訴状

 若干の修正を加えるとは思いますが、訴状の全文をアップしておきます。



訴状
在日日本人大阪住民選挙権の義務付け請求訴訟事件


平成19年11月  日

大阪地方裁判所御中

原告 阪口 浩一 

郵便住所 
〒557−0054 大阪市千本中1丁目17−32 吉本文化17号 
電話 050−1494−9876

被告 大阪市(同代表者市長 関 淳一)
   大阪市北区中ノ島1―3―20
   
国  (同代表者法務大臣 鳩山 邦夫)
東京都千代田区霞ヶ関1−1−1
  

請求の趣旨
1.原告が,大阪在住者および日本国民として、次回の国政選挙および地方選挙、国民投票において,投票することができる地位にあることを確認する。
2.訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。

請求の原因

第1原告
原告は日本国内に住む日本人であり大阪市西成区住民である。原告は西成区釜ヶ崎地区にて主として土木・建築・港湾関係の日雇い労働に従事し生活を営んでいる。原告は大阪市の判断と運営により住民基本台帳法に基づく住民登録がなされていない。つまりは野宿生活者である。その事だけを持って原告は、憲法15条1項ならびに3項に明記されている公職選挙の普通選挙権を剥奪されている。

第2.住民登録不受理の事実経過

原告は 月 日に旧住所大阪市西成区萩之茶屋2−5−23釜ヶ崎解放会館502号から             への転居届を提出した。
そしてそれが不受理処分になった為に再度、 月 日に西成区役所住所への転居届を提出した。申請書が窓口によって受け付けられずに返却された為に、再々度、萩之茶屋2−5−23あたり、つまりは路上への転居届を提出した。これが再び不受理決定となった為に  月 日付けで西成区の上部行政機関である大阪市に対して不服審査請求を行なった。不服審査の決定には60日以内と記載されており、最長では大阪市長選挙の投票日を過ぎてしまい投票することが出来ない。そして現在の状態が継続されるのであれば市長選挙以降の選挙での参政権が持てなくなってしまう。原告は大前提として、憲法15条の1項と3項に照らし日本に住む日本国民は公職選挙の選挙権が保障されている筈であり、地方自治法第10条に照らしても原告は大阪市民である。

第3 国民の選挙権の行使に関して

1.基本的人権のひとつである普通選挙権の行使について
11条、15条に明記されているごとく参政権は成年以上の国民に対し平等に保障された基本的人権のひとつである。14条に明記されているごとく「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されてはいけない。」
しかし大阪市が本年3月29日に行なった釜ヶ崎地区にての2088名の住民票職権削除以降、西成区だけに留まらずに全市へと波及した住民票職権削除は現在まで継続され、公職選挙法住民基本台帳法の矮小なる判断を持ち憲法14条、15条および11条は完全に置き忘れられている。

2.国民でありながら国民としての基本的人権を剥奪することの不当性
本年、春以降の大阪市によって行なわれている住民票削除処分が適法であり促進されていくならば、全国の多数の野宿者や社会問題となっているネットカフェ難民は選挙権の行使ができない。これは国内最高法規たる憲法から明らかに逸脱していると言わざるを得ず、日本人でありながら日本人ではない国民(?)を増加させていくだけだと思われる。先の大阪市行政処分を適法と認めた場合、先に上げた憲法の基本的権利のひとつである選挙権が、明らかに住民基本台帳法と公職選挙法の名の下に侵害されているのであるから、それら日本人を「日本国民」ではないと断言したと同義であり到底ゆるされることではない。

3.“先進国”でほぼ唯一無二の普通選挙権の否定とその機会の剥奪
数値的経済指標をもってのみ国の文化、社会、政治的民主度を述べることは、私心に照らせば甚だ疑問をもたざるを得ないが、日本人が社会的通念として持ついわゆる“先進国”にあって、野宿者の選挙権が行使できない国はほぼ存在しない。

