不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

蜂の巣にキス/ジョナサン・キャロル

 作家であるぼくサミュエル・ベイヤーは、スランプを脱すべく、少年期の自分が川で死体を発見した美少女ポーリンのことを書こうとする。生まれ故郷に行き、今は警察署長となった悪友と交友関係を復活させるぼく。しかし、取材するにつれ、ポーリンの死には何かが隠されているように思えてくるのだった……。一方、ぼくはサイン会で愛読者として来たヴェロニカと恋に落ち、一緒にポーリンの死を調べてゆくことになる。そしてそこに、ぼくの愛娘キャサンドラも絡んで来て……。
 今回は、完全にミステリ。ホラーやファンタジーの要素はない。しかし、物語の要所に埋め込まれた、人間の心の闇に潜む何かが、クライマックスに向けて徐々に姿を現してゆくような感興があって、ここら辺の不気味な情感は完全にいつものキャロル、素晴らしいキャロルである。ミステリとしての出来栄えもなかなか堅牢であり、ガチガチの本格としてはともかく、スリーピング・マーダーものとしては水準を優に超えるものと言えるだろう。だが最も素晴らしいのは、男と女、父と娘の姿が、感情の襞に至るまで精妙に描き込まれているということだ。やはりキャロルはキャロル、いい仕事をしてくれているのである。
 とは言いつつ、キャロルの素晴らしさを理解するには、やはりダーク・ファンタジーと呼ばれているような分野の作品を読んだ方が手っ取り早いようにも思う。「キャロルが書いたミステリってどんな感じなんだろ?」という興味を持てる人が読めば、快楽をもたらしてくれる作品と言えるだろう。

火薬船/海野十三

怪鳥艇 (海野十三全集 第9巻)

怪鳥艇 (海野十三全集 第9巻)

 日本人であることを(偽の葬式まで出して)隠し、壮途を期して出港した商船《平靖号》の冒険を描く。そして偶然ある秘密計画を嗅ぎ付け、それを邪魔することになるのだが……。
 物語は正直中だるみ。大体《平靖号》の所期の目的が明示されないまま終わってしまうので、据わりの悪いこと夥しい。全集でなければ読む価値はない作品といえよう。
 なお、作品の質云々とは全く関係ないが、「火薬船」は明らかに戦意高揚のために書かれた小説で、少年向けにこのようなことが大っぴらに書かれる世相には背筋が寒くなる思いだ。何が怖いといって、日本への自画自賛のベタ誉めもさることながら、外国人(主に西洋人)を憎々しげに描くことで、敵愾心を煽り立てる点が怖い。

ニューヨーク・フィルハーモニック

  1. ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」op.92
  2. チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35
  3. ベルリオーズ幻想交響曲op.14
  4. (アンコール)ビゼー:《アルルの女》第2組曲より《アダージョ
  5. (アンコール)ビゼー:《アルルの女》第2組曲より《ファランドール

 名高いマッシブさ、豪奢な音と指揮者による完璧なコントロール、そして時折顔を出す、リズムやパートバランスでの珍奇な《遊び》。なかなか面白い演奏であった。しかし、何かが足りないような気もする。マゼールが制御し過ぎてオケの自発性を奪い去っているからか、そもそもあんまりやる気がないのか。表現が難しいのだが、《弾むリズム》というものがなくて、本音を言えばムニャムニャという感慨を抱いて帰途に着いた。トスカニーニ・フィルの時は、オケの平均年齢の若さでここら辺をカバーしていたのかも知れぬと、今にして思う。バイチはちょっと粗かったような……。勢いはありましたけどね。