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咢が王様なパラレル小説です。 1 2 3 4 5 6 7

「んー…」
 暑い。薄い布団を蹴飛ばすと、亜紀人は敷き布団の、少しでも冷たい場所を求めてごろごろと転がった。しかし、どの部分もお日様に干したばかりかのように、生温い。しばらくそうしてもぞもぞ動いたのち、とうとう耐えきれず亜紀人は起き上がった。
「あーもぉ、あつい!」
 冷え過ぎては体に悪いからと、就寝後数時間でエアコンが止まるように設定しておいたのだが、今夜は暑すぎた。部屋中に重く湿った空気が充満している。亜紀人は枕元のリモコンを探して手を伸ばした。なかなか見つからない、暑い。爪の先に固いものがあたる。そのまま指先でたぐりよせる。
 やっと手にしたリモコンで冷房を再開すると、亜紀人はふーと息を吐き、寝間着にしているTシャツを臍の上辺りまで捲り上げて仰向けになった。体も布団も、なかなか冷えない、暑い。もうパンツ一枚になってしまおうかと思った所で、客人がいる事を思い出した。
(いけない。しかも思いっきり目上の人なのに)
 慌ててお腹を隠し、こんなに暑いのに起きないのかな、と、隣で眠るかつての主君のほうを向く。
「え」
 買ったばかりの客用布団の上は、もぬけの空だった。
「え、え…ええ!?」
 亜紀人は飛び起きて電気を点けた。時計を見ると、時刻は2時半を回ったところだった。改めて身部屋中を見渡しても、やっぱり彼は居ない。それほど広い部屋ではない、というか狭い。急いでトイレと風呂場を確認するが、どこにも居ない。
 小柄な彼ならすっぽり入ってしまえそうなクローゼット、押し入れ、食器棚、まさかとは思うが洗濯機の中。
 王様が、居なくなってしまった。
 少しづつ冷えていく部屋の空気に合わせるように、亜紀人の顔から血の気が引いていった。


 落ち着け。王は日本には慣れている。自販機でコーヒーを買っていた、最低限の生活能力はあるはずだ。何か欲しいものがあって、コンビニにでも行ったのかもしれない。初めての部屋で寝付けなくて、散歩にでも行ったのかもしれない。
(お昼にあんなに寝るから、夜眠れなくなるんだよー!)
 亜紀人はぐっと親指の爪を噛むと、脳をフル回転させた。考えろ、自分が就寝してから約3時間。その間に王は姿を消した。
 一体、何が起こったのだろうか。王が人を困らせて喜ぶはずはない。
 人を困らせて喜ぶ…喜ぶ…
 今日一日で見た、彼のいろんな表情を、言動を思い出す。
(思いっきり、喜びそうなタイプだよー!!)
 亜紀人は頭を抱えた。しかし、こうしていても仕方が無い。待っていれば戻ってくるかもしれないが、何か事件に巻き込まれた可能性もゼロではない。出来るだけの手は尽くして、亜紀人の手に終えない事態が起こっているようなら、大使館に連絡して、警察を…
(馬鹿、駄目っ。王が日本でフラフラしている事が知れたら、大問題だよ)
 パニック状態の亜紀人の脳裏に浮かんだのは、眼鏡の奥で切れ長の目を細めた、あの笑顔だった。
『出家されたら、王はもう一生、柵の無い牢獄の中で生きる運命です。最後に、僅かな間だけでも、人間らしい暮らしをさせて差し上げたいのですよ』
 まさか、逃げたのではないだろうか。自分の運命に絶望して。
 否、それはない、亜紀人は確信していた。自国のために若くして人生を投げ打った人だ。人を困らせて喜びそうではあるが、無責任なことはするはずが無い(矛盾しているが)
「そうだ、鍵!」
 王には部屋の鍵は渡していない。自分の意志にせよ第三者の力が働いたものにせよ、王が部屋から外に出たなら、鍵が開いているはずだ。
 急いで駆け寄った玄関のドアには、鍵はきちんとかかったままだった。チェーンも。亜紀人はますます混乱して、へなへなとその場に座り込んだ。
 密室失踪。
 どうやって彼はこの部屋から外に出たというのだ?