#426 なぜ彼らはソチオリンピック妨害をめざすのか

チェチェンニュース(転送・転載・引用歓迎)


 ソチオリンピックが始まっていますが、この北コーカサスで、今までどんなことが起きてきたのか、おさらいになりそうな記事がありましたので、紹介します。書き手のエリック・S・マーゴリスは、中東と南アジアを専門とする国際的コラムニストで、1994年にチェチェン軍事侵攻が始まって以来、この話題をフォローしているようです。

 記事のあとで少し補足を書きますので、どうぞお読みください。なお、もうすぐ来る2月23日は、ロシアの赤軍記念日と同時に、チェチェン・イングーシ民族が1944年に強制移住されてから、ちょうど70周年にあたる、悲しい記念日です。くわしくはこの記事をお読みください。

 http://chechennews.org/archives/1944vinakh01.htm (バイナフの運命)


■なぜ彼らはソチオリンピック妨害をめざすのか

 「サン」紙 2014年2月2日 エリック・S・マーゴリス


 ソチは、冬季オリンピックが開かれる場所としては、ちょっと変わったところだ。だいいち、ここはほとんど亜熱帯に近い。雪を見つけるには、コーカサス山脈をかなり登らなくてはならない。黒海に面しているから、リゾート地としては魅力的だが、それはビーチリゾートで、スキーやスノーボード競技に使えるだけの雪が、山の上にあるとは知らなかった。

 ここでオリンピックが膨大な金の無駄遣いだ、みたいなことを言うのは野暮だ。これは娯楽なんだから。ロシアは30億ドルの金を、この豪華絢爛のイベントに投入した。要するに愛国的なムードをかもした巨大・広告大会だ。

 ソチには、北コーカサスのゲリラの脅威もある。実際、アメリカ政府はプーチンのパレードに水を差そうとして、アメリカ国民の旅行者に対して「「テロ」の危険があるので、厳重に注意されたい」といった警告を出している。万が一の事態のために、2隻のアメリカの駆逐艦黒海に派遣されているくらいだ。

 まあ、要塞のように守りを固めたソチより、アメリカのあちこちの大都市で開かれるスポーツイベントの方がむしろあぶなくて、私もデトロイトやヒューストンよりはソチに行った方がいいのかもしれない。

 さて、西側の傍観者たちは、北コーカサスでは「テロリズム」が危ないという。もちろん理由なんて知ったことではない。中東のテロリズムと一緒だ。数ある事件は大々的に報道されるが、その原因はずっと闇の中、というわけだ。

 私が書いた『アメリカの支配(American Raj)』という本の中では、ここ300年に及ぶロシアの占領と、それに対するコーカサス人の闘いを紹介した。チェチェンとダゲスタンについて書いた章のタイトルは、「コーカサスのジェノサイド」という。

 ソチオリンピックは、ソ連の指導者スターリンが、250万人のコーカサス人と、クリミアのイスラム教徒たちを殺害したり、追放した土地のすぐそばで開かれている。この恐ろしい犯罪の傷は、まだ生々しい。

 1877年、帝政ロシアチェチェンの22万人の人口のうち40%を殺害した。そして40万人のチェルケス人たちを強制的に移住させた。ほとんどはオスマン帝国にわたらざるを得なかった。

 1937年、スターリンは当時の秘密警察である内務人民委員部(NKVD)に命じて1万4千人のチェチェン人を銃殺した。スターリン自身が、チェチェンのすぐ隣のグルジア出身だったのだが。

 その7年後、スターリンチェチェン人〈全員〉(50万人ほど:訳注)を狩り出して、暖房もついていない貨車に押し込み、カザフスタン強制移住させた。途中で死んだチェチェン人たちは、凍った大地に捨てられていった。このときにチェチェン人の半数が消えた。

 他のイスラム系の民族たちも、同じように強制収容所群島へと追放された。クリミア・タタール、イングーシ人、カラチャイ人、バルカル人、ウズベク人、タジク人、そしてダゲスタン人だ。第二次大戦が終わったあと、このジェノサイドを生き残った人々もようやく自分の故郷に戻ることができた。ただし、自分たちのものだった土地は、非ムスリムたちに取り上げられていたが。

 やがて1991年にソヴィエト連邦が崩壊したあと、チェチェン人たちはロシアからの独立を宣言した。ちょうど、ウクライナや、バルト3国、中央アジアの国々と同じように。ロシアの新しいリーダーになったエリツィンは、チェチェンの要求を拒否して軍隊を送り込んだ。小さなチェチェンは爆撃され、それで10万人の市民が死亡したと推定されている。それでも驚くべきことに、ロシア軍は敗北し、チェチェンの戦士たちに追い返された。

 チェチェンの穏健派リーダーだったジョハール・ドゥダーエフが暗殺されたのは1996年の4月で、これはアメリカ国家安全保障局(NSA)がロシア連邦保安局(FSB)に提供したテクノロジーの賜物だった。(ドゥダーエフは無線電話を使っているところをミサイルで殺された:訳注)その後も穏健派のリーダーは次々と殺害され、残るのは数人の過激派指導者ばかりになっている。アメリカはエリツィンの戦争を大いに助けていたのだ。

 そういえば、チェチェン人の若者が、2013年の春にボストン・マラソンで爆破事件を起こした。彼の名前もジョハールと言う。偶然だろうか?

 エリツィンの後を継いだ新しいリーダーのプーチンもまた、チェチェン侵攻と抵抗勢力の絶滅に手を染めた。しかも「テロリスト」という用語をアメリカと一緒にうまく使って。

 復讐をめざすチェチェン人たちが、ロシアの飛行機や列車、そして劇場を襲えば、単純に「テロリスト」と呼ばれる。ベスラン学校占拠事件の真相はいまだに謎で、チェチェン側の理論でもあまり意味のない事件だった。

 1991年から2010年にかけて、チェチェンの、ロシア人も含めた人口のうち25%が、残忍なやり方で殺された。今は、チェチェンを裏切った親ロシア派の傀儡が、この国を統治している。

 ロシアに対する抵抗勢力は、いまだにチェチェンとイングーシ、それからダゲスタンの山岳地域でくすぶっている。今のチェチェン抵抗勢力のリーダーのウマーロフは、ロシアに対して「われわれと同じ目に遭わせる」と警告する。

 ソチオリンピックは、ロシアのコーカサスでの抑圧への復讐の場になるのかもしれない。

http://www.thesundaily.my/node/239739



 (補足) ところで、上の記事で書かれているロシアのコーカサス征服の歴史の中で、ソチではチェルケス人虐殺が起こりました。今年はちょうどそれから150年周年です。毎日新聞の去年の記事で、ちょうどこの問題に触れた解説がありましたので、URLを紹介します。

http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20131014ddm007050019000c.html

 この毎日の記事は、なかなか味わい深いものがあります。ロシアの大学教授ーー名前からするとグルジア人のような気がしますーー登場して、チェルケスに対する扱いは「特定民族を絶滅する意図はなかったので虐殺ではない」といい、一方でむしろオリンピックという民族融和の時だからこそ、チェルケスの問題を知ってほしいと言います。コーカサスに対する支配と弾圧は今も続いているのに、融和も何もありません。

 しかしこのオリンピックによって、北コーカサスについてもっと知らなければ、と感じてくださる人がいるなら、この教授とは少し立場が違いますが、編集人として私もありがたいと思います。

チェチェンニュースについて: http://d.hatena.ne.jp/chechen/20140209/