白子宿〜膝折宿
13:45、白子宿に到達。
白子宿で一際荘厳な佇まいの冨沢家。宿場周辺には「冨沢」という表札の家が沢山ある。
ちなみに、この近辺でその次に多く見たのが、私と同じ苗字の家だったw
坂を上り切り、外環道をオーバークロスしてからは、大和田宿の先まで現在のR254の北側に沿って走る県道を主に行く。本町小学校の先で更に右に分かれる旧道に入った所で、和光市から朝霞市に変わる。
左が県道、右が旧道。県道脇の建物が朝霞警察署で、その裏に国道が通る。ここから旧道を進むと…
ハンパない斜度の急坂を下りる。写真はそれを振り返ったところ。昔は数人で押さなければ荷車が上がらなかったというが、そりゃそうだ。
下り切ると県道に再合流し、膝折の宿場へと入る。
膝折宿〜大和田宿
14:45、白子から1時間で膝折宿に到達。
元々は今の東武東上線がこの区間に沿って建設される予定だったが、志木の豪商による誘致の影響で、そのルートから外れてしまった両宿。そのせいかどうかは知らんが、所々で時代を感じさせる構造物に出会えた。
膝折宿内、黒目川を渡ってすぐの旧道沿いにある、土蔵を備えた旧家。橋の手前からこれが見えた時は思わず息を呑んだ。
宿場の川越方外れ付近にある庚申塔と、その近くの旧道沿いにある土蔵。この土蔵の所有者もまた、私と同じ苗字―
白子宿同様、膝折宿の切れた先も急坂であり、この坂に当たる旧道が朝霞市と新座市の境になっている。上のような細道を経て、県道に合流する。
貴重な玉川上水の水を、一大名の領地に引き込む為に造られた野火止用水の存在は、500石の小姓から75000石の大名にまで駆け上がった川越藩主・松平信綱が幕府から信頼されていた事を物語る。
そういえば、アトムって新座市の特別市民なんだっけw
大井宿〜川越城下
16:25、大和田から55分で大井宿に到達。
大井宿の南端であるこの場所に、治安維持を主目的とした木戸が設置されていたらしい。ここから緩やかに下りながら大井宿の中心に入っていく。
大井宿新井本陣跡。川越藩の大名行列はその日のうちの江戸まで行ったので、ここは宿泊地でなく休憩場所として利用されたそうだ。現在はこのように普通の民家のような佇まいになっている。
大井小学校の敷地内に建つ旧大井村役場の建物は、国の登録有形文化財だそうだ。
大井総合支所入口交差点に建つ「角の常夜灯」。ここで川越街道と直角に交わるのは大山道の一つだそうだが、詳しい道筋が分からない。所沢辺りで鎌倉上ツ道にでも合流して、南町田辺りで大山街道に入ったのだろうか?
国道に合流後、亀久保交差点の先にある道程標識には、川越街道に繋がる児玉往還の終点「藤岡」の文字が。
川越から63kmなら、2日もあれば制覇できるな― などと思ったり思わなかったり。
道程標識から700m程で旧道への分かれ道が。この分岐点を境に、遂に川越市に。心なしか歩くスピードが増す。
川越市藤間の旧道。江戸時代の川越街道の道幅は6m程度だったそうなので、この辺りは概ねオリジナルに近いのではなかろうか。
さすが川越。老人福祉施設までもがこんな感じ。
アップダウンのある街道筋をよそに、悠々と新河岸川を遡って来た船便の荷物も、ここで荷揚げされるので―
そして市街地に入ってからが地味に長い。その間、良い佇まいの建物がいくつもあるが、中でも松江町の田口家と丸ポストのコンビは画的に素晴らしい。田口家は市の指定文化財だそうだ。
街道は、川越観光の中心である“蔵のまち”より1本東側を通る為、かの時の鐘もこのようにチラッと見える。
便利すぎるATM群がある市役所前交差点を左折すると、180m程で札の辻の到着する。18:20、大井から1時間55分、成増駅から4時間50分だった。
この先、川越街道は児玉往還と名を変え、上州藤岡まで繋がっている。
ここを歩く日がくるかどうかは分からないが、ひとまず今日は蔵のまちを通って川越駅から帰る事とする。