写真は北陸の立山の媼堂の姥神神像である。子どもが泣き出しそうだ。魁夷な外見ながら人びとを守る神である。このような姥神の信仰は日本各地に残されている。
研究の先鞭をつけたのは柳田国男翁である。
『日本の伝説』ではこんな解説を残している。子供向けの説明である。つまりは、後代の我らむけのメッセージでもあった。
姥神はまた子安様ともいって、最初から子供のお好きな路傍の神様でありました。それがだんだんに変って来て、後には乳母を神に祀ったものと思うようになり、自分が生きているうちに咳で苦しんだから、お察しがあって子供たちの百日咳も、頼むとすぐに救うてもらうことが出来るように、信ずる人が多くなったのであります。
しかし、足柄山の金太郎伝説では「やまんば(山姥)」が金時の母であるというのを知ると少々見方が変わってくる。この事例を考え合わせると、巫女の存在を、そしてその末裔としての遊女の存在を重ね合わせてもいいだろう。
中世の『職人歌合』における巫女のイメージを差し込んでおこう。その相貌は奇妙に似ているではないか。
平安時代の日記文学の一つ『更科日記』では主人公が上総から都に旅する一夜の宿が足柄になっており、そこで雅な芸能民の女性たちに遭遇する。彼女たちは足柄明神の参道に住まう遊女たちと想像されている。その中から、金太郎伝承につながる女性が出たのであろう。
彼女らの生み出した歌謡が西日本に伝わり、「今様」のなかに取り込まれる。「東歌(あずまうた)」というジャンルができる。
『翁の発生』で折口信夫がその経緯に触れている。
足柄明神の神遊びは、東遊びの基礎になつた様です。此神遊びを舞ふ巫女が、足柄の山姥です。神を育てるものとの信仰が残つて、坂田金時の母だとされてゐます。其に、此山姥の舞は、代表的の「山舞」とせられて、東遊びと共に、畿内の大社にも行はれました。
「山姥の舞」を舞うのは巫女であったが、それも中世以降に芸能民としての白拍子たちである。
なかでも「足柄」は重要な歌謡で大曲であったらしい。後白河院が感激し、白拍子たちと交流することになる。それが『梁塵秘抄』に残る。また、能楽にも伝わるのだ。
【参考文献】
金太郎の母を探ねて 母子をめぐる日本のカタリ (講談社選書メチエ)
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山姥の神話学を展開しているのが吉田敦彦である。この博学な比較神話学者はハイヌウェレ型の原型を探り当てている。
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「姥神大神宮」なるものが北海道の江刺にもあるのは驚きだ。