誤:
ゴロスリ少女
正:
ゴスロリ少女
まず やりとりを再掲しておきますよ。
■『日曜社会学』>サイトプロファイル II(とか)についての もるたんさんのご意見:
(数字は引用者による付加)
■私のエントリ:
■私のエントリ に対する もるたんさんのコメント欄への書き込み
- 【1】あなたのことです>混同してるの。人文系なら人文系にとどめておいたほうがいいですよ。社会科学という言葉を使うべきではない。 そして、理論研究なら理論研究という限定を貼っておいたほうがいいです(実証研究の人にまで悪しきレッテルの被害が及びますね)[06:45]
- 【2】2ちゃんねらっていうか世間一般ってことです>混同してるの。世間までは行かないかもしれないけど、人文系理論研究に対して悪しき印象を持つ人の偏見はそういう風にして作られていくということ。(ぼくもいまあなた方に対してかなり悪印象をもっていますが..) すくなくとも、社会科学ということと社会学系理論研究というところは分けたほうがいいと思いますよ [06:49]
http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040526#c
- 【3】あと、編集したみたいですが、「詩みたいだ」っていってその後に冗長な説明いれてるのは「詩に対しては詩で」ってだけです(ボケですな)[07:27]
><
そうすると、....どういう話になるかというと──
■【01】について
ですかね。
■【02】について
これは難しい文章。
「・・あたまわるすぎ。」のほうはさておくとして、「言い逃れしているにすぎないことが引き受けられない」とはいったい...?
...とか、そんなような意味でしょうか?
(──仮にそうだったとして、)で、私はいったい何を言い逃れている、とおっしゃっておられるのでしょうか。
■【03】について
...は、とくに書くべきことはありません。
総じてやはり文意が汲み取りがたいのですが、ひょっとして、
とかと依頼(or 恫喝)されているのでしょうか。‥‥いや、違いますよねぇ。
それとも/そうじゃなくて、
と叱っていただいているのでしょうか。‥‥いや、これも違うか。べつに「助長」してないしなぁ。
うーむ...。わかりませぬ。解説希望。
寝て起きたら、id:morutan さんからまた、たいへん興味深いコメントをいただいてしまっておりました。ありがとうございます。お返事するいとまがなくてすみませんが、読んではいます。
さて、とりあえずさきにひとつ、本日のエントリ分についてだけ質問を。
ここの記述↓の指示先(あなたが「ウラ」と呼んでいる・私がそこでこそこそと誰かにいちゃもんをつけているという、その場所)とは、具体的にはどこのことでしょう?
■もるたんさんの記事:
[muse-A-muse]>「原典・原理主義者との付き合い方」>20040528
あと、これは基本的なことですが..
人のことにいちゃもんつけるときに、ウラのほうでこそこそやるってのはどうも...
これは個人的な感想に留めますが
ゴキブリみたいですね(陰でコソコソと、って感じ)
こういうのを中傷っていうんだろうけど..
(批判と中傷の違いについての考えは前にもちょっと書きました。要するに論拠があるかどうかってことですが....長いコメントでも論理的整合性がなければ仕方ないですね)
まぁ、対話したくはなくて、ただこそこそっと悪口言いたいだけなんだろうけど..
だったらお得意のコソコソって感じをきちんと追求して、人に見えないようにやってもらいたいものですな
それがネットワーク空間の礼儀としての儀礼的無関心ってやつなんじゃないでしょうか?
(まぁ、どっちにしても幼稚なんだけどねw)
【追記:2004/05/28 14:40】コメント欄にお返事(?)──というよりはただのコメント──をいただきましたが:
# morutan 『ウラとかオモテですが・・いい加減、こちらのサイトに来てコメントするようにしてください、ということです(そういうところに礼儀のなさを感じるわけですが)』 (2004/05/28 14:40)
???
なぜそちらのサイトに「行って」コメントをしなくちゃいけないのでしょう???