4.市民的及び政治的権利に関する国際規約に明確に違反する 
日本国が批准したし民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年9月21日日本国にて発行)の第2条1項には「この規約の各締結国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」同2項には「この規約の各締結国は、立法措置その他の措置がまだとられていない場合には、この規約において認められる権利を実現するために必要な立法措置その他の措置をとるため、自国の憲法上の手続及びこの規約の規定に従って行動することを約束する。」そして同規約3条にはこの規約の各締結国は、次のことを約束する。と明記され、そのa項には「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること。」と書かれている。
 そしてその第16条には「すべての者は、すべての場所において、法律の前に人として認められる権利を有する。」と書かれ、その第25条には「すべての市民は、第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限なしに、次のことを行なう権利及び機会を有する。」と規定され、同条a項には「直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、政治に参与すること。同条b項には「普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行なわれ、選挙人の意志の自由な表明を保障する真正な定期的選挙において、投票し及び選挙されること。」同条c項には「一般的な平等条件の下で自国の公務に関わること。」と明記されている。
 先にあげた今春の大阪市による大量住民登録削除以降、現在まで継続されている大阪市の職権削除処分は明確にこの市民的及び政治的権利に関する国際規約に違反しているし、現在までの所、原告が置かれている選挙権行使の剥奪は明確にこの国際規約に違反している違法行為である。
5.選挙の公平さと正確さの考慮とその解決策
2005年9月14日の「在外日本人選挙権剥奪違法確認等の請求事件」最高裁大法廷判決は「憲法上の主旨にかんがみれば、自らの選挙の公正さを害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。そして、そのような制限をすることなしには選挙の公正さを確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない事由があるとはいえず、このような事由なしに国民の選挙権の行使を制限することは、憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書きに違反するといわざるを得ない。また、このことは、国が国民の選挙権の行使を可能にするための所要の措置を執らないという不作為によって国民が選挙権を行使することができない場合についても、同様である。在外国民は、選挙名簿の登録について国内に居住する国民と同様の被登録資格を有しないために、そのままでは選挙権を行使することができないが、憲法によって選挙権を保障されていることに変わりなく、国には、選挙の公正の確保に留保しつつ、その行使を現実的に可能にするために所要の措置を執るべき責務があるのであって、選挙の公正さを確保しつつ、そのような措置が執ることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合に限り、当該措置を執らないことについての上記のやむを得ない事由があるべきである。」として選挙権の行使の制限を選挙の公平さの点から見ても最低限に抑える必要性、すなわち憲法15条に沿う判決を示した。この最高裁判決に立っても、選挙の公平さを保持するために、現行手続き法のごとく住民基本台帳法と公職選挙法を関連させて運用する必要などない。また、さらに言えば、現在の住民基本台帳法の登録の形骸化について知るならば現在の住民基本台帳法とそれに関連づけられた公職選挙法は国政選挙のみならず、実際の地域住民の重大な意思決定である地方選挙にあっては、地方自治の主旨と理念にそぐわないといわざるを得ない。何故なら、単身赴任の給与所得生活者や国内に諸事情から住民登録を置いた海外生活者並びに親元に住民登録を置いたままの学生など多数は、一定期間その住民登録の地方自治体に居住しておらず、このことは地方自治体の理念である自治体住民の行政参加そして最高意思決定としての地方選挙制度にも支障をきたしているといわざるを得ない。それに加えて本来ならば法規の厳重尊守(コンプライアンス)によって住民基本台帳法を適正運用させるとするならば、上記の多くの人々は住民基本台帳に違反している。そして国際規約や憲法を頂点とすべき法体系の整合性の上から、原告は先法律の厳重尊守など求めていないが、法の執行性の平等の原則から言って、大阪市が今春おこなった2088名にも及ぶ大量住民登録削除は法の整合性を無視した、憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されてはいけない。」に違反した自治体住民への選挙権並びに基本的人権の剥奪だと言える。
 そこで選挙の公平さと国民への選挙権の保障の観点から言えば住民登録制度と選挙権登録制度を分離すれば良いだけである。選挙投票日の一定期限を設けて選挙権の登録を実施すれば済む。このことは地方自治の点からいってもその理念がより実際に反映されるし二重登録などの防止も現在の技術的水準から見れば容易である。そして訴状第3の3で述べたように多くの“先進国”で“民主国家”と呼ばれる国々ではそのような選挙登録制度がすでに実施されている。付けていうならばそのような国々において住民基本台帳制度や戸籍登録制度並びに外国人登録制度は存在しない。何故なら国民・市民の側にとってこのような制度から受ける恩恵が存在しないからであり、譲歩して表現しても、それらの制度から起こる不平等や差別による被害が利益を上回るからである。これらの諸制度は誰の為の法体系かを考える場合に甚だ示唆的であると思われる。管理する側にとっての便宜と利益。このことは何の為の法であり法治であるのかを考える上で基底に置くべき哲学でさえあると思う。

