ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

マリリン・マンソン《レスト・ウィ・フォーゲット》デラックス・エディション

レスト・ウィ・フォーゲット
マリマンのベスト盤なら、やっぱりDVD付のデラックス・エディションでヴィジュアルを楽しまないと。僕としては、カラスみたいな黒い羽根背負って歌う〈ロック・イズ・デッド〉がお気に入り。宝塚好きだった身としては、羽根背負ってるだけで萌える。アーシア・アルジェントが監督した〈(s)AINT〜セイント〉なんてPVも収録されているが、白く濁ったバスタブのなか自分の胸をカミソリで切るMM、マスターベーションするMM、縄で縛られた裸女ってぐあいのエログロが続くばかりで、父ダリオ・アルジェント(『サスペリア』の人)みたいな色彩美学はうかがえないのは残念だった。
インダストリアル・グラム・メタルとでも呼びたいMMのサウンドは、がなり続けるナンバーが多く、メロディのウェイトはさほど大きくない。そんな彼の曲における「ポップ」さとは、ファンがライヴでイェーッ! とか叫んでコブシを振り上げるべきタイミングが、1回聞いただけでもすぐわかる作りになっている状態を指す。〈ザ・ビューティフル・ピープル〉、〈ロック・イズ・デッド〉、〈ディスポーザブル・ティーンズ〉なんかがその路線の勝ちパターン。ここらへんは、今聞き直しても燃えるねぇ。
ベストの売りものは、デペッシュ・モード〈パーソナル・ジーザス〉を取り上げたことだけれど、MMはいつもカヴァーの選曲がベタ。今回、ソフト・セル〈テインティッド・ラヴ〉、ユーリズミックス〈スウィート・ドリームス〉も収録したが、未収録分を思い返してもゲイリー・ニューマン〈ダウン・イン・ザ・パーク〉、ドアーズ〈ファイヴ・トゥ・ワン〉と、シングル曲や代表曲ばかりチョイスしてきた。
そのなかで注目されるのは、今回の日本盤ボーナス・ディスク(Bサイド集)にも収録されたジョン・レノン〈ワーキング・クラス・ヒーロー〉。
MMに関する近年の一番の話題は、あるいは、マイケル・ムーア監督『ボウリング・フォー・コロンバイン』でインタヴュー映像が流れたことかもしれない。銃社会アメリカを告発したこの映画において、コロンバイン高校の銃乱射事件に悪影響を与えたとアメリカ国内で非難を浴びたMMが登場していた(この映画には、やはり銃社会アメリカに射殺されたジョン・レノンビートルズ時代の曲〈ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン〉も、皮肉っぽくBGMに使われていた)。
そして、世間相手に英雄を演じるのも大変だよ、とシニカルに歌う〈ワーキング・クラス・ヒーロー〉をMMがカヴァーしたのは、事件がらみの非難を浴びた後、