29日―病院見学初日

病院見学のため静岡へ。


初日は神経内科を希望したら、ちょうど先生が回診中で、ついて回る事に。
たまたまスタッフが少なく、検査もない日だったそうで、あまり見せてあげられないと先生は恐縮されていたが、その先生が脳血栓溶解治療の第一人者で、その話を聴くだけでも充分面白かった。


夜は研修医の先生と新静岡駅前の繁華街で飲み。
なんかアツい人が多かった。w

30日―病院見学2日目

2日目は循環器内科。


私と、この日から見学に来た1つ上の先輩、それに三重大学の5年生が循環器を希望していた上に、午前中目立った活動がなかった外科から流れてきた破壊神君までが加わって、大所帯での心臓カテーテル手技見学となった。


ここでカテーテルを挿入しているのは、医師免許を取得してまだ4ヶ月の研修医だった。勿論、ベテラン医師が付き添っての施術だが、一般的に大学病院なら4〜5年目でやっとやらせてもらえるような手技に1年目の医師が携わっている光景は衝撃的であり、ベテラン医師もこの病院のそういう研修体勢を誇りにしているようだった。
午前・午後を通して研修医が1人、我々について説明してくれたのだが、その先生もうちの大学のOB。なんだか三重大の彼には肩身の狭い思いをさせてしまい申し訳なかった。w


終盤は救急外来を見学したが、その前に先生が言っていた「市中診療所が閉まり始める夕方になると途端に患者が増える」という状況を実際に見る事ができた。



この日も2人の研修医の先生に病院最寄の居酒屋に連れて行ってもらったが、その先生が共に本学のOBで、三重大の彼は体調不良でこれには参加せずに帰ってしまった為、東京の大学の関係者ばかりが静岡の飲み屋に5人も揃うという、冷静に考えればちょっと異常な事態になった都合で、飲んでる最中も内輪ネタ全開。www


この日は破壊神君を最終の新幹線に乗せる為、1時間少々でお開き。ゲリラ豪雨の中、先生方の見送りを受け、タクシーで静岡駅へ。新横浜へ向かう破壊神君と別れ、同じ神奈川県民であるはずの私は、逆方面の列車でこの日の宿・焼津黒潮温泉へ。w

31日―四国入り

初電の次便で焼津を出て一路西へ。まぁ豊橋で目の前の新快速をやり過ごして名鉄ホームへ向かった行動を以って“一路”と呼ぶかどうかは別として。w


関西本線経由で久宝寺へ向かい、おおさか東線で放出へ抜けてJR完乗タイトル防衛。
当初は阪神地区でゆっくりしてから、夜行フェリーで高松へ向かう予定だったが、ゲリラ豪雨が怖いので31日のうちに列車で四国入りしておく事にし、坂出で「四国再発見きっぷ」を購入した後、伊予三島まで動いて泊。

1日―山越え

前日に買った「四国再発見きっぷ」で旅行スタート。


と、新居浜に着くなり隣のボックスに座っていた高校生が財布を忘れたまま降りてしまい、他人事ながらやきもきいしていたところ、列車が発車する前に気付いたようで、車掌に付き添われて取りに来た。肝冷やしただろうな、あの高校生。w



松山からはJRバスで久万高原を越えて高知へ向かう。当初は高速バスを使おうとも考えたが、折角この切符でJRバスに乗れるのだからとこちらに決めた。
大街道の伊予鉄平面交差を通過する振動を味わいたかったので、路面電車に乗って松山市駅で郊外線に乗り換え、伊予立花からバスに乗る事に。


次々に往来する伊予鉄バスに交じって1日10本程度運転されるものの為に、JRバスの停留所標も小ぢんまりと置かれていた。



バスは砥部町の中心部を過ぎるとまもなく急勾配に差し掛かり、標高720mの三坂峠を越えて仁淀川の流域に入ると、久万へ向かって緩やかに下り始める。
久万は高原の町らしい情緒を湛えているが、この日は昼前の時点で既に30℃あり、じっとしてても汗が出てくる気候だった。それでも折角来たのだからと途中下車し、町役場から1.5km離れた大宝寺へ参拝して次のバスまでの時間を潰す。


 