6.普通選挙を認めるか否か?「住所」なきものは日本人にあらず?
事の事実経過を簡単に整理してひとことで述べるとするならば、その結論から入るのが最も簡単なことと思われる。日本国内に居住する野宿者や何らかの理由で住所を現行の住民基本台帳法で確定できない人々に選挙権及び被選挙権の行使を認めないのか、という一言に尽きる。
日本国憲法の十五条には成年以上の男女に選挙権の行使を認めている、又、参院選挙においては25歳以上のひとびとに被選挙権の行使を認めている。そして同14条の1項には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記されている。
 先に述べたように現在の住民基本台帳法を公職選挙法の登録に関連づけるのではなく、分離、独立させて選挙権の登録制度を新設させれば簡単にこの問題が解決されて、そしてこの方法は選挙投票日の一定期間を登録手続きの期限とすることによって、選挙の公平さそして公正さという意味において何ら問題は無くなる。
 現行制度を遵守の名目で大阪市が本年の3月29日に行なった2088名の大量住民登録削除をそのまま普遍させていくとするならば、先に述べる国民に平等に与えられた普通選挙権の保障が崩れ、現在おこなわれ又将来おこなわれようとする選挙は「住所」のある無によって行なわれる差別選挙以外の何物でもない。又、大阪市が3月29日に2088名の大量住民票削除を行う際にその大義とした「住所」の認定を法の遵守によって当てはめて行くとするならば単身赴任の給与生活者や学生、出稼ぎ生活者その他、かっての私が行ったように「住所」登録を便宜的に行っている国内外旅行者の多くなどは公職選挙法により選挙違反の原因とされなければいけない。そして現今の住民基本台帳法を基底にした公職選挙法のもとに行われてきたあらゆる選挙は、先に述べたように普通選挙を阻害し行なわれてきたという点において、憲法違反の選挙であったと言わなければならない。そしてその事は国際人権規約に簡潔に規定されているごとく、歴史的獲得の過程を冒涜し世界的民主化の方向に著しく反する選挙違反とさえ言える。今回の提起とその判決は、我等が尊敬すべき先人の不断の努力と膨大なる犠牲により獲得された普通選挙権の行使を肯定するか否かの重大なる問題である。
 付け加えて述べるならば、先人への尊敬を現在の権利だと認識している世界の民主国家にあって、現在の日本のように「住所」の有無によって選挙権の行使を制限している国はほぼ皆無であり、このことは先日とつぜん辞任された安部元首相の提起した日本国の伝統を認識するにおいても甚だ重大な事であり、先に述べた国際人権規約に簡潔に表明されたる世界的合意のもとによって目指されるべく民主化を考える上においてまた過去150年にならんとする我が国の近代化の歴史認識を図る試金石として重大な意義を持っており、同じく元安部首相の述べた我等が日本民族の伝統認識を写す鏡と言える。そして最後に付け加えるとするならば、司法制度においても、幾多の法令で数多く明記されたる「公共の利益」を考える上において決定的に重要であり、つまりは誰が為の「公共の利益」であり、どのような認識に基づく「公共の利益」であるのかが問われているのである。                        

