円錐管のベーム式フルートについて part2


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円錐管フルートの胴体。一番上のGodfroyは1840年頃の作。
下の2本に比べてメカニズムに特徴があり、より太い管体が採用されている。

pankomedia:
しかし、誰もが円錐管ベームで吹いていきなりenokidaさんほどの張りのある響きを作り出せるわけではないですね。

enokida:
技術の有無についてはそれぞれの奏者が訓練によってどうにかするしかないですが、仮に高い技術を持つ人が円錐管を吹いたら音が出なかったということであれば、それは音に対するイメージの持ち方がずれているからです。私にとって、フルートの響きのイメージはやはりあの偉大なるフレンチスクールの伝統から生み出されたもので、デュフレーヌやクリュネルの音のイメージそのままでロットや円錐管ベームを吹いたときに、楽器とその奏法の間に不都合を感じることはありませんでした。逆にフレンチスクールの音を知らない、もしくはその価値を認めない人にとっては円錐管ベームというのはまずもって古い楽器だから、お年寄りを相手にするがごとく遠慮がちにか弱い息で吹かなきゃいけないとかいうことになるのでしょう。それだと当然ながら鳴りません。

pankomedia:
そうですね。円錐管のフルートというとまずバロックトラベルソのイメージになるのかもしれませんが、ロマン派の時代になるとベーム式以前でもニコルソンやテュルーなどの名手はかなり速いしっかりとした息で演奏していたということです。

enokida:
そうですね。バロック時代のフルートというのは内径が太くて息を入れるとボワっというやわらかい感触があってフレーズに自然なふくらみが生まれます。その柔和な感じが今でいうヴィブラートの役割をしているので、それ以上に息の圧力を上げて音を振動させる必要はあまりないのですね。フルートにドラマチックな表現が求められる場合は指でヴィブラートをかけて音を震わせたりと、いろいろな工夫があったのだと思います。それが古典のフルートになるとグッと引き締まってくる。内径の絞りも急なものになってバロックの楽器にあった柔らかな抵抗というものは少なくなってきますので、自然とフレーズも直線的になって吹くほうにもより速い息が求められます。ロマン派になるとその傾向がより大きなものになって、フルートのための音楽にも大胆な跳躍が多く用いられるようになってきます。当然より強い息が求められるようになって、歌口やトーンホールもそれぞれの奏者が自分の望む形をそれぞれに求めるようになりました。ニコルソンフルートの大きなトーンホールはその極端な例で、ベームによるフルートの改良もその流れの中から生まれたものです。テュルーはニコルソン式のトーンホールを限界まで広げるということを嫌いましたし、ベーム式に関しても結局はトーンホールが大きいということで反対したのですが、そのテュルーの使用していた楽器も古典期のものと比べれば歌口も大きくて大変強い響きを持つものだったのです。手元にテュルーの手によるフルートがありますが大変バランスの取れた、そして驚くほど良く鳴る楽器です。

pankomedia:
テュルーの楽器はノノンによるものも含めてほぼ例外なく素晴らしいですね。木材も最高級のものが使われていて、フレンチスクールの基礎はやはりここにあるのではないかと思われます。

enokida:
ベームがブロードウッドにあてた手紙の中に息の速さで音程が上がる例として「私以上に高い音で吹く人はいない、あの大音量で知られたテュルーを除いては…」という意味の文言が一度ならず二度も出てきます。ドリュス(テュルーの弟子でベーム式フルートを最初期に採用した名フルーティスト)が同じフルートを吹くと自分より四分の一音は低く響くだろうとさえ言っています。 こういうことからもテュルーが当時としても早く鋭い息で演奏をしていたであろうことが伺えます。
また、テュルーが弟子であったゴードンという人の作った新式の楽器について以下のような批評を残しています。
「フルートはpではメロウな響き、fでは最大のソノリテを発揮しなくてはいけないがゴードンのフルートは内径がオーボエのようなものに偏りすぎて、とても響きが薄く“音量がない”。」
何かと保守的であったといわれるテュルーですが、フルートという楽器に表現上のダイナミクスを求めていたのは以上の意見からも明らかです。 後にベーム式がパリ音楽院の主流となったことはテュルーの本位ではなかったかもしれませんが、彼の優秀な弟子たちはこぞってベーム式に転向した後も、偉大なるテュルーの教えの大事な部分を受け継いでいたのではないかと私は思います。
時々ベーム式フルートとトラベルソを比べてどうのという人がありますが、ベームの楽器とせいぜいドヴィエンヌまでの時代のトラベルソの対立があったというのは歴史的にみるとまるでおかしいわけです。ロマン派の多鍵フルートは今日「トラベルソ」と一括りに呼ばれる楽器とはまるで違いますから。 (注:ゴードンはベームと同じ時期に独自のメカニズムの楽器を考案したとされる人物で、そのアイデアベーム式と共通するところが多かったことから、フルートの特許をベームと争ったライバルたちはゴードンこそが新式フルートの開発者であると主張した。)