高知県との県境に近い落出でバスを乗り継ぎ、高知平野へと下る。
佐川からJR・土佐電・バスを乗り継いで高知市の桂浜に行ったものの、時間が遅すぎて食堂も土産物屋も閉まっていた上に、帰りのバスを待っている間に雷雨に見舞われ、散々だった。

2日―自然のパワー

土佐電で後免町へ移動し、これで今回の主目的ともいえる土佐電鉄の完乗も果たす。
JRの駅へ向かうと、土佐山田行きの列車が来たので、とりあえず乗車。土佐山田駅で観光案内を見ていると、「神母神社の大楠」という気になる記述を発見。次の阿波池田行きまでは時間があるし、ちょうどよくそこへ向かうJRバスが来るので、見に行ってみる事に。



地図を頼りに行って見ると、物部川の左岸の民家の裏手に小ぢんまりと佇む社の脇で枝を広げる巨木を発見。写真左下の軽トラックと比較すると、その大きさが分かる。
ちなみに「いげじんじゃ」と読むらしい。



土佐山田駅に戻り、列車の旅を続ける。
途中、大杉駅で駅名の元ともなった杉を見る為に途中下車した後、更に大歩危まで移動して、バスで祖谷のかずら橋へ。



 


横から見ると大した事なさそうだが、下から見るとなるほど高く…




実際に渡ってみるとちょっとコワい。www




この日はそのまま高松まで直行して泊。大歩危駅で行きのバスに乗った時からずっと一緒だったオバチャン2人組が、阿波池田で降りて行った。
途中、秘境駅として有名な坪尻で、どうみても同業者な人達が1人ずつ乗り降りした。私も降りてみたくなったが、流石に次の列車まで3時間待つ気にはなれなかった。w

3日―聖の高みへ

高松市内のネットカフェを出て、城跡を軽く回った後、栗林公園へ。
朝だというのに強い日差しで頭が痛くなりかけたが、この景色を見せられては痛みも忘れるというもの。



いわゆる日本三大庭園には全部行った事があるが、正直これはそれらより上ではないかと。


ここから琴電に乗り、滝宮神社参拝の為に滝宮で途中下車した後、琴平へ。



荷物をロッカーに入れ、こんぴらさまの長い石段を上る前に腹ごしらえと、駅前の讃岐うどん屋に入ったが、ここがとんでもないハズレだった。大して美味しくもないのに値段だけは高い―
食事処なんて参詣道の沢山あるのだから、焦らずにそこへ行けばよかった。




何にせよ、汗で奪われた塩分を程よく摂取した所で、石段に挑む。






150段くらい上ったところで、声を上げながら私の前に立ちはだかる人影が。一体何事だ…










昨日かずら橋で一緒だったオバチャン達が上から降りてきたよ。www





こんな偶然ってあるものなんだね。とはいえ思えば一昨年、北海道のふるさと銀河線の乗った時も似たような事があったっけ。w



途中、疲労困憊で引き返したいと漏らしている人を何人か追い越しながら、麓から785段を上って本宮に到着。
合掌し、この高台からの眺めをひとしきり堪能した後、「せっかくここまで来たのだから」ともう一踏ん張りして奥社まで更に上ることにする。


ここから先へはより一層健脚自慢の人がやってくるせいかみんな足取りが速いので、本宮までのようにスイスイと人を追い越すような事はせずに周りと同調して上っていく。
もっとも、大門をくぐってからは聖域であるが故に自販機等が一切なく、ここであまり頑張ると飲み水が底をつきそうだという危機感もあっての事だったのだが。(^^;



奥社では御守りを購入。麓から1368段を上ってきて手にした御守りなだけに、何となく御利益がありそうな気がする。w



この日は流石に歩き疲れたので、早めに岡山の宿に入る。

4日―友の故郷へ

途中、尾道で下車し、1時間ほど街と寺社を見て歩き、じゃけん君との待ち合わせ場所である呉駅へ。
この日の朝に東京を新幹線で発ち、呉に帰郷したじゃけん君と駅で合流。一旦彼の実家に荷物を置かせて頂き、彼の案内のもと市内観光をする。


正直、あんなに大きな街だとは思ってなかった。
以前呉線に乗った時は、通り過ぎただけだったし夕暮れ時だったからよく分からなかったので。


夕飯はじゃけん君のお母様の手料理をご馳走に。m(__)m