結論 
以上。請求の説明で述べた通り、大阪市が本年春に行なった2088名の削除以降、現在まで継続されている住民登録削除処分は憲法14条、15条に照らし合わせて甚だ逸脱していると言わざるを得ず、本来、市民の権利の保護を最優先として考慮しなければならない行政機関の首長としては、国民に秒土言うに保障されたる選挙権を含む社会的諸権利の剥奪に対する思慮そして感受が甚だ欠けているとしか言い様が無い。なぜなら、住民票職権削除を行うに当たり、当然予想されるべきこれら社会的諸権利の保護、回復に対していっさい保障、救済策を施していない現実がそれを証明している。裁判長にあられましては、日本国憲法最高法規とする民主の理念に基づく法体系と、先人達の言語を絶する闘いにより勝ち取って来た世界の民主主義への希求とその実践の標準から、経済的数値の純利主義だけではなく、その民主化の度合いが世界標準から逸脱することなきよう、請求の趣旨にある判決を強く求める。

証拠方法



附属書類
1.訴状副本        一通
2.甲第一号証から甲第○号証までの写し  各一通

提訴にあたって

 始めにこの裁判を思い立った経緯についてお話しします。小難しい話しになってしまいますが御了承ください。

 ひとつの大きなきっかけ。それは今春、3月29日に大阪市関淳一市長の判断と命令により行われた、大阪市西成区釜ヶ崎地区での2088名にも及ぶ”住民登録削除”処分です。関氏は現在の制度において”住民登録制度”が日本国憲法にて平等に保障されている選挙権や国民健康保険などの社会的権利、さらにそれ以前の問題として、最低限の日常生活を営む上において必須ともいうべき事実を考慮することも無く、一方的に住民票削除を行いました。そして、それは「適正化」の名のもとに現在も続けられており、西成区釜ヶ崎地区では先月あらたに777名が加えられました。

皆さんは、住民票、住所の無い生活を想像できますか?
仕事は優に及ばず、郵便物の受け取り、銀行口座の開設、携帯電話の契約、パスポートや免許証の取得や更新などなど。日常生活に限っても「住民票」は必須です。それに加えて選挙権の行使やその他の社会保障の権利は”文化的””民主的”な国々において当り前の権利です。

 ここで幾つか問題を提起します。皆さんは「住民登録制度」や「戸籍制度」そして「外国人登録制度」は生まれてこの方、空気や水のように当り前のこととして受け入れているのかもしれません。が、しかし、このような制度が存在するのは、日本とGDPを前後する国々においてはごく少数です。仮に住民登録が存在する国でも選挙登録とは分けられています。
 
 これは考えてみれば当然の事で、住民登録のあるなしにより選挙権の行使が出来ないのであるならば、民主化の条件のひとつである平等な普通選挙が不可能であるからです。つまり、住民登録が何らかの理由によって出来ない、経済的その他の個人的、社会的事情によって、選挙権の差別化が行われてしまうからです。

 先に少し書きましたが、私も今回の大阪市の住民票削除処分に出会うまでは、住民登録など水のようなものであり、”日本的”な便宜のひとつだろうぐらいに思っていました。そして実際、住民登録制度など多くの国民は関心など持たず、学生であれば親元に、単身赴任のサラリーマンなどであれば家族の住んでいるところに置いている、それが当り前でごくごくアバウトなものだと考えていました。しかし、実際には違いました。住民登録基本台帳法なるものを厳密に運用していけば、先に述べた便宜的登録者のことごとくが違法であるにも関わらず、大阪市が行った処分は、特定の階層の社会的弱者にのみその矛先を向けてきたのです。つまるところ、日本国憲法で平等に保障されたる国民が”日本人”であるとするならば、その線引きによって、行政の側から日本人と非日本人の差別を行った訳です。

