エロゲが日の当たるところに出ちゃってみんな困っているらしい

どうもはてな界隈ではタイトルのような出来事が起きているようで。
佐藤亜紀さんの日記までブクマやトラバが賑わっている。

佐藤亜紀日記
http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2009/05/2009514.html
■何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。

賑わうブクマ↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2009/05/2009514.html


元日記記事は煽り表現という成分(ロケンロール世界でのパンクなノリな)が含まれている為に釣られたクマーが大量に出てきて、トラバエントリでは煽り文句にマジな批判入れているのまであるようです。

どーもわたくし的には、そもそもが世にあるエロなんてのは興味ないというか、いらないというか、好きではないし、寧ろ近寄りたくないし、更に言えばこの世からなきゃほんとマジにいいよな。と思うシロモノなのであるが、世の中の半分ぐらいの人はそれに大変なニーズを感じているようなので、私のように目の前にあるだけで破戒したくなる衝動の人間と、エロをこのうえもなく愛する人間とが共存出来ないもんかねぇと思ったりします。

こういう光景が浮かびます。

健康に程よくエロい青少年、鬼六君は、ある日の午後近所のコンビニに買い物に出かけました。
コンビニのエロい雑誌が並んでいる棚をみると「清純女子高生レイプ」とかいう身も蓋もセンスの欠片もないタイトルのエロ雑誌を発見し、些か興奮して購入しようとレジに行きました。いつもはやる気のなさげなおっさん店員がいるだけなのでこの時間を狙っていったはずなのに、差し出したレジ内にいたのは、同級生の、憧れの清純な瞳ちゃんでした。
瞳ちゃんの驚愕と、その後の汚いものを見るかのような眼差しにいたたまれなくなり、鬼六君はコンビニを飛び出しました。
鬼六君はその後、学校で大変に肩身の狭い思いをしました。
いつか堂々と鬼畜なエロ小説を書いて偉くなってやると、枕を涙で濡らす日々が続いたという事です。


*)これはたいへんにすこぶるフィクションです、

まぁこういう光景を見ると、鬼六君に同情したくもなりますが、鬼畜エロをコンビニで買うほうが悪い。としか言いようがなく、更にそもそもコンビニでそんなもん売るなよ。そういうのはコンビニの裏手にある自動販売機で売ってくれとか、そういうのがまぁ普通の感想ですな。

今回の件ではそもそもが、そういう売ってる場所が間違ってしまった事故だったらしく、多くの人がそれをブコメで指摘していた様子です。その辺りはよく判る。Amazonに出回ってしまった不幸がそもそもの発端ですね。

で、佐藤氏は、別にエロを撲滅しろとは言っていない。日の当たる場所にあったら瞳ちゃん同様白い目で見るよ、というような主張をしてると思うのですね。だって、世の女の子がエロに寛容過ぎて「清純」がどっかいっちゃうような社会もそれはそれで世の中の健康な青年男子諸君は嫌でしょう。たぶん。

まぁ中には女性はあからさまにエロいほうがいいに決まってる。というちょっとラテンな奇特な人もいるかもしれません。しかし、概ねは閨房ではいざ知らず、普通な人様のいる場所で女の子がエロ全開はやはり嫌だと思う人の方が多いんでは。少なくともロリが流行るような日本の男子はその傾向が強いと思ったりいたします。

で、清純派の瞳ちゃんに向かって、鬼六君が、「何故、汚いものを見るような目で見る?!エロ好きを認めろ。レイプモノを認めろ」などと迫ったらどうなるかと言うと、おそらく清純な瞳ちゃんに「鬼六君はマジ変態、きもい人」などと認定され、あまつさえ、「潜在的レイプ犯、近寄ると危険人物」箱に入れられてしまうかもしれません。男心が分る寛容な瞳ちゃんの女友達も、そんな主張をはじめたら流石に庇えないレベルになること請け合い。

どーもブコメ見てると、悪いけどそんなふうに思えてしまった自分がいます。きっと実存ではやらかさないとは思うんですが、ネットも実存の延長だしなぁ・・・。まぁ、そういうわけで、ネットの時代は色々大変だなぁと思うのと、ほんとは棲み分けが出来るようになるといいと思うのです。裏Amazonとかあるといいのにと思いますね。