【追記:2004/5/29 10:15】
id:morutanさんのブログ、5月28日のコメント欄にて、通りすがりの人問うて:
すみません、ココが読みとれませんでした。
読解中の質問ですが、「こういうのを中傷っていうんだろうけど」という表現が指しているのは、「ウラのほうでこそこそやる・・・・ゴキブリみたいですね(陰でコソコソと、って感じ)」と言ってしまっているご自身の事を自嘲してみたのか、あるいは「人のことにいちゃもんつける」ことに対して言っているのか、ちょっと、どちらの事を言おうとしているのか解りませんでした。「要するに論拠があるかどうかってことですが....長いコメントでも論理的整合性がなければ仕方ないですね」という部分を読んでも、それでもどちらを指そうとしていらっしゃるのか区別できずに悩みました。
- 通りすがったので(2004-05-28 11:28:59)
id:morutanさん答えて:
まず、最初に
ウラとオモテですが
これはこのエントリ書いたときにもちょっと思ったのですが、どこがオモテとかどこがウラとかそういうのではなく基本的には礼儀の問題です
人のエントリみて疑問なりなんなり感じたことがあったのならその場でコメントすればいいわけで..
それができないなら陰口みたいなの叩くべきではないなぁ、と
(これはぼくの個人的な態度に過ぎないのかもしれませんがね)
で、「おまえもウラでこそこそしてるじゃないか」、ということですが..
このエントリ書いたときにtrackback打とうかと思ったのですが..
はてなダイアリのほうみてもトラバのURLがなかった感じがしたもので..
こういう形になったわけですが..
それに注意深い日曜社会学な方なら察知されるだろうなぁ、と踏んだわけですが..
そんな感じです
あと、「自嘲」ということですが
そもそもこんな話題をblogで欠いていること自体がぼくにとっては自嘲の対象です
‥‥ということだそうです。(ドウイウコトダ?)
id:morutanさんが置いている前提が、ようやくだんだんわかってきたような....気がしてきました(か?)。
こういうことだったんですねぇ:
こうした前提があるなら、なるほどこういう発言も出てきましょう→:「いい加減、こちらのサイトに来てコメントするようにしてください、ということです(そういうところに礼儀のなさを感じるわけですが)」
ちなみに。
この間、たったの4時間弱。
ウラとかオモテとかっていうか、すばらしく「迅速な対応」ができてるじゃぁないですかあなたw。 注意深い?というか。
このエントリは馬場靖雄さんの本からの引用箇所をめぐる話題についてのみ。
■id:morutanさん 3月14日:[muse-A-muse]>・・ちょっと無責任なんじゃないかい?
「やっぱアンタ官僚的だね」って感じ
それを一番感じたのは機能分化したシステムの閉鎖性批判に対するルーマン的意見(?)をまとめた中の次のところだったんだけど
・・えっと....例の「言語ゲーム」的トートロジーってやつをシステム論のとこにも応用させての言い訳って感じのとこ(154)
システムを全体社会に対して閉じられた、「固有論理」にのみ即して動いていくリジッドな存在と捉えるか、それとも自己の環境である全体社会との「開かれた」対話を通して自身を変化させていく柔軟な存在と捉えるかは、二次的な問題に過ぎない。どちらも、システム内部で引かれた区別によって分割された項目を再びシステム内部において結合するための異なった、しかし機能的には等価な方策なのである。むろん両者からは異なった帰結が生じてくるから、どちらを焦点として理論を展開するかは有意味な選択肢を形成するだろうが。
ルーマンの「閉鎖性」テーゼへの批判者たちは、前者では不十分であって後者への「パラダイム転換」が必要であると主張していることになる。しかしルーマンにとってこの分岐は、さしたる意味をもたないのである。・・出た
【muse-A-muse】>・・ちょっと無責任なんじゃないかい?
「さしたる意味がない」、と
そして、そこから「だってそんなこと言ったって全部システムの中で予定調和なんだゼ」みたいな話になってくわけさ...
・・・そんなの分かってたよ(大分前に)
■酒井による5月26日のエントリ:
■id:morutanさん 5月27日のエントリ:[muse-A-muse]>大人気なく反論してみる
なんか・・
聞きたがってる人がいるので仕方なく説明します
(いまこんなことにかまけてる時間ないんだけどな...なので一回か二回ぐらいしかしません。なんか不毛っぽいし..)
