72 東北をあとにして

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第72回



12日間の東北の旅も終え、関東へ





 水戸の黄門さま






8月12日。朝から雨。
いわきユースホステルのロビーで朝刊を見ると、北陸地方は豪雨だという。北陸地方といえば、今ごろあの人たちはどうしているのだろうか。


北海道で会ったサイクリストたち。僕とは反対回りで、日本一周をしている3人の顔を思い浮かべた。


女性の日本一周・由見子嬢は、今ごろは新潟県か、富山県か、石川県か…? はたして、どのあたりを走っているのだろう。新潟でお世話になった旅館般若のおかみさん宛に、僕は手紙を託していた。由見子嬢は、その手紙を持って般若を訪れ、泊めてもらったのだろうか。


オホーツク海沿いの道で、由見子嬢と出会った日の朝に会った水谷クンも、同じようなところを走っているかもしれない。


あの新宿の大将・西島さんも、今は北陸あたりを走っているはずだ。北陸地方が豪雨だとなると、大将が大好きなヒッチハイクへの口実ができる。豪雨の洗礼を受けて、案外喜んでいる…な〜んて、そんなことはないか。


3人とも、よく似た時期に北海道から本州へ渡っている。そして、日本海沿いを、ひたすら南西へと走っているはずなのだ。僕は、懐かしい連中の顔を思い出すことで自分を奮い立たせ、雨の降りしきる中、いわきユースホステルを出発した。


いわき市から東京まで、220キロ前後の距離がある。僕の自転車のスピードでは、2日間の行程だ。しばらく雨の中を走っていたが、いよいよ雨脚が激しくなってきた。東北に入ってから、もう、どれだけ雨に降られていることだろう。


…あと2日走ったら、東京へ着く。
そのときが、待ち遠しくて仕方がない。


東京では、まず新宿の大将の寮を訪ねて、泊めてもらう。北海道の白老で知己を得た明治大学のフクダさんの下宿にも行く。阿寒湖で知り合った青山学院大学の女子大生・金子さん宅も訪れる。東京には、そんな、旅行中に知り合った人たちとの再会が待っている。さらに一人、大阪から大学の友人が来て、東京で合流する約束もある。
とても楽しみであり、一刻も早く東京へ着きたい気分なのだ。


降りしきる雨は、手加減をしない。
道路わきに、トタン屋根の薄汚いガレージがあったので、とりあえず、僕はそこで雨宿りすることにした。中に一台、みすぼらしく放置されたような軽トラックが入っていた。荷台には、ゴザが1枚敷いてあるきりで、他には何も乗っていなかった。僕は自転車を車のすぐ横に寄せて、荷台によじ登り、ゴザの上に仰向けに寝転んで、体を思い切り伸ばした。


残り物のパンを食べたりして、ぼんやりと過ごすうち、眠気が襲ってきた。こうして荷台に寝転んでいるのが、案外落ち着けて、気持ちがよかった。顔の上に帽子を乗せ、そのまま寝入ってしまった。


……。
何時間ぐらい経ったのだろう。
目がさめると、一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。時計を見たら、午後3時である。道路は、雨で濡れていたけれども、空は明るくなり、陽がのぞいていた。よ〜し、今日はこのまま、夜を徹して、東京まで走ってやろう。阿武隈川で、隣同士にテントを張った茨城県のお兄さんなら、ここから東京までぐらい、こともなげに走って行くに違いない。僕にだって、できないことはないだろう。そうと決めたら気が引き締まり、がぜんやる気が出てきた。


僕はその勢いに乗って、雨上がりの道路を疾走した。関所跡で名高い勿来 (なこそ) を過ぎると、福島県から茨城県だ。東北地方はここで終わり、いよいよ関東地方に入る。




8月1日に、新宿の大将とふたりで、函館から下北半島に渡った。それから12日間、東北を縦断してきた。大将との別れ、八戸のウミネコ、啄木の碑、高村山荘、中尊寺石巻工業の校庭、松島、仙台の急坂、阿武隈川と茨城のお兄さん、そしていわきユースホステルから下って、いま、勿来を過ぎた。数多くの思い出を刻み込んで、東北地方は背後に遠ざかって行く。




      
東北地方 12日間 の 軌跡 です




夕方に、高萩市を通過した。
渋民村の石川啄木の碑の前で一緒に写真を撮った柴田さんという、一度会っただけで、平成18年の今でも年賀状のやり取りをしている男性が、この高萩市の在住である。


その次に通過した街は、「だっぺ」の茨城のお兄さんの日立市だった。そこで、日が暮れてきた。


車の量も少しずつ減ってきた。車のライトが道路の前後で途絶えると、国道6号線といえども真っ暗である。日の高いときには威勢よく徹夜走行を決意した僕だけど、周囲が暗くなると、とたんに意気は消チンして、肘の赤チンの痛みを思い出したりして、暗いところを走って事故なんか起こすと大変だぁ、な〜んてことも思いはじめる。やっぱり僕には、茨城のお兄さんのように豪胆な活力は備わっていない。徹夜の走行なんて、どだい無理なんだ…。 グスン。


どこか適当な場所で野宿をしよう。 そう決めた。やる気が出たり、ひっこんだりして、予定がコロコロと変わる僕でなのであった。


原子力研究所で有名な東海村を走っていると、道端に小さな神社があった。道路から少しヘコんだところにあったその神社の前で、自転車を止めた。狭いけれど、前には、テントを張るくらいの空間はあった。午後7時半だった。もう、欲も得もない。 今夜はここで寝よう。


テントを張り、中に入ってパンを食べ、寝袋にくるまった。テントのすぐそばを、トラックなどがびゅんびゅん走って行く。その轟音と振動は、半端ではなかった。無理に目を閉じてはいたものの、あまりに激しい車の音のおかげで、夜が明けるまで、とうとう一睡も出来なかった。


     ……………………………………………………


翌13日、朦朧としながら、テントをたたみ、5時40分にそこを出た。昨晩は7時半まで走ったが、そんな遅い時間まで走ったのは初めてだったし、今朝はまた朝の5時40分という早い時間からスタートしたのも初めてである。一晩寝ていないので、眼の調子が悪いようだ。景色がボンヤリと、かすんで見える。でも、しばらく走っているうちに、それは本物の霧が発生していたのだ、ということがわかった。ボケていたのは、眼ではなく、頭のほうであった。


勝田を過ぎ、水戸に着いたのが午前6時半。せっかくだから、日本3名園のひとつと言われる偕楽園に行ってみた。もうひとつの、金沢の兼六園には、6月に行っていた。さらにもうひとつの、岡山の後楽園には、…行ったことはない。偕楽園は、早朝なので、ひっそりとして、人の姿がどこにも見えない。好文亭という、水戸藩の殿様の別荘だったところは、閉まっていた。午前9時から開くのだそうである。時計を見たら、まだ7時前であった。


偕楽園を出て、僕は地図を広げた。
東京まで、120キロである。
土浦を通り、取手で利根川を渡ると千葉県に入る。
そして、富山で会った鈴木君のふるさと松戸を過ぎると、もう、そこは東京である。


…東京。
中学の修学旅行で行ったことがある。
この自転車旅行で、再び訪れる地、というのは東京が初めてだ。
今日は東京まで走るんだ…。
思っただけで身震いがした。

さぁ、出発だ〜。



早朝の偕楽園はひっそりとしていて、人影も見えない。








なんで 日付けだけが 裏向きになってる ?