「雪の小面」と「富士山」。

今日は先ずは告知から。

来たる12月22日から来年2月24日迄、東京渋谷の「Bunkamura ザ・ミュージアム」に於いて、「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」」(ホームページ→http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html)が開催されるが、その関連講座として、2月9日(土)の午後3時半から5時迄、朝日カルチャーセンター新宿にて、筆者に拠る「渋谷の『白隠』と海を渡った『白隠』」と題されたレクチャーが開催される。

この講座では、ザ・ミュージアムで開催される画僧・白隠の展覧会を中心に、その奇想天外な画業と絵に含まれた意味、またギッター・コレクション等の在米コレクションやオークションで海を渡った作品にも触れ、海外での白隠に代表される禅画人気の「謎」を考察する予定。

お申し込み、またご質問等は、朝日カルチャーセンター新宿(→http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=188251&userflg=0、若しくは03-3344-1945) 迄、お問い合わせ下さい。

さて週末日曜は、久々にお能を観に国立能楽堂へ…「金剛永謹 能の会 第28回東京公演」で有る。

この会は、上に記した様に金剛流宗家の演能会だが、この日だけは特別に「富士学会」が特別協賛していた…「富士学会」とは、文字通り「富士山」を研究する学会で、地理学や植物学、気象学を始め、宗教学(「富士講」等)や美術史学(「富士参詣曼荼羅」や「冨嶽三十六景」等)等の、「日本の象徴」富士山に関わる如何なる学問をもクロスオーバーする研究者達の学会で、今年が創立10周年に当たる。

今年亡くなった筆者の父親も、存命中美術史の分野からこの学会に参加して居り、この日の公演も能に造詣が深かった父が苦心して実現させた物だったが、残念ながら生きてこの日を迎える事は出来無かった。

父がこの公演を実現させたかった理由は、この日の演目を見れば一目瞭然…金春・金剛両流にしか無い稀曲「富士山」を、富士学会のイヴェントの一つとして実現させたかったからだ。

この「富士山」は、「竹取物語」や不老不死を求めた道教と、富士山の名の由来を混ぜて「富士山」を語る能だけの為に作られた曲で、世阿弥にもこの曲に就いて述べた著作が有るので、恐らくは世阿弥が元の曲を作った後、金春禅竹と禅鳳が完成させたと云われて居る。

ご存知の通り、「富士」は幾度も噴火を繰り返し噴煙を絶やさなかった事から「不死」と呼ばれ、その荒ぶる噴火と美しさを以てして、神と崇められた。そして平安期に為ると、富士山は神仏習合の下「浅間大菩薩」に、また中世以降は「木花之佐久夜毘売命」(このはなのさくやひめのみこと)と為り、それぞれが祀られ現在に至って居るが、能の上では「木花之佐久夜毘売命」が、竹取物語の「かぐや姫」に代ったと考えられたのだ。

「富士山」のストーリーは、唐から渡来した皇帝の臣下が、その昔道教の方士が「不死の薬」を求めて富士の裾野に来た時の遺跡を訪ねる。そこへ前シテの女を含めた3人の女がやって来て、臣下にこの山が仙境で有り、富士山の謂われやかぐや姫に就いて、また嘗て方士が「不死の薬」を得た事、そして自分が浅間大菩薩で有る事を告げ、此処で待てば不死の薬を与えると云って、雲間に消える(中入)。

アイの話を経て雲が開くと、天女のかぐや姫が不死の薬の入った箱を持って現れ、臣下に薬を与えて祝いの舞を舞う。そして、後シテの火の御子で有る冨士の山神が登場し舞を舞い、最後に二神は消えて行く。

この様に「富士山」と云う曲は、物語は単純だが登場人物も多く華やかで、祝祭的な雰囲気に充ちている…そして前場での3人の女、また宗家に拠る後シテの舞は、「舞金剛」の名に恥じない美しい物で有った。

だが、今回の稀曲「富士山」の見処は、実はそれだけでは無かった。

それは今回使用された「面」で有る…そう、宗家が前シテの女役で使用した女面は「小面」、しかも龍右衛門作「雪の小面」だったのだ!

この「雪の小面」に関しては、少々説明が必要だろう。能に耽溺した豊臣秀吉は、「申楽談儀」にもその名が記される龍右衛門作の3面の小面を手に入れ、雪・月・花の銘を付け愛玩していた。その内の「月」は行方不明、「花」は金剛家に伝わった後、現在は三井記念美術館蔵、そして金剛家に今でも伝わり、三面の中でも最も作行が良いと云われる「雪の小面」が、この日実際に使われたので有る。

能面は鑑賞される美術品でも有るが、やはり使われるモノ…こんな事は今更云う迄も無いが、この日宗家が掛けた「雪の小面」の美しさは筆舌に尽くし難く、宗家が舞い動く度に表情を変える、若さと気高さ、そして艶かしさを兼ね備えたこの面は、煌びやかな装束と共に、まるで数世紀に亘ってタイム・スリップして来た女を、舞台上に出現させたかの様だった。

そして昨日、地方出張の為に乗った早朝の機窓からは、「雪の小面」の様にこの世の物とは思えない程美しい、雲から冠雪した頂を覗かせた、勇壮で気品溢れる姿の富士山が見えた。

日本の象徴と云っても過言では無い富士山は、「不死山」或いは「不尽山」とも書かれる。

噴火が近いと云われて久しい富士山だが、何時迄も「神の国」日本の象徴として、その神々しい姿を我々に見せ続けて欲しい…そんな事を改めて思った、「雪」の2日間で有った。