なんかよくわかんないけど..
ここで前に書いたことがさらされていてるので反論なぞしてみようか、と
っつーか、この人向けに書いたものではないんだけどね...(まぁ、いいや)
んで、ポイントとなってるところは<システムへの主体関与>なんだけど..
ルーマンの理論の場合主体関与は否定されていくようだけど..
(もしくは各レイヤにおける主体によってなんらかの反システム的行動があったとしてもそれも予定調和(=システムの流れとして最初から基底されていたもの)というような話の展開になるみたいだけど)
そういうのは主体というものの意志をあまりにも甘く見すぎなのではないかと思うわけです
・・なんつーかなぁ
具体的なイメージとして
ルーマンなんかが言うシステムの場合はどうしても官僚的な統制機構が頭に浮かぶわけだけど...
世の中こういうものだけで回っているわけではないからな
官僚的なシステムってのはタテマエ的なルールであって、世の中の大部分(ってか見えない部分の重要なところ)ってのはコネクションとかそういうもので決まってる場合が多い
・・特に日本の場合は
(ex.地方選挙における談合・集会の実質的力, 会社内部の意思決定のフロー, ボトルネック独占...)
「そういう部分を理論の中に入れて考えてるんだろうか」ってのが疑問
(まだ原点あたってないからこれ以上ガシガシいえないけど)
これって主体の力だろ?
(もしくは人間くさい活動といってもいいけど..)
そういうものを見ていない感じがすごくする(偏見)
で、ほかにもケチづけところがあるんだけど..
この人の元サイトいったら似たような疑問を持ってる人からの質問があったみたいで(っていうかFAQって感じだな)
まとめてあるわけだけど
その大意としては
Q.「社会学(の理論研究)って難しげなこといってるだけで役に立たないじゃん」
で、これに対する回答が....
・・なんだこれ?・・わけわかんないぞ?
つまり、理論研究の必要性を説きたいわけなんだろうけど...
・・ながい
・・・・回答になってない
要はアレだろ?
「基礎研究と応用研究の違い」
みたいなのを言えばいいのに....なんでこういう論理の展開してるんだろ..
いっておくけど、ぼくは元々理論系だから理論研究の重要性とか、そういう分野のあり方をディフェンスしたいわけだけど...
いちお馬場さんについても「すごいな」って思ってるし..
んで、文科省の「実学」本意系の流れにもイヤなものを感じている
でも、さっきの人みたいな感じの説明だとムリだ
アレでは社会は納得しないし、予算も出ないだろ
(まぁ、この人はそういうこと気にする必要もなく、ただ単にこの領域を趣味として楽しんでるのかもしれないから別にいいけど)
んで、「基礎研究と応用研究の違い」だけど...
めんどうだから自分で考えてね
(ぼくがわざわざ時間と脳みそ使って説明する必要ないだろ。なんの利益もない)
あと、システム論についてだけど...
およそシステム論というときには、あらゆるレイヤのシステムを集めて、「その類似点および相違点」みたいなの洗っといたほうがいいんじゃないのか?
(※具体的にいっても何の利益もないので言いませんけどね。人文系オタクの人たちの中には平気でパクる人もいそうなので..)
そういう形でやっていたら、ルーマンがどれほど優れた卓見をもっていたかが分かるのに...