正直、健康な青年男子の性的な欲求なんてのはわたくしには判りません。どうしてああもエロが好きなのかさっぱり理解出来ないのですが、同様に、世の青年男子は、エロいモノが同時空間に存在する事すら嫌な女心というモノを理解してくれないなぁと思う事があります。スポーツ新聞のあのエロい面を目の前に出された時の不快感や週刊誌のヌードがすごく嫌だとかそういうのって理解してもらえないんじゃと、日本の実存におけるエロのありようを見てるとちょっとそんな感想を持ってしまいたくなりますね。エロに寛容過ぎると言うか。60年代のラブ&ピースの時代にエロ解禁の主張が反社会的な存在だった頃と比して、まぁ随分とエロには楽になったといいますか、逆にそういうのは嫌だと思う人間にとっては、困った物が目に触れる機会が増えてしまったというか。

で、エロはどーもねというわたくしでも、そんな社会で、流石に耐性は出来たし、芸術的エロならば寧ろ素晴らしいなどと観賞もする。花村萬月の小説もD・H・ロレンスの小説も眉を動かす事なく普通に読む。あきらかに「ずりネタ」として消費される事が目的の品のないものは、どーも受け付けませんが、まぁ、世の中の青年男子には通る道としてのエロは必要なのだろうなと思うぐらいには理解出来るようにはなりましたですね。自分に息子がいて、エロ本、エロビデオ、エロゲの一つも隠し持ってなかったら少し心配になるかもしれません。


しかし、流石に、レイプモノとか、痴漢とか、そういう変態的で社会的に犯罪に入るモノ設定は、わたくしでも、自分の息子が持っていたら、庭の柿の木に縛って、目の前で焚書してやると思う。エロには萌えてもいいと思うけど、痴漢とかレイプのごとき鬼畜なモノに興奮するようなのはマズいと思ったりします。だってレイプとか痴漢ってのは、殿方には判らないかも知れませんが、殺されるに等しいぐらいの恐怖なんですね。痴漢と強姦魔は死刑でもいいんじゃネ?と思ってしまうぐらい、すごく嫌な存在ですからね。それはエロとかというレベルではなく。エロの是非とはまた違うレベルで論じないといけないことかもしれません。

しかし、正直なところ、人間の「性」に於ける興奮のシステムってのはどうなってるのか、未だ謎です。ことに男性のそれは理解出来ない。鬼畜な設定でないと立たな・・・いや、萌えないという困った悩みを抱え、尚且つ実存ではそれをする事は決してしない。という人もいるんだろう。性衝動というのは飼いならすのが大変に困難なモノだというのが現実なんでしょう。

本音を言えば現実世界で噴出しないよう、己を律する強靱さを身につけて欲しいし、「心の中で姦淫するものは・・・」と、どなたかも言っておるので、一番いいのは理性でそれを押さえ込める強さを持って欲しいなどとは思ったりいたします。が、残念ながら人間というのはそう強くもない。だから「鬼畜」も含めた様々な設定のエロは必要悪なんだろうという事までは頭では判ります。ゆえにこの世からエロをすべて無くせというような団体には賛同はしかねます。だけどそれがすこぶる生理的に嫌な存在であると思う人々が多数いる事は判っていて欲しいと思うのですよ。

なので、共存していくためにも気遣いは欲しいなと。

そういうわけで、今回はAmazonに流通した不幸を呪いたいです。

◆◆
表現の自由については、なんつーかその線引きは難しいというか、正直、自由ってのは大切とはいえ、パブリックな場において表現しようとするなら、有無を言わせない技は磨いて欲しいなとは思いますね。すげーエロいけど芸術だ!とかいうくらいの。
表現世界に居る人間としてはそうなって欲しいもんです。ただ消費される為だけのマーケッティングされたような表現はエロに限らず、どんな表現物でもまぁ認めたくないよな。柳の下のドジョウ狙いのくだらないハリウッドもの映画とか、流行りモノを切り張りして創ったようなポップスとか。衝撃的な設定だけが売りのつまらん映画とか。そういうだらけきったのが「表現の自由〜」がどうとか言い出したら、糞して氏ね!とか、言いたくもなります罠。

