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2010-03-17 古本夜話27 北島春石と倉田啓明

[]古本夜話27 北島春石と倉田啓明

山崎俊夫とホモセクシャル小説、及び慶應義塾と『三田文学』からなる連環で思い出したのだが、山崎と同時代の作家で、同様の文学環境を経て、同じ傾向の小説を書いた人物がいる。その名を倉田啓明という。

倉田啓明を知ったのは、桜井書店の桜井均が出版を廃業してから、二十年近くなる昭和五十三年に刊行した『奈落の作者』(文治堂書店)においてだった。これは随筆集で、倉田をさす「奈落の作者」一編が冒頭に置かれていて、それがそのまま表題となっているのである。このことは桜井の長年にわたる出版生活においても、倉田の印象がかなり強く残り、後年になってこの回想に結びついたと考えられる。

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桜井は赤本の春江堂の店員だった大正時代に、北島春石のところに出入りしていた。春石は尾崎紅葉の門にあった硯友社派の小説家であった。紅葉の死後、彼は柳川春葉の弟子になり、二流の小説家だったが、筆は立つので多くの小説を書き、代作もこなしていた。春葉の大当たりをとった新聞連載小説『なさぬ仲』は春石の代作だった。だが原稿料のことでこじれ、後半は春葉が書くことになったらしい。印税制度も確立されていない、原稿買切時代における二流小説家の春石は夫婦揃って苦労人で、人の面倒見もよいために、自ずと人が集まり、文人たちの溜り場となり、「春石部屋」の雰囲気をかもし出していた。そこに集った文人たちの名前を桜井は列挙しているが、大正文学史に痕跡をとどめていない人物ばかりである。

大正文学史の見取図をラフスケッチすれば、自然主義の全盛を背景にして、学習院と東大系の『白樺』や『新思潮』によった作家たちの時代であり、また一方で大衆文学も台頭しつつあった。その狭間にあって、旧硯友社系の末端の古い小説家たちは消えていく宿命をたどるしかなかった。そしてそれを決定づけたのは、彼らの依拠していた出版社を壊滅させた関東大震災、及び彼らを排除した円本時代の文学全集だったように思われる。しかし赤本屋の春江堂、後に桜井書店を興す桜井、「春石部屋」に集った文人たちの存在もまた、正規の文学史や出版史には記述されていないが、その後の文学史や出版史に異彩を放つ役割を果たしたのではないだろうか。例えば、あの伊藤晴雨や添田啞蝉坊なども「春石部屋」に出入りしていたのである。また言うまでもなく、倉田啓明もその一人だった。

倉田は春石のところに寄宿し、春石から「お啓」と呼ばれ、当時二十九歳で、どこか女性的な感じがした。彼はその才能を発揮し、春石の五つの新聞連載小説の代作者を務めていた。さらに倉田は春石にそそのかされ、『万朝報』の懸賞戯曲に春石の妻の名前で応募し、当選してしまうほどの卓越した才能の持ち主だった。彼はオスカー・ワイルドの影響を強く受けた作家で、同様にホモセクシャルで、大正四年頃までにはそのような作品を何編か発表していた。この「背徳の芸術家」について、桜井は書いている。

 啓明は慶応出で、三田派の作家だった。同じ時代の三田文学に載った「若衆歌舞伎」という百枚程の彼の小説がある。その小説に彼の顚落する萌芽を覗くことが出来よう。そこには歌舞伎の世界に秘められた変態性欲の情痴、稚児たちの生態があやしいまでの官能の筆に描かれている。実在の倉田啓明の姿が、啓明の分身たるその作品の中にあると思えるからである。

まさしく発表誌も含めて、倉田は山崎俊夫の「隣人」ではないか。その後倉田は淫蕩に身を持ち崩し、長田幹彦谷崎潤一郎の巧みな偽作を書き、原稿料を詐取する事件を起こし、文書偽造、詐欺、横領の罪で囹圄の身となる。「背徳の作家の極印を押され、永遠に文壇から葬り去られた」のである。

出獄後、倉田は春石の版元から、ワイルドの童話集の名訳『人魚の海』『幸福の王子』に加えて、獄中記の前編『地獄へ堕ちし人々』を刊行したが、抹殺されて何の反響ももたらされなかった。そして春石は大震災の前年に亡くなり、その後の倉田の所在は不明であると桜井は述べている。桜井はなぜか出版社名を明かしていないが、これは春江堂だと判断していいだろう。倉田の翻訳や獄中話を読みたいと思い、何度も探索してみたが、まったく見つからず、『明治・大正・昭和翻訳文学目録』 風間書房)にも手がかりはなかった。

怪奇探偵小説集

だから倉田の作品は読めないとあきらめていたところ、しばらくして思いがけないアンソロジーに彼の短編を発見したのである。それは鮎川哲也『怪奇探偵小説集』 双葉社、後にハルキ文庫)で、十九編の「幻の傑作ミステリー」の中に「経歴不詳」とされる倉田の「死刑執行人の死」がまぎれこんでいた。ほぼ三十年にわたって、絞首台に立つ死刑囚の縄を引く役目を務めてきた、六十歳を過ぎた監獄の看守の自らの縊死が、刑事被告人として収監されていた「わたし」によって語られ、その死がマゾヒストの女囚の死刑に触発された、これもまたマゾヒストの死の快感を味わおうとした看守の幸福な死だと推理づけられ、この短編は終わっている。倉田的な異色のマゾヒズム小説と見なせよう。

鮎川の解題によれば、この短編は『新青年』の大正十五年一月号に掲載され、その他には『犯罪公論』や『サンデー毎日』にもいくつかの作品が発表されているようだ。春石と死に別れ、桜井から消息を絶った後、「怪奇探偵小説」などを書き継ぎ、しばらくは生き永らえていたとわかる。しかし「春石部屋」というトポスを失い、昭和を迎えて、倉田はどのように生きたのだろうか。

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