不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団第559回定期演奏会

サントリーホール:18時〜

  1. シューベルト交響曲第5番 変ロ長調 D485
  2. ベルク:ヴァイオリン協奏曲―ある天使の思い出に―
  3. (アンコール)J.S.バッハ:ヴァイオリンのための無伴奏ソナタ第2番イ短調BWV1003より《アンダンテ》
  4. シューベルト交響曲第6番 ハ長調 D589

 今年度の東響定期の通期テーマはシューベルトであり、音楽監督のスダーンは4回登場し、最後の《ザ・グレート》を除く7曲の交響曲を指揮する。これはその2回目であり、5番・6番の間に何とベルクのヴァイオリン協奏曲を置くという意欲的なプログラムである。5月の定期はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番をシューベルト交響曲第1番・4番で挟むという構成であり、そちらに比べると今回は全てウィーン音楽という共通項がある。
 まずはベルクの感想から。シュタインバッハーのヴァイオリンを聴くのはこれで2回目ですが、集中力の高い締まった演奏で楽しめました。無調音楽なので明確なメロディーはなく、ために難解なイメージが付いて回るんですが、知り合いの幼女の死を悼んで書かれ、おまけに完成直後ベルク本人も死んでしまうという曰くつきの曲は、深刻で悲劇的で悲嘆に暮れた祈りの音楽であるわけです。それをしっかりかっちり前面に押し出す演奏になっていたと思います。シュタインバッハーのスダーン指揮の東響は伴奏をしっかり務めておりました。……アンコールのバッハはこの集中力がちょっと弱まっていて蛇足だったかも。一部荒い音も散見されました。
 シューベルトは文句なし! 正直、この2つの交響曲がこんなに快活で愉悦に満ちた音楽だとは思っていませんでした。去年の東響定期の年度テーマはハイドンだったんですが、その際に会得した茶目っ気に溢れた音楽作り*1シューベルトにも適用している感じ。シューベルト交響曲は、《未完成》と《ザ・グレート》を除き、オーソドックスにやると少々もっさりしてしまうのですが、スダーンはリズムや奏法の抑揚を大きくとり、しかもニュアンスは実に細かく付け、これを各奏者にも本当に楽しそうに演奏させることで、聴き手側も笑みがこぼれるような感興を醸し出すことに成功していました。ピリオド奏法も相変わらず決まっています。ビブラートかけまくりの奏法に慣れた上に「それが正しい」と信じ込んでいる人には違和感があるのかも知れませんが、慣れていないことに気を取られて、音楽の千変万化する表情を見逃すのは本当に勿体ないことだと思います。各パートの動きがはっきり聴き取れるのも素晴らしく、特に第6番では、なるほどこのオーケストレイションは《ザ・グレート》に直結するんだなあと実感しました。
 というわけで、スダーンと東響交響楽団のコンビはますます好調でありました。次も期待します。

*1:国内のオーケストラから「茶目っ気」を感じられるのは本当に稀です。ところがスダーン指揮下の東響に限っては、これがいつものことになりつつあります。これは本当に凄いことだと思います。

20世紀の幽霊たち/ジョー・ヒル

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)

20世紀の幽霊たち (小学館文庫)

 表紙はやや地味ながら、発売後じわじわと支持を伸ばしている短編集である。収録作品数は実に17(数えようによっては18)、フォントサイズはでかいものの、自作解題も合わせて700ページ近くある分厚い本となっている。各編は、ホラーありファンタジーありサイコパスものあり普通小説ありと非常に多彩だが、ド派手な怪奇現象・超常現象・その他大事件をケレン味たっぷりに描くことを主眼に据えているわけではない。代わりに、非常に繊細かつ怜悧な筆致による、濃やかな情感描出が前面に押し出される。登場人物たちの心の動きは、そっとした息遣いの下、非常にクリアに浮かび上がり、我々読者を魅入らせ、感心交じりのため息を誘発するのだ。どの短編が良いか悪いか、という通常なら為されるはずの会話も、『20世紀の幽霊たち』の前では意味をなすまい。ただ敢えてお気に入りを1作だけ選ぶとすれば、やはり「自発的入院」ということになるだろうか。タイトルはやたら無機的な印象があるものの、一種のサヴァン症の弟が地下室にダンボールで作った大迷宮を巡る物語で、奇妙な設定と劇性、そしてどこか寂しげ情感が最も印象に残る傑作である。
 ところで本書を読んでしきりに思ったのは、CRITICA3号に掲載された千街晶之の評論「日常と幻想のグレーゾーン」である。ここで千街は、ミステリにおける《日常の謎》と幻想小説の親和性に着目し、ミステリの世界では「日常と幻想のグレーゾーンを描いた作品群は、反リアリズム志向に基づいているようでいて、逆に幻想小説のかたちでリアリズムを追求」しているのではと推している。ジョー・ヒルの『20世紀の幽霊たち』はいずれもミステリ色が薄いが*1、異界を見る登場人物たちは、日常的感性をもってこれに接していると思しい。つまり、推理小説作家とは明らかに異なるアプローチによるものの、最終的には同じく「幻想小説のかたちでリアリズムを追求」しているのではと思われるのである。……むろん、これは新奇な論でも何でもなく、全く当たり前のことなのだが*2、ジョー・ヒールがこのことを最良の形で実感させることは強調しておきたい。登場人物の視点が、小説が始まる前にも(死ななければ)終わった後にも「生きる」存在のものとして、リアルに感じ取れるのだ。これは作家の力量の証左に他ならない。
 なお作者のジョー・ヒルは、スティーヴン・キングの実子である。「にもかかわらず」と言うべきか否かはよくわからないのだが、親がどうであれ『20世紀の幽霊たち』が素晴らしい短編集であることは事実だ。ホラー好きというよりは、幻想小説ファン・異色作家短編集ファンに強くおすすめしたい。

*1:ただし、誤解されては断じてならないので言っておくが、サイコ・ホラー的な作品は含まれており、これはミステリと思われる。一種のスリルがどの短編でも感じられる、ということには注目したい。ここを衝けば、本書を広義のミステリと主張することも可能だろう。

*2:異界の感性をもって異界を見る、という小説は、作家もまた生きている人間であり文章もちゃんと書ける程度の健全な精神を持つ以上、実質的には執筆不能ではなかろうか。