pankomedia:
円錐管のベーム式が普及したのはその音量の大きさもさながら、全音域に渡るより均質な響きと操作性によるところが大であったといわれます。 テュルーのように一度頂点に登りつめて偉くなってしまった人にはなかなか難しい状況だったのではないでしょうか。それは彼の開発したFlute Perfectionee という独自の機構を持つ楽器にも現れていると思います。この楽器自体は響きも素晴らしく造形的にも美しい大変優れた名器ですが、開発のコンセプトとしてはベーム式を意識しすぎているような感があります。実際テュルーは5キーの楽器を終生愛用していたと伝えられています。

enokida:
偉くなるということは、時には不幸を呼び起こすものですね。しかし、テュルーの場合は本当にベーム式の機構を必要としないほど上手だったということですからね。まったく、どんな演奏であったのか聴いてみたいものです。

pankomedia:
話が少しそれたようですが、ともかくベーム式のフルートはロマン派の時代において主流となったのですが、だからといってフルートに求められる表現が急激に変わるということはなかったであろうということですね。

enokida:
その通りです。そこであの有名なワーグナーの話が出てくるわけですね。それは、ティルメッツというベームの弟子がパルシファルの初演でオーケストラに新式の円筒管ベームを持ち込んで吹いたときに、ワーグナーが「キャノン砲」といってそのフルートの音を気に入らなかったのでその次に円錐管のベーム式フルートを持っていって吹いたらたいそう喜んだ、というような昔話です。単に音が大きすぎるということでしたら、ティルメッツのような名人であれば円筒管のままでも対応できたのでしょうが、ワーグナーの不満だったことはやはり先ほど言ったような音楽の表現上の問題だったのでしょう。書いた曲を見ている限り、ワーグナーが大きな音を嫌いだったわけではないでしょう。(笑)

pankomedia:
とても有名な話ですね。そのときティルメッツの持っていった円錐管はビュルガー(J.M.Buerger)というベームのお弟子さんの作だったようですが… パルシファルの初演ということは1880年より後のものですね。

enokida:
ビュルガーの楽器は私も持っていまして、先ほど言ったベートーヴェンブラームスのコンサートでも使用しました。全く素晴らしい楽器でローピッチなのですが今回はオリジナルのそのままで使えました。


一部ですがコンサートの音源を聴くことができます。--->音源のページへ

下はenokida氏所有のJ.M.ビュルガーによるフルート



ブラームスの音源を聴く)

pankomedia:
...現代のオーケストラの中で、円錐管のフルートがこのように美しく響くということはこうして聴いてみないとわかりません。もちろんenokidaさんならではの偉業だとは思うのですが、ビュルガーの楽器も素晴らしいですね。さすがはベームの弟子というべきでしょうか。

enokida:
ベーム自身の円錐管ベームもイギリスにいたときに吹いたことがあるのですが、やはり素晴らしい楽器でしたね。

pankomedia:
そうですね。あのベーム嫌いのロックストロでさえコシュとビュッフェによる円錐管ベームの音色が「通常の旧式フレンチフルート」よりは良いものの「ベームのモデルよりは劣る」とはっきり書いているくらいですから。

enokida:
ともかく、円錐管ベームは現在の音楽シーンにおいてリバイバルされてもいいと本気で思いますね。これはフルートを吹く人の勉強になるという意味だけでなく、純粋に音楽を聴く人たちに対しても良い事になるはずですから。

pankomedia:
たしかに、フルートの問題というだけで語るといろいろなしがらみが出てくるのかもしれませんが、聴く人あっての音楽だということを考えたときに新たな一歩を踏み出す意義を否定する人は少ないのではないでしょうか。