(よくPCもない状態であそこまで論理展開できたな、と)
・・まぁ、いいです
muse-A-muse>大人気なく反論してみる
じゃあ、がんばってください (^o^)/
引用されている馬場本の文章(あるいはその「筆者」あるいはその筆者の「考え」)が「無責任」だと言われていることに対して、反論・弁護したりすることには、私の関心はありません。(私が書いた文章ではないですし。)
教えてもらえるとありがたいのは次の点です:
以下敷衍。
馬場本からの引用箇所を再掲すると:
システムを全体社会に対して閉じられた、「固有論理」にのみ即して動いていくリジッドな存在と捉えるか、それとも自己の環境である全体社会との「開かれた」対話を通して自身を変化させていく柔軟な存在と捉えるかは、二次的な問題に過ぎない。どちらも、システム内部で引かれた区別によって分割された項目を再びシステム内部において結合するための異なった、しかし機能的には等価な方策なのである。むろん両者からは異なった帰結が生じてくるから、どちらを焦点として理論を展開するかは有意味な選択肢を形成するだろうが。
ルーマンの「閉鎖性」テーゼへの批判者たちは、前者では不十分であって後者への「パラダイム転換」が必要であると主張していることになる。しかしルーマンにとってこの分岐は、さしたる意味をもたないのである。isbn:4326652551 p.154]
ここでは、
というようなことがいわれているように、私には読めるわけです。
で、──知りたいのは──、そこから どこをどうすると、
具体的なイメージとして
http://morutan.blogtribe.org/day-20040527.html
ルーマンなんかが言うシステムの場合はどうしても官僚的な統制機構が頭に浮かぶわけだけど...
という「イメージ」へと跳躍できるのか、ということ。
そのへんを埋めていただけると私の側でももうちょっとなんか書けるかと思うのですが。
この件については以上。です。
><
2008年11月30日の追記。
2008年現在、このやりとり*は、彼の側ではこういうまとめになっておるようです。社会って複雑ですね。
■私の発言:
#contractio (*゚ー゚) そういえば、あたしのところにもこういう 自己愛ブロガー(笑)来たわ〜(遠い目) d:id:contractio:20040528/ていうかいま気がついたが、この人まだ はてなにいるのね...→ b:id:morutan http://iddy.jp/profile/morutan/ [2008/11/30]
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060818/bmcomment
■以下 morutann せんせい @m_um_u(と @tricken せんせい)のご発言:
なんだこいつあいかわらずさびしい精神してんな。。http://tinyurl.com/6lmbte
http://twitter.com/m_um_u/status/1029961586
まぁ、アホは無視する
http://twitter.com/m_um_u/status/1029961838
つか、もにょったのでいちおいっとくとオレのサイトで書いてることについてあのアホがてめえのサイトで特に理由もあげずに「ぷげら」って反応してこそこそしてたので「理由は?」って聞きにいったら特に理由も答えられんかったんやんけボケ ...
http://twitter.com/m_um_u/status/1029964696
そんで社会学系のほかの人が間はいる形で「こんな意見ありますよー」的に提示しても理解しようともせんかったんやんけ ...
http://twitter.com/m_um_u/status/1029965425
だからルーマニアはきらいだ
http://twitter.com/m_um_u/status/1029965617
少なくとも最初は「なんかまともなこといえんのかな?」って期待して聞きにいったところもあったけどその後もアホみたいなことしかいわんかったからもう無視したってだけのことだが。ぶくまコメントの「まだはてなにいたのね」ってどういうことなんだろ?はてなは君の許しがないといてはいけないの?
http://twitter.com/m_um_u/status/1029971075
まぁ、こんな感じでアホの粘着は嫌いなので粘着されてた人の気持ちも分かりますよ。話通じないしキモいしコウマンチキだし…
http://twitter.com/m_um_u/status/1029987080
@m_um_u 尊大だし文脈を敬わないし勉強しないし自分の知識だけが正しいと願ってるし自分の知らない語彙は悪だと決めつけるし……云々。
by tricken
@tricken なんかねぇ。。いまだと自分が間違ってんじゃないかって思って情報交換とかできるかと思ってんだけど、それ以前の問題がねぇ。。(いや、もういうまいよw
http://twitter.com/m_um_u/status/1029992529
@m_um_u 百字以内で優れた批判なんてどれだけ書けるもんなんでしょうかね……と思うとマヨイなくぽちっ。
by Tricken
@tricken そだねー。そんで彼の場合は「自分とこのコメント欄きたら遊ん(茶化)でやるよ」的姿勢だからねぇ。。なんともめんどくさくてもうどーでもいいw
http://twitter.com/m_um_u/status/1030012306
@m_um_u 井の中の蛙は、いずれ好きなタイミングで井戸ごと埋めることが可能ですから……(と思うことにしている)。
by tricken
....どうぞ反省などせずに、そのまま突き進んでくださいませ♪