)。音楽は言葉と違って具体的な描写は不得意だけれど(たとえば「赤い」は音でどう表現すれば良いだろう?)、出来事の同時進行を表現するのは得意だ。オーケストラならば、いくつかのパートでまちまちに違った旋律/リズムを演奏する、といった形で実現できる。だから、言葉の線的な時間性よりも、音楽の立体的な時間性の方が現実のそれに近いと言える。

 現実ならば同時に存在するいくつかの事柄が、相互に無関係のままであり続けることが出来るけれど、音楽だと少し厳しい。なぜなら、5つのパートが相互に無関係な音を出し続けるのなら、それは1曲を演奏しているのではなくて、5曲を同時に演奏しているだけだから(そういう音楽もあり[得]ますけど、もちろん)。楽曲という代物には、同時進行を描く特性はあれど、それを放置したまま進むわけにはいかない事情があるというわけだ。すくなくとも20世紀の前半くらいまではそうだった。

 だから、出来事の同時進行を巧みに描く《ペトルーシュカ》を演奏する際の肝は、同時進行を同時進行として描く、ということよりもむしろ、同時進行として描きつつどこかで/何かで関連させる、というところにある。要素をくっつける「かすがい」が必要というわけ。

 前置きが長引いたけれど、カンブルランは「かすがい」が何か分かっていたし、それをこの上なく効果的に使っていた。というよりも、カンブルランのおかげで「かすがい」の重要性に気付かされた。《ペトルーシュカ》における「かすがい」とはつまり「音の下ごしらえ」のこと。ヴィオラやホルンが和声の埋め草として働いたり、弦楽パートが下地作りーたとえばアルペジオを弾きまくるなどーに専念したりする、あの「音の下ごしらえ」。カンブルランにかかるとこの「下ごしらえ」がどこかに埋没したりしないし、かといって前景にしゃしゃり出たりもしない。

 これはバロック期の通奏低音に似ている。しっかりとした、しかし出しゃばりすぎない通奏低音によって、バロック音楽には息が吹き込まれる。それと同様、「音の下ごしらえ」の確かさによって《ペトルーシュカ》の同時進行性は確保され、その副作用まで緩和される。多彩な場面がおのおのにガチャガチャ鳴っているだけだったり、逆にバラバラになるのを防ぐために1つ要素で塗りたくったり、という凡百の指揮者が陥りがちな罠に、カンブルランは嵌まらない。場面の多彩な様子とその場面の有機性とが、音楽に乗っていっぺんに迫ってくるのだ。

 カンブルランはそうとう「古楽アタマ」の人なのだな、とかねてから感じる。昨年のベルリオーズ《ロミオとジュリエット》と言い、今回の《ペトルーシュカ》(《牧神》も!)と言い、(考え方としての)古楽アプローチをしている、と思うと腑に落ちることばかりだ。カンブルラン&読売日本交響楽団で、バッハの《ロ短調ミサ曲》が聴きたいなあ。従来のモダン・オケとは大いに違う、そして古楽オケとも違う、しかしバッハの本質を外さない《ロ短調》が出てくるかもしれない。

追記:2月6日に同じオーケストラで《ペトルーシュカ》を聴いたのを思い出した。少しも良いと思わなかった。なぜか。「多彩な場面がおのおのにガチャガチャ鳴っているだけだったり、逆にバラバラになるのを防ぐために1つ要素で塗りたくったり、という凡百の指揮者が陥りがちな罠」に沼尻が嵌まったからだよ、もう!。

2012-04-14

[] ボヘミアをめぐる普墺戦争 ー アルミンク&新日本フィル


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2012年4月14日(土)

新日本フィルハーモニー交響楽団第492回定期演奏会

クリスティアン・アルミンク(指揮)

マティアス・ヴォロング(ヴァイオリン)