件のエロゲは見てないんで判らんので、一般論的に。

清志郎だってサイコーのロケンロールな音楽が発禁とか放送禁止喰らっても、戦っていたんだぞ。表現の自由を。戦う価値があるようなレベルのモノで勝負して欲しいです。
つまり、パブリックに出て来ない地下活動的にやるよ、同人的だよとか、秘密結社的だよとか、家の中で篭って独りで愉しむよ。とか、そういう風であるなら文句は言わないよ。でもパブリック的な場所で認めよと主張する場合に於いては、表現物というのはぶっ叩かれる宿命にある事を覚悟せよ。というこったすな。

「すげーエロいけど芸術」の例をブクマカさんが挙げてくれました↓

id:rinsenan BS-hiでやってたバチカンの絵画の番組は凄い良かったんだけど、ちんちん丸出しすぎるだろ、とかミケランジェロの描くゴッドのケツはエロいな、とか思いました。NHK自重しろ

ミケランジェロぐらいになるとエロに確実に煩いバチカンでも「ちんちん丸出しすぎ」や「ケツはエロい」のが認められる模様。エロをパブリックに出したい人は技を磨きましょう。


因みに、ミケランジェロがあのような表現をしたのは、罪なき状態の人間はすべてを隠す事はない。裸を恥じたのは、罪を負った状態からであるという創世記のアダムとエバのエピソードが念頭にあったからである。つまりあの裸体の数々を見てエロいと思う人間の罪(ここでの「罪」はキリスト教ギョーカイ用語なので、人口に膾炙した言葉では「煩悩」のほうが概念が近い)を暴くようなおそろしい代物な絵画であり、それをエロ過ぎるとして、肝心な場所に布を描き足させた聖職者こそ、実は根性がスケベであったと、まぁそういうことですな。
人間とはよくよく煩悩からは逃れ得ぬものよ。南無南無。

◆◆

ブクマに返事書いとく 文章の整理がついてないので、誤解もあるかもしれないし。

一部、私の属性がキリスト教だからどうのこうのと書いてる馬鹿がおるが、そのステロタイプキリスト教徒観をまず捨てろ。宗教を前にすると思考停止するのはよろしくないと思われ。日本の概ねの「無宗教」な人となんら変わりねーよ。「敬虔なクリスチャン」って誰が作ったかしらないイメージを後生大事に持ってるんじゃねーよ。イタリア人が敬虔で倫理的か?それに比したらキリスト教徒じゃない日本人のほうがずっと真面目だ。そして普通のクリスチャンであるわたくしは『ヘルシング』も『聖☆お兄さん』も普通に愉しむ。麻生太郎を見よ。萌え系を愉しんでおるじゃないか。


むしろ、エロを愛する殿方が引っ掛かるとするなら「女」の属性ではないか?
女として、エロは好きではない。しかしまぁ既に普通のエロにはそんなに目くじらも立てない。「清純な瞳ちゃん」のように青臭い年齢でもないしな。青臭い頃はマジに氏ねと思っていたけど。

しかし、レイプや痴漢を行うという設定のエロにはたとえようもない嫌悪を感じるというのは、たぶん殿方には分ってもらえないし、逆にそういうレイプモノや痴漢モノじゃないと立たないような鬼畜エロでないと駄目という心理は私にはわからん。たぶん殿方でもそういう鬼畜モノが理解出来ないのはいると思うし。その辺りはどうなんだろうか?
レイプ行為や痴漢行為を肯定した物を広く世にすべからく認めて欲しいという要求は断固断りたくなる。
認めて欲しくば芸術的にやれと。そういうことです。マルキ・ド・サドとか団鬼六とかな。戦ってきた先人に謝れ!ってなぐらい。