 ここまで読まれた方で、何を極端なとの感想を持たれた方もいるかもしれません。しかし、私のロジックは飛躍ではなくて、”法”というものが歴史的に市民や国民としての社会的権利や人権を保障し、移ろいやすい為政者達によって先人達により勝ち取ってきたヒューマン・ライツが後戻りすることなきように権力者に対して”歯止め”を利かせるものだとの実感が、社会的に共有できる国であるならば当り前のことなのです。
 
 私はことの根幹の問題は管理制度そのものだと考えています。今回、問題としている「住民登録制度」だけに留まらず、「戸籍登録制度」、「外国人登録制度」をも含めての。一体、これらの登録制度によって我々が受けるメリットが存在しますか?

否です。

してみれば、一切は行政の事務的な便宜と事細かく管理しておきたい側だけのメリットとなります。

 ここから先は私見ですが、住民基本台帳ネットワークに反対することは本質を突いているとは思いません。ことの本質は住民基本台帳制度そのものだと考えます。ネットワーク構築時に一体どれほどの予算を注ぎこんだことか。それに加えて、年金番号のシステムもこれまた莫大なる予算をつぎ込んで行いましたが、結果はいま大問題になっている通りです。そすして、それらのシステムはもっと少ない予算で効率的に行えたはずなのに、無駄の多いシステムを各所管の省庁が予算獲得の為に行ったに過ぎないのです。

 諸外国の中で英語圏の国々は、出生登録と社会保障番号を持って国民としての登録制度を行っているところがほとんどですし、その場合には選挙登録は別途に行ないます。住民届け制度が存在する国々でも、選挙登録に関しては独立して存在します。なぜなら現行の国民国家制度で”普通選挙”を行なうとすれば、それ以外の選択肢はごく限られてしまうからです。
 もちろん住民票が置けないことに到った問題については、公営の住宅施設の完備やその他の社会保障制度によってその国々の行政機関が解決していかなければいけない問題であることは言うに及びません。しかし、それ以前に、国民としての平等な権利は守られて当然です。

その点我が国を省みてみれば、社会施策は経済的数値に比べて余りにも遅れているのが現実ですし、法の下の基本的人権の平等性に到っても同様です。

以上の経過から私は「自分にも選挙権は存在して当然」との主張を前面に立てて、訴訟を行うことを決断しました。

尚、注釈ながら戦後の日本の裁判の中で、固まってしまっていることなのですが、最高法規であるはずの憲法にも規程されている”違憲立法”審査権でさえほぼ機能していないのが実際のところで、つまりは立法府である国会が明らかに違憲である法律の数々を量産しても、現在の国政を野放しにしているごとく、その法律自体の不当性を主張することが極めて難しいのが現実の日本における裁判制度の実際です。それに加えて「当事者利益」などと難しいことを言って、人として「これはいくらなんでも不当だろう」との思いによっても訴訟することはできません。あくまでも訴える側が、斯く斯くしかしかによって、これこれの損害を受けたと言う形でしか裁判で扱ってはもらえないのです。だから、新聞ではほとんど数行記事でしか扱われない、国などの実質は違憲訴訟でも、わざわざ損害賠償額を低額でも設定して、精神的苦痛などの理由を加えて提訴に踏み切るのです。

この点から言えば、私は数週間前に大阪市によって西成区に置いていた住民登録が職権により削除されました。そうして、このままで行けば、今週末に行われる大阪市長選挙で投票することが出来ません。つまりは、当事者利益に則してみても私にはその資格があるということです。

 どうか、皆様の応援そして支援のほどよろしく御願いします。

     
      阪口 浩一