enokida:
繰り返しになりますが、なぜルイロットの円筒管フルートが特別なのかということを考えたときに、それは円錐管のフルートで楽に実現可能であった"ソステヌート"の表現を金属の円筒管フルートにおいても可能にしたためだと考えます。まさにその点、設計の思想からして現代の大抵のフルートとは違っているのでしょう。管体の素材やその製作法などはその思想の上に立ってからの話だと思いますね。
ルイロットのような楽器を吹いてみてうまく鳴らないとか観客に音が届かないというのであれば、わざわざメンテナンスの難しい古い楽器を使う必要などないわけですが、うまくやればより良い結果の出ることがあるのですから。

pankomedia:
今度、大フィルで円錐管ベームを吹かれるときには大いに宣伝したいものです。

enokida:
これは失敗するわけにいかない。すごいプレッシャーですね。

pankomedia:
期待しています。

enokida:
まあ、がんばりますよ。

円錐管のベーム式フルートについて part1



(上はenokida氏所有のGodfroyとpankomedia所有のLouis LotおよびBonneville。 すべて円錐管のベーム式フルート。各々が製作された時期には50年もの開きがある。)

pankomedia:
今回はいよいよ円錐管ベームのお話を伺います。

enokida:
ええ、前からやりたいといっていたわけですが、もう少しオケで使ったりして実戦の感触を持ってから話したいと思ったものですから。

pankomedia:
現在、モダンのフルオーケストラに円錐管ベームのフルートを持ち込んでいるのは世界を見渡してもenokidaさんだけではないでしょうか。

enokida:
そうかもしれませんね。円錐管というとその音量の無さのために円筒管にとってかわられたというイメージばかりですから、現在のオーケストラで使えるとは誰も考えないのでしょう。

pankomedia:
しかし、そのいわば”ひ弱”なイメージというのはまったくの間違いですね。

enokida:
ええ、むしろ広いコンサート会場の隅々まで音が届くという意味では円筒管を凌ぐようなところもあって、それは私自身も実際に本番で使ってみるまではわかりませんでした。いまや円錐管ベームはある意味フルートの理想の姿として私の手元にあります。

pankomedia:
私もenokidaさんがモーツァルトドボルザークの作品で円錐管ベーム吹かれたときにはまったく驚きました。オーケストラの中であそこまで鼻筋の通ったフルートの響きを聴いたことはそれまでなかったように思います。

enokida:
つい最近ベートーヴェンブラームスのそれぞれ第1番の交響曲の本番があって、そこでも使ったのですが広い会場で観客の評判も上々でしたよ。(記事後半に音源あり。)音量云々という以前に音が実に良く通るんですね。そして響きの質が低音から高音まで均質でフレーズが自然とつながっていくことで音楽の「表現」としての聴衆への伝わり方が断然違ってきます。これは管体が先細りの円錐であることの一番大きな利点でしょう。

pankomedia:
以前からenokidaさんは、尊敬するベームに対して一つだけ物申したいことがあって、それは歌口やトーンホールを大きくすればそれだけ音が大きくなるというが、それは間違いだとおっしゃっていました。それは今回まさにプロフェッショナルの現場において証明された訳です。これはとてもセンセーショナルなことだと思います。

enokida:
そう言っていただけるとありがたいですね。何を持って大きな音というのか、それはどういったものが演奏を聴いている人たちの耳にどれだけ届くかという意味でいうのが本当だと私は思います。声の訓練が出来ていない人が拡声器を使ってがなりたてても何を言っているのか分からない。しかし、声も発音もしっかり出来上がっている人だと口に手を添えて話すだけでその何倍も内容が伝わるという例えではどうでしょうか。何をもって美しい音かという基準は人によって違う場合があるでしょうが、その音でもって何かを伝えなければいけないという目的においてどのような楽器が優れているかという点についてはある程度はっきりしたことが言えるのではないかと思います。
私は何事もバランスが取れていないと良いものは出来ないと思っています。フルートの場合は、管体の内径に対して歌口やトーンホールの無駄に大きすぎるものが多いことが、音楽表現としての空虚さにつながっていると事あるごとに主張してきました。その方が吹きやすいという人がいますが、聴いている人に質の高い音楽を届けるという目的でフルートを吹く身分としては、そういった楽器はかえって使いづらい楽器だと思うのです。円筒管のフルートは低音に行くほどどうしても音響的にうつろになっていく部分があるのに対して、円錐管では管が長くなる(低音にいく)にしたがって内径が細くなっていくので、息の圧力を一定に保ちやすく、その結果として音がやせずに済むのですね。円筒管でも初期のものはその欠点を意識して歌口に抵抗を持たせたりして奏者が息の圧力を保ちやすいようにする工夫があったのですが、現在ではそういった視点からフルートという楽器を考えることはないのではないでしょうか。

