気温は低めですが…

アルメリア

 まだ気温は低めですが、雲の間から晴れ間が顔を覗かせ、久しぶりにお日様の光を感じることができます。 これから梅雨を迎えると、ますます太陽の光が恋しくなりますが、でも、梅雨が明ければ強烈な日差しが待っておりますので、まあ、その季節ならではを楽しみたいと思っております。 さて、今日の我が家の花々ですが、久々に「アルメリア」です。 何かいつもこの花だけは元気という感じで、気温の変化にもびくともせず、美しい花を咲かせてくれております。

シリーズ「褒めよう!」(第1回 広島県)

 以前も「ディクショナリー」やら、いろいろシリーズ化しましたが、毎日ではなく、気が向いた時に、様々な事柄を褒めてみたいと思います。 今回は僕が見た広島をいろいろ褒めてみたいと思います。

広島県人

 僕の中にも「広島県人」の血が入っており、やはり広島へ行けば、何か故郷へ帰ってきたような気になるのです。 よく広島の人は「人が良い」とか言われておりますが、それには僕も同感です。 もちろん何処にでも悪い人はおりますし、なるべく「○○県人だから○○」という固定概念は持ちたくありませんが、でも、僕の印象として、やはり広島県人は確かに「人が良い」のです。例えば、あれは一昨年のことですが、台風が上陸した広島を訪れ、酷い目に遭ったのですが、ホテルの前(中国電力前の某ホテル)で強風に煽られ、電柱にしがみついていたのです。 すると1つ先の電柱にも同様の人がいて、その人から「大丈夫ですか?」と声をかけてもらい、それが何か励みにもなりましたし、嬉しかったですね。 また、電車に乗っている時に「何処から来たの?」と声をかけられることが多いのですが、これはまあ旅行中の荷物を持っておりますので、当然ではありますが、その「何処から来たの?」が優しく響き、嬉しくなってしまうのです。 そこからいろいろな話が広がり、僕にも広島県人の血が入っていて、なんて話でもなったら、「何処なの?」、「川尻です」、「ああっ、呉の隣で野呂山の麓の町ね」、「おばさんは何処なんですか?」、「私は瀬野だ」、「ああ、瀬野八の瀬野ですね」、というような会話になってしまうのです。 そういえば以前南海ホークスの監督を務めた広瀬さんも広島がご出身で、確か大竹だったと思いますが、その広瀬監督とも広島の話で盛り上がったことがあります。 余談でしたが、広島の人は郷土に対する意識が強く、特に安芸の人はそれが強いように思います。 もちろん備後の人も郷土に対する意識は強いのですが、安芸の人は、より強いような印象です。 

広電
 
 広島市内を移動する足として、これほど重宝する乗り物はありません。 まさに「広島のシンボル」的な存在ですが、僕は広島に滞在する時は、広島駅前で宿を探さず、必ず広電を使う「銀山町」(かなやまちょう)電停付近であったり、「中電前」電停付近で宿を探します。 広島駅前から広電に乗り込み、猿候川を渡り、京橋川を渡ると、風景が一変しますが、これがまた楽しみの1つなのです。 また、広島から船で松山に渡る時は、広島港まで広電を使い、船に乗り換えますが、宇品辺りの風景もほっとするのです。 江波周辺の景色も素敵ですし、広電沿線は見所が本当に多いと思います。 そうだ! 広電には「広電西広島」という駅がありますが、旧名は「己斐」で、今はどうだか知りませんが、車内アナウンスでも「次は己斐、広電西広島です」と言っていたような気がします。 その己斐という地名が「恋」や「鯉」を連想し、何とも言えない気持ちになるのです。

名物

 広島は海の幸も山の幸もあり、食べるものには不自由しません。 「お好み焼き」や「かき料理」はお馴染みですが、僕が一番好きなのが、実は「穴子料理」なのです。 JR宮島口駅の駅弁に「あなごめし」がありますが、これが絶品なのです。 大野瀬戸で獲れた穴子は本当に柔らかく、その穴子の煮汁でご飯を炊いておりますので、その風味は最高です。 後は、尾道といえば「尾道ラーメン」ですが、僕が尾道で楽しみなのは「シャコ」なのです。 ちょうどこれから季節を迎えますが、尾道で獲れる「シャコ」は大きく、でもとても美味しいのです。 ずいぶん前ですが、尾道に泊まった際、そこの旅館で大量の「シャコ」を楽しみましたが、もう病みつきになってしまいました。


 
 瀬戸内には大小様々な島が浮かんでおり、僕も全部行った訳ではありませんが、江田島大崎上島、そして大久野島は印象的でした。 ご存知の通り、大久野島には戦時中「毒ガス工場」が置かれ、地図からも消された島だったのです。(戦争中竹原に住んでいた母は大久野島へ行ったことがあるとのこと) その大久野島へは10年ほど前に訪れ、「戦争とは何か」を考えさせられました。 これは大久野島に限らず、広島へ行けば「戦争とは?」「平和とは?」を、本当に考えさせられます。

広島カープ

 ホークスファンの僕が、唯一複雑な気持ちになるのが、カープとの対戦です。 広島カープこそが、まさに「おらがチーム」の代表であり、広島の人たちが育てたチームだと思います。 カープといえば昭和50年の初優勝が忘れられませんが、あの時は広島市内はもちろん、広島県全体がカープ一色になり、すごく盛り上がりました。 その後「赤ヘル軍団」が一世を風靡しましたが、好きだった選手は外木場さん、金城さん、三村さん、高橋慶彦さん、山崎隆造さん、ライトル、シェーンなどなど、役者揃いでした。 今も新井、嶋、栗原、梵、前田、緒方などなど、役者揃いという印象です。 そういえば古葉監督も、金城さんもライトルも、南海ホークスにも在籍したことがありますので、カープとホークスは人事交流が結構ありますよね。 

マツダ

 広島の代表的な企業といえば「マツダ」、「チチヤス」、「クマヒラ」などが挙げられますが、やはりマツダは広島の象徴的な存在です。 好きな車は今でも「コスモスポーツ」ですが、あの独特のフォルムと、やはりロータリーエンジンを初搭載した車ということで、子供の頃は本当に憧れましたね。
 その後発表する「カペラ」や、「サバンナ」、「グランドファミリア」など名車揃いという印象ですが、ちなみに僕が子供の頃ですが、我が家の愛車は「キャロル」だった時代もあるのです。

広島弁
 
 広島県人の血が入っているのに、なかなか広島弁が頭に浮かぶことはありません。 でも、同居していた大伯母から広島弁が飛び出し、よく「わやじゃの〜」を使っていましたね。 「無茶苦茶だ」とか、「散らかっている」というような意味ですが、子供の時に僕らが散らかしていると、呆れたように「わやじゃの〜」を使っていました。 それにしても、広島弁の響きは、何かほっとしてしまうのです。

 広島についていろいろ褒めてみましたが、まだまだ書きたいことはたくさんあります。 それはまたの機会にしますが、でも、やはり広島が大好きなのです。Yさん、もし間違ったことを書いていたら、ご指摘お願いしますね。 広島の次は、新潟を褒めたいと思います。

えっ、木村拓也が…

 びっくりしました。 最近出番が減り、心配していたのですが、まさかジャイアンツにトレードされるとは、本当に驚きです。 元々はキャッチャーで、最初に入団したチームはファイターズだったのです。 でも、今やカープの代表的な選手に成長し、あの内外野をそつなくこなせる素質の高さが印象的でした。 それにしてもジャイアンツかよ…(呆)