芸術というものの性質の一つに、既存の価値では認められないモノを、広く世に認めさせる。或いは個人的な事柄を一般化せしめる。というものがある。漫画にしても子供の読み物であったものを日本人は大人が絶え得るものにまで昇華させた。ロックには向かないと言われた日本語をブルースにまで昇華させた清志郎はだから評価されるのだ。それをタコ壺に篭らせておかない「共通言語」「共通感覚」を探り表現する行為が芸術である。芸術はアカデミックに偉そうにしているものではない。受け身であってはいけない。

id:NaokiTakahashi そのロケンロール気取りがあまりに古臭いから馬鹿にしてるのに、ロケンロールが分かってないとかお説教されたら萎えるなあとかは思った。

「馬鹿にする」べき煽りに乗った時点でクマー。だとは思うのら。しかし「古臭い」というのは重要な指摘だと思われ。どの辺りが古臭いのか悩ましい。判るような判らないような。

id:zundel 憲法21条には公共の福祉がどうのこうのだの「限り認める」だのは書いてない。「一切の表現の自由は、これを保障する」こう書いてある。「一切の」だ。

そう。だからわたくしは、弾圧する、つまりこの世から無くせなどという団体や論に与などしたくない。
しかしTPOというモノは考えるべきではないかというこった。喫煙者は喫煙所に隔離されて吸え。家までやってきて宗教勧誘をするな馬鹿。というのと同じだ。

問題はネットという空間は棲み分け出来ない辺りかな。同好の士が集っている、本人達からすると閉鎖空間なのに不特定多数にその場が見られてしまう。これは双方共に不幸な構造が起きやすい。インターネットというのは実はマス媒体なので、その自覚を持たないといけないのではあるが。

id:BUNTEN 「鬼六君」に噴いたのだが、誰も反応していないように見えるのはなぜ? (^_^;)

団鬼六は知られてないんでしょうか?
宇能鴻一郎も知らないかも。

id:buyobuyo あたまがわるい id:antonian ばかじゃね?何にスターつけてんだよボケ。憲法21条のどーこに「公共の福祉」なんて文言が入ってるんだよ。/ 調べてから書けバカども。なーんでろくに考えずに発言するの?発言しないと死ぬの?

相変わらず罵倒エナジーが冴えているbuyobuyoさんの指摘ぶくまはこれ↓

id:musokamui 妄想の自由と表現の自由は違うということ。表現の自由憲法にもあるとおり、公共の福祉を有する限りにおいて認められるわけだから。しかし実際のところパブリックな場所に出したら批判に堪えない表現物もある。かと

わたくしがあたまわるいのは認める。脳のハードディスクが少ない。
確かに「公共の福祉」ってのは変だ。条文はこうだ↓

1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

☆つけたのは、福祉がどうこうの部分ではなく、「表現の自由は守られるべきであるが、パブリックな場所に出したら批判に堪えないモノがある」という主旨に対して。

表現物というのは批判される宿命にあるのは本文に書いた通り。村上春樹だって、ミケランジェロだって批判されて来た。完全な肯定など存在しないのだ。

◆◆

ところで、陵辱モノゲームなんだが、何故陵辱モノでなくてはいけないのか?陵辱モノを必要としているのか、わたくしは理解出来ないと書いた。しかし、何故それを必要であるのか?という主張は読んでみたいと思う。

もう一つの性である女性を暴力で屈伏せしめる事が快感であるという光景は、女性からすると恐怖や不快感しか起きない。その不快感は、例えば日本人に暴力を振るう事が快感である。というようなモノがあったとして、それを観たら日本人は不快を覚えるであろう事と同じようなもんだとは思う。

しかし、それでもそれを何故必要とするのか?謎である。

ゆえに、読んでみたいのだが、読んだエントリは「表現の自由」という権利の主張ばかりであり、その権利を要求するべき、必要性の理由は書かれていない。

どこかにそういう心理を書いている奇特で漢なぶろぐなどあったら教えてください。



教えてくれた↓

http://www.asyura2.com/0401/health8/msg/815.html

阿修羅か!?と思ったらまともだった。

根源にある「男の不感症」に泣いた。