pankomedia:
19世紀にはまず大きくされたトーンホールについての議論があって、トーンホールを大きくするとフルート本来の響きを失うといった意見のせいで、なかなかベームの作った楽器の真価が認められませんでした。円筒管でも当時でいうところの”フルートらしい響き”を作り出せるということを、タファネルなどの奏者やルイロットなどの楽器が証明したからこそ円筒管のベーム式フルートが普及して現在のフルート環境があるわけですが、今ではそういった円錐vs円筒のような対立の図式自体がありません。

enokida:
そろそろそういった議論を復活させてもいいのではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。バロックのトラベルソとベーム式フルートというような比較で一時議論がありましたが、それらはあまりに時代が離れているので、今ではそれぞれに妙な棲み分けみたいなものが出来てしまっていてお互いが刺激しあうということがなくなっています。現在のベーム式フルートのルーツがロマン派の時代の楽器にあることは明白なのですから、今普通にベーム式フルートを吹いている人が、自らの楽器に対して更なる可能性を求める際にそのルーツとなっているロマン派の円錐管フルートに目を向けることは大変に有意義であると思います。どうでしょうか?


---> part2に続く

フレンチフルートの奏法について


今回はフレンチフルートスクールの奏法についてenokidaさんにお伺いします。
話の基本はパイパーズという雑誌の331号に載せられた「ルイロットとその時代」というenokidaさんのインタビュー記事です。
(読みたい方はパイパーズ/バックナンバーより入手してください。)



pankomedia:
ルイロットについて正面から切り込んだ大変に興味深い、また色々な意味で刺激的な内容の記事でしたがまずルイロットの奏法として「唇の筋力が必要」とハッキリおっしゃっています。これは読み様によっては力を入れて唇を固くすることと受け止められかねないのですが、そこのところはどうなのでしょう。

enokida:
固くするというとのは違いますね。様々なダイナミクス、ニュアンスを含んだ表現に対応する為に唇はあくまで柔軟さを保っているべきです。上下の唇を真っすぐに合わせて、タンギングをせずに中音のHをpで出すと唇の真ん中に小さな穴が出来ますね。これが理想的なアンブシュアで、このときに唇に特別な力は入っていません。今度はこのアンブシュアを保ったまま同じHの音をロングトーンでfまで持って行ってそのまま今度はppまで、それを一息で吹きます。この時に理想のアンブシュアをキープするのに唇の筋力が必要なんです。

(愛器のルイロット4000番台でpppの実演していただく。  ffからppまで一目には変わらないアンブシュアと均一に保たれたピッチを確認。)

これをゆるいアンブシュアでやろうとするとfではピッチが高くなって反対にppでは下がってしまう。それでピッチを保とうとして大袈裟に首やあごを動かしたり、それでも間に合わないからボロが出る前に途中で音をきってしまったり。基本のアンブシュアが出来ていないのに大きなことをやろうとしてあれこれ動き回るからいちいち大袈裟になるんです。アンブシュアが出来ていれば身体の動きは最小で済むんですよ。

pankomedia:
どうしてもあれこれとやってしまう私としては耳の痛い限りです...
ところでインタビュー記事でも出て来たパンスモン(pincement=挟む)という言葉をタファネル=ゴーベールの教本で探しますと、今まさしく例を示していただいたpppの項、Exercices pour apprendre a filer les sonsという題がついていますが、その原文はこうなっています。

En consequence, lorsqu'il commence un crescendo, il couverira peu a peu -dans une tres prudente mesure -son embouchure, et la decouvrira peu a peu dans le de-crescendo. Il pourra se servir aussi du "pincement" et "relachement" des levres.

