『百年の孤独』は読者を選ぶ本です。私の場合は続きが読みたくて夢中になり気がついたら夜明けになっていました。その一方で、最初の1ページで投げ出したという人も多いのでは。
そんな人にはこの一冊を。
『百年の孤独』は読者をからかう冗談話だから、読む側もある種の冗談的な方法で受けて立つとあります。大いに共感。ノーベル文学賞だからと気合いを入れて読むと挫折します。
そうやって読めば遠く離れた『百年の孤独』の世界が身近に感じられます。ブエンティーノ一族に起こったことは私の家系にも起こっているから、ページをめくるのも手が止められなかったのです。
まず、章のタイトルからしておもしろおかしい。
・引っ越し小説としての『百年の孤独』
・来る者拒まず、去る者ちょっと追う『百年の孤独』のひとびと
・パパはアウレリャノ・ブエンディア大佐
・マコンドいちの無責任男
・NYのガイドブックで京都を旅したことがあるか?
・如何にして岡八郎は空手を通信教育で学んだのか?
・思い出すことでしか成し得ないものごとについて
最終章では、マコンドを沸かせたバナナ産業を日本の半導体産業になぞらえています。
日本の敗戦直後、真空管に代わるものとして、半導体が海の向こうで発明された。伝わってくる少ない情報を手に入れ、日本の研究者たちはどうにかして日本でも半導体を作ろう、先端技術に追いつこうと日夜研鑽を積んでいた。
その涙ぐましい努力の結晶は、マコンドにジプシーたちが運んでくる発明品のようだった。
このあたり、コンピュータサイエンスの研究者・技術者として働くかたわら、作家・編集者としても活動する著者の友田とん氏らしい解説です。
私たちはその後、日本の半導体産業がどのような道筋を辿ったかを知っている。多くの半導体工場が日本から消失し、工場跡地だけが残された。多くの技術者は他の分野へ、他の町へと散り散りになった。それはマコンドも同じだった。
とんでもない話のようでいて、どの家にも、どの国にも起こりそうなことが書かれているからこそ、『百年の孤独』は普遍的な物語として世界中から支持されています。
その現場を一目見てみたいとアラカタカ(マコンド)には、全世界からガルシア=マルケスのファンが訪れているそうです。私もその一人になりたいのです。
パンプローナの街でマコンドという看板を目にしました。カフェバーらしいのですが、いつ開店するのかも定かでなく、翌日は夜明けと共に歩き出さなくてはいけないので、店内に入ることができませんでした。1日ぐらい予定をずらしても、行ってみるべきでした。
2023年のスペイン巡礼。
ウラナイ8ではメンバーの7人が持ち回りで1週間に一回デイリーメッセージを担当しています。7週間かけて歩く予定だったのですが、7本の原稿を書き溜めていくのはやはり無理。ウラナイ8関係者で書くことが好きな7人に代わりに書いてもらいました。
歓送会的なイベントも開いてもらい、なんとなくみんなの代わりに歩くような気分に。
帰国後、7本のお礼メッセージを書きました。
一人でできることには限りがあります。ブログやYouTubeで自分の体験を交換すれば、誰かの代わりに何かをすることになります。この時代に生きていてよかったとしみじみ思います。今回のコロンビアも誰かの代わりの旅になるかもしれません。