スーク《組曲「おとぎ話」》作品16

ドヴォルジャーク《ヴァイオリン協奏曲 イ短調》作品53

ヤナーチェク《組曲「イェヌーファ」》ブライナー編


 東欧と聞いて我々は、域内の国名程度は言えても、細かい地域差をイメージするのは難しい。たとえばチェコは「ボヘミア地方」を意味する言葉で、それが国名になっているけれど、国内には他に「モラヴィア地方」と「シレジア地方」とがある。この日のアルミンクは、我々日本人には馴染みの薄いそんな微妙な地域差を、音楽で描き分けようと試みたが、上首尾とはいかなかった。

 実のところ、このテーマを扱うのにアルミンクは最適の人物だ。というのも、彼はヴィーンの生まれだから。ヴィーンと言えばオーストリア帝国の古都。各民族の自決を認めることで反乱を押さえ、結果として広大な版図を治める。これがハプスブルク家の帝国支配の要諦だった。日本人ならば「チェコ」とひとくくりにしてしまいがちなこの地域だが、ヴィーン人にとってはその内部の地方差こそ重大な関心事なのだ。だからこの日のプログラムは、旧宗主国出身のアルミンクが、東欧の事情を弁えぬ日本人にチェコの地域色の豊かさを教える、という何とも興味深いものだった。

 ところがこれが上手く行かない。不首尾はドヴォルジャークの《ヴァイオリン協奏曲 》に最もはっきりと現われた。この曲でソリストを務めたヴォロングは、「美しい音」と「たしかな技術」が身上のヴァイオリニスト。裏を返せばそれだけの音楽家だ。均質な「美しい音」にベッタリと塗り込められた演奏は、和声の緊張と緩和をほとんど無視して進んで行く。地方色豊かな舞曲のリズムも通り一遍の硬直ぶり。一方でアルミンクとオーケストラは、和声の緊張と緩和をしっかりと描き、舞曲のリズムを活き活きと表現しているのだから、その齟齬は大きい。ヴォロングはこの曲のソロパートをすらすら弾ける、というだけ。音楽もへったくれもない。グァルネリの音なんかに騙されないぞ。

 だが待てよ。この「失敗」は何とも興味深いではないか。だってヴォロングはベルリンの人だ。つまりプロイセンの古都の出だ。プロイセンの他国支配の原則は「力でねじ伏せる」というもの。アルミンクの「ハプスブルク流」とは相容れるはずもない。つまりこの協奏曲の演奏は、ドヴォルジャークの故郷ボヘミアを舞台に、地方色を精緻に描き出そうとしたアルミンクの「ハプスブルク流」と、均一の流れで曲をねじ伏せようとしたヴォロングの「プロイセン流」とが覇権を争った「普墺戦争」だったのだ!

 結果は本歌の普墺戦争の通り、プロイセンの勝ち。ただし音楽的には何の成果ももたらさない勝利だ。悪貨は良貨を駆逐する。こうして、旧宗主国の矜持を打ち砕かれたアルミンク。企画もよかったし、オーケストラの演奏もすてきだった。しかし、そんな繊細さは「プロイセン」の前にはもはやなんの力も持たないのか。頑張れヴィーン、頑張れアルミンク!

2012-04-06

[] 2011年度〈柴田南雄音楽評論賞〉本賞受賞!


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 このたび、アリオン音楽財団 より2011年度〈柴田南雄音楽評論賞〉を頂戴しました。この賞は音楽評論の新人賞で、旧〈アリオン賞 評論部門〉の時代から現在までに18名が奨励賞を受賞しています(1996年に〈柴田南雄音楽評論賞〉へと改称)。

 わたくし、この賞を戴くのは2度目です。前回は2007年度奨励賞を受賞。今回は幸いなことに本賞を賜りました。過去23年間、出ることのなかった本賞が、24年目(15回目)の今年とうとう出て、しかもそれが自分の元に来る……。少しプレッシャーを感じます(汗)もちろん、大変大変ありがたいです。

 受賞作は演奏会評「新日本フィル第481回定期演奏会」、同「オノフリ・リサイタル」と、音楽評論「『古楽』の将来ー寓話と解題」。以下のサイトでご覧になれます。これを励みに、今後も著述に専心いたしますので、みなさま何卒よろしくお願い申し上げます。

http://www.arion-edo.com/guide/2011shi.html