少し長い引用ですが要約しますと

クレシェンドをするときには徐々に、ごく小さな範囲で、歌口を塞いで(内に向けて)、デクレシェンドの際にはこれも徐々に歌口を開ける(外に向ける)。これらは唇を”挟む”ことと”緩める”ことによっても得られる。

...という内容になります。enokidaさんのおっしゃる唇の筋力というのはこの”挟む”と”緩める”の両方を実現する為のものということでしょうか。

enokida:
正にその通りです。ピアノやバイオリンを弾くにもダイナミクスをコントロールする筋力は必要で、それが無くて当てずっぽうに強弱の音を振り回すというだけでは芸術の表現などできるわけがありません。朧げに弱く吹いたからといって、それがそのままpの表現になるというわけにはいかないんです。バレエなんかはそれが形として見えていますね。完全なる静けさの中、一本の足でつま先立ちをする白鳥。これがppの表現の具現化された状態だと思います。弱い筋力で出来るわけが無い。それは白鳥の踊りから最高潮の跳躍までを一つの肉体で可能にする柔軟な筋力です。最近は現代舞踊だかなんだか知りませんがあまり身体の引き締まっていない人がくねくねしたり腕を振り回してこれが芸術だとかいってるのがありますが、唇が緩いままで吹いてる人の音楽を聴くとなんだかそういうイメージと重なるんですね。人の趣味趣向や好き嫌いはともかくとして、すぐれた芸術にはその表現の核となる部分に引き締まったものが常に存在すると思います。筋力といっても、芸術におけるそれはただ強く押すといっただけのものではないということは言うまでもありません。

pankomedia:
なるほど。フルートのことばかりを考えていると分かりづらいことでも、芸術の他の表現に置き換えると分かりやすいと思います。ただ、それが話として分かったとしても実際にそれが出来るかとなるとまた別ですね。

enokida:
それはそうですよ。評論家と演奏家の違いはその点において明らかです。しかし、楽器を多少演奏出来るからといって安穏としてもいられません。私にしても現在の考えに辿り着くまでにはやはりオーケストラでの経験というのが不可欠でした。あの巨大なアンサンブルの中でいかにピッチを正しく保ちながら美しく自在な表現を可能にするかということが課題となったときに、あらためてタファネル=ゴーベールを読むとその理解の度合いがそれまでのものとはまるで違ったわけです。教則本に載っているフルート演奏の基礎くらいにとらえていた内容が実戦における本物の知識として頭に入ってきたのですから。これはソロばかりをやっているとなかなか分からなかったことでしょうから私は好運であったのかも知れません。

pankomedia:
その実戦における知識のいくらかでも知ることが出来ればと思ってこうしてお話をお伺いしているわけですが、とりあえず今回の趣旨である、パイパーズ記事の補足はできたように思いますのでこの続きはまた次回ということで。それにしても、ここまでお話しいただいたことはなかなか他ではきけないようなことだと思います。

enokida:
演奏法を言葉で言い表すのはなかなかに難しいですが、少しは掴んでいただけると嬉しいですよ。それではまた今度ということで。

pankomedia:
本当にありがとうございました。

enokida氏のフルート遍歴

pankomedia:
ここではenokidaさんのフルート遍歴といいますか、これまでに使って来られた楽器についてお伺いしながら初期のベームフルートを演奏する意義になどついてもお伺い出来ればと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

enokida:
こちらこそ。何でもきいてください。

pankomedia:
enokidaさんは今でこそ19世紀のベーム&メントラーやルイロットが製作したフルートを吹いていらっしゃいますが、お若い頃はやはり日本で身近に入手できる楽器を使っていらしたのですね。

enokida:
ええ。はじめは国産の総銀製を使ってました。それからその時の先生の薦めもあって高校生のときには銀のヘインズに持ち替えました。

pankomedia:
ヘインズはハンドメイドでしょうか?

enokida:
いえ、いわゆるスタンダードモデルでした。それでもあの頃は高い楽器という印象でしたね。

pankomedia:
なるほど。それで、しばらくはヘインズがメインだったわけですね。

enokida:
ええ。アンドレジョネのオーディションでもそれで吹きました。それで通ってチューリッヒに行ったんです。

pankomedia:
持っていかれたのはヘインズ1本だけでしょうか。

enokida:
はい。それでチューリッヒでレッスンを受けて、先生の音を聴いてるともう他とは全然違う。はじめは奏法がすごいんだって思って、まあそれももちろんそうでしたが。

pankomedia:
アンドレジョネはルイロットとルーダルカルテの銀管も使っていたのですね。「ごしきひわ」を吹いたレコードにはルーダルを使用とありましたが。

enokida:
ええ、ピッチがロットより安定していて使いやすいからといって結構ルーダルを吹いてましたね。でも音色はロットの方が好きな様子だった。

pankomedia:
ルーダルの方がピッチが安定しているというのは興味深いですね。ロットは435スケールでルーダルは440スケールの楽器だったということでしょうか。

enokida:
そうだったのだと思います。それでも私はまあ、3年ほどはそのままヘインズを吹いていたわけですが、そのあとロンドンに行ったらベネットもロットを吹いてる。頭部管はボンヴィルの洋銀だったけど。

pankomedia:
なるほど。

enokida:
それはもうすごい音出してました。これは楽器の違いもあるぞ、と。その頃のベネットは正に絶頂期という感じでしたね。

pankomedia:
それでenokidaさんもヴィンテージの楽器を探し始めたというわけでしょうか。

enokida:
ロンドンのSOHOにビンガム(Langwill Indexの出版社であり著名な古楽器のディーラー)の家があって、そこに行ったらなんでもボンヴィルって書いてある楽器が置いてある。で、吹いてみたらびっくりするくらい良い音するんでそれを買ったんだけどそれはリングキーフルートという特殊な楽器でね。いわゆるオープンホールというのではなくて、トーンホールを直接指で押さえるやつ。

pankomedia:
ボンヴィルが特許を取ったリングキーシステムですか?それはまた珍しい。

enokida:
そう、だからそのまま普通には使いづらいので頭部管だけ使って。胴体は以前の通りヘインズで。

pankomedia:
ベネットみたいになったわけですね。

enokida:
そうそう。(笑)

pankomedia:
しばらくはそのボンヴィル=ヘインズをメインとして吹いていらしたのでしょうか。

enokida:
そうです。コンクールに入賞したときなんかもそれで吹いてました。評判よかったですよ。

pankomedia:
その時のファイナリストの演奏会、録音など残ってないでしょうか。

enokida:
ありますよ。カセットテープだと思うけど、どこかにあるはず。

pankomedia:
それ聴きたいですね。今度コピーさせてください。ここで公開しましょう。

enokida:
それは... また探しておきますよ。

pankomedia:
機会があれば是非。(話は戻って)ルイロットは日本に帰ってから入手されたのですか?

enokida:
やっぱりビンガムの所で5300番台の総銀製/金リップの楽器を買いました。頭部管のカットもなくて全くオリジナル。H足部管で低音のHを左手小指で操作するようになっていて、あれアメリカ仕様って言うのかな?違うか。なんでもボストン交響楽団の初代のフルート首席が使っていたとか、楽器に名前が彫ってありました。

pankomedia:
ルイロットといっても、またいきなりすごい楽器に巡り会ったというわけですね。

enokida:
もう素晴らしい楽器で、ピッチもそのまま440で問題無しという具合だから日本に帰って大フィルに入った時もメインで使ってました。

pankomedia:
その時代の大フィルにいきなりロット吹きが登場というのはなかなかすごい話だと思います。

enokida:
そう、オーディションで吹いた時も一人音の全然違うのがいるということだったらしいですよ。

pankomedia:
それでは、enokidaさんは日本でプロとして活動された最初からロット吹きとして今に至っているというわけですね。

enokida:
最初に買ったのが1978年だから、それからかれこれ30年はロットを吹いてるわけ。とっかえひっかえ何本吹いたかな、20本くらい?あんまりそんな人いないでしょう。

pankomedia:
いないと思います。(笑)それにしても、ソリストとしての修行をされてコンクールに入賞をされてオーケストラの首席奏者へと、フルーティストとしてのキャリアのとても大事な時期をルイロットをメインにして駆け抜けたというのはすごい。しかも本当に第一線でというわけですから。

enokida:
まあ、ジョネのところに行って、そのあとベネットのところでもレッスンの度にデュフレーヌだルボンだと色々なレコード聴かされて。その人たちみんなロットを吹いてたわけですから。(ルボンの吹いていた7000番台の総銀ルイロット/金リップの写った写真を出してくれる)

pankomedia:
ルボンがルイロットを吹いていたというのはenokidaさんから初めて教えてもらいましたが、ギャルドと来日した時などはケノンの洋銀だったとか。

enokida:
そういう話だけど、このロットがメインだったらしいですよ。吹かせてもらったけど小さめの歌口でそれはすごい音がする。ケノンとは全然違うタイプの楽器ですよ。

pankomedia:
デュフレーヌやルボンなどの録音はベネットのところで初めて耳にされたのですか?(下はデュフレーヌ使用の9000番台ルイロットの写真)

enokida:
実はデュフレーヌは一度実演も聴いてるんです。留学する前に日本で、ミュンシュとダフニスをやったんだけどあまりにフルートがすごいんで楽屋までサインもらいに行きました。(笑) それがそのデュフレーヌだったって結びついたのはずっとあとでしたけどね。

pankomedia:
東京でやったミュンシュとのダフニスはDVDでも観ることが出来ますね。あれをその場所で実際に聴かれたと。それだけでも本当に羨ましいです。その上サインまでもらって...

enokida:
(笑)ちょうどダフニスのミニチュアスコアを持っていたのでそこにしてもらいました。ずっとあとでデボストにも同じスコアにサインをもらおうとしたらデュフレーヌのサインが先に書いてあったので...

pankomedia:
それは書きづらかったでしょうね。

enokida:
苦笑してね、なんだデュフレーヌの後かよ、みたいな感じで。(笑) それでもまあ機嫌良く書いてくれましたが。

pankomedia:
次から次へとすごい話が出てくるのでクラクラしてきました。とにかくenokidaさんがルイロットを吹くことになったのは自然の成り行きだったわけですね。「素晴らしいフルート吹きあらばそこにルイロットあり」だったわけですから。

enokida:
本当に、なんでみんなロット吹かないんだろうって。(笑)

pankomedia:
普通はそういう風にいきませんから。(笑)ところで大フィルでは一時期、金のヘインズを使っていらしたと前に伺いましたが。

enokida:
大変に古いものでカバード引き上げの総14Kでしたね。

pankomedia:
それはメインで使っていらしたのですか?

enokida:
ええ、と言っても4年くらいかな?その期間オケではほとんどそれで吹いてました。

pankomeda:
あえてロットからヘインズに変えたのはどのような理由からでしょうか。

enokida:
それはね、昔からランパルは金のヘインズ吹いてたっていうのがずっと頭にあって...

pankkomedia:
なるほどランパルですか! ということはenokidaさんもランパル大好きという時代があったわけですね、今と違って。

enokida:
(笑)いやいや、今でもランパルは大好きですよ。何でもかんでもというわけではないけれど、良い時の録音は素晴らしい。

pankomedia:
まったくそうですね。でも、ランパルのヘインズは1950年代後期の物(2万9千番台)ですが、enokidaさんが使っていらしたのは金で引き上げという事ですから、シリアル番号4ケタの楽器で大分性格も違ったのではないでしょうか。

enokida:
そう、きっかけが金ヘインズ=ランパルだっただけで自分で使ってみるともうそんなの関係なくなってね。もう音は素晴らしいし、それに音程の良いのにおどろきました。 ロットは440ピッチで442でもなんとか使えるという程度でしたがヘインズはそのまま442で完璧。

pankomedia:
1910年とか、そのあたりの楽器ですね。私も銀管を持っていたことがありますが、やはり442の完璧なスケールでメカニックも大変頑丈に作られているものでした。

enokida:
ヘインズの古いのはとても良いですよ。その楽器はトーンホールは引き上げだけどカールしてなくて、総金なのにそんなに重くもなかった。

pankomedia:
引き上げ管でも初期のものはカールしてないですね。

enokida:
銀でもカールしてないの?金が硬いからしてないのだと思ってたけど。

pankomedia:
銀でもしていませんでした。それでもむしろ数十年後のヘインズよりしっかりとした印象でした。ジョージヘインズやパウエルも工房にいた時代ですし、そのへんでもやはり違うわけですね。

enokida:
古いヘインズは音程悪いって言う人いますけど、それは吹き方が悪いんだけなんじゃないかな。

pankomedia:
えーっと。(汗) 例えばシリアル2万番台でも442で使えるのとそうでないのとという具合ですし、しかしそれは元々のスケールの問題で音程が悪いというのはまた違うのでは無いでしょうか。それにオールドヘインズといっても戦後から1960年頃までの楽器が多くて、それ以前の楽器を吹いた事のある人は少ないのではないでしょうか。

enokida:
ややこしいよね。楽器が良くないんだか、笛吹きが悪いんだか。

pankomedia:
えーっと。(汗)とにかくenokidaさんはランパルつながりで金ヘインズという時代があって。

enokida:
キーにも全て彫刻が入っていて本当綺麗な楽器でした。見た目ってのもやっぱり大事ですよ。それだけ楽器に愛着も湧くし。

pankomedia:
彫刻入りという点でもランパルですね。ヘインズは1960年頃まででも色々とタイプの違う楽器を作っていて、それこそ初期には木管が多くて金属管の方が少ないくらいですが、それらを通してみても「ヘインズの音色」というのはなにかしらありますね。これは先入観だけとも思えないのですが。

enokida:
それはあるとおもいますよ。ロットだって六代続いても最後までやっぱりロットだし。

pankomedia:
またそのような研究もここで出来れば良いのですが。ところで、enokidaさんにとってはその金ヘインズの時期というのはもう一つ重要な転換期であったわけですね?

enokida:
そうです。システムをオープンG#に変えましたから。

pankomedia:
オーケストラの首席をしながら運指のシステムを変えるというのはとても勇気のいる事ですね。やはりそれだけの理由があっての事でしょうか。

enokida:
そうです。そのヘインズを吹いている時期にベーム&メントラーの楽器を手に入れたことがまずあります。ベームの楽器はそれまでに他の人が持ってるのを何本か吹かせてもらったことがあって、とにかくどれも素晴らしいからいつかは欲しいと思っていたのがようやく見つかって。ベームはオープンG#しか認めなかった人ですからその楽器も例外では無くオープンG#ですからすぐには本番で使えないわけですよ。でもベームの書いたThe Flute and Flute Playingという本を読んだりするともう吹かずにはおれなくなるわけです。テオバルトベームという人はフルート吹きとしてもとんでもない腕前であったのは作った曲見ても分りますし、研究者=発明家としてもトータルに素晴らしい。こんな偉い人、他にいませんね。そのベーム本人がオープンG#でないといけないと言ってるわけですから。

pankomedia:
The Flute ~ は素晴らしい本ですね。英訳についてるMillerの注釈がまたマニアックですごい...(笑)

enokida:
そうそう。まあそんなわけでベームフルート吹くのならベームだろうと(笑)、思い切って乗り換えてしまったわけです。

pankomedia:
しかし、そこはすごい集中力で乗り越えていかれたわけですね。何しろオーケストラでは失敗は許されない。

enokida:
クビになるのも覚悟してね、それはものすごく練習しましたよ。毎日8時間というのも大袈裟ではないくらいに。

pankomedia:
それだけの事をしてリスクもはらって、オープンG#にした甲斐はあったということですね。

enokida:
ありましたね。やっぱり響きにもう一本筋が通るというか、余計なトーンホールがひとつ無いわけですから。

pankomedia:
確かに高音域でも響きのつながり方が違うように思います。

enokida:
他にもいろいろありますよ。このオープンG#の利点についてはまた別に書く事になるでしょう。ベームフルートを吹く人は誰でも一度はオープンG#を経験しておくべきだと思ってますので。そのあとどうするかは人それぞれかも知れないけど。

pankomedia:
そうですね。現状では楽器屋さんでオープンG#の楽器に触れるという機会さえも普通にはないわけですから。

enokida:
システムを変えるというのはそれなりに苦労のある事ですが、フルーティストとしてオープンG#の利点を実は求めているのにその存在さえ知らないというのはね。

pankomedia:
ベームの著作ももっと普通に読まれるべきですね。読みやすい日本語訳があればと思います。

enokida:
ここでやりましょうよ。協力しますよ。

pankomedia:
是非にお願い致します。いまロックストロをやってますが、本来ベームの方を先にしなければいけないですね。

enokida:
それはもちろんそうですよ。なにやってるんですか。(笑)

pankomedia:
(汗)ところで、最近はチタン製の頭部管を頻繁に使っていらっしゃいます。フルートの素材などにつきましてもまたお話を伺えれば嬉しいのですが。

enokida:
ええ、他にも歌口やトーンホールの問題もありますから。まあ今日は私のフルート遍歴という事で。

pankomedia:
本当に興味深い話ばかりでまだまだお話をお伺いしたい思います。大変にお忙しい中でお時間を取っていただくわけですが、いずれまた続きをお願い致します。

enokida:
そうですね。こういう事は黙っていてもしょうがないんで、こちらこそお願いしますよ。

pankomedia:
本日はありがとうございました。

enokida:
いえ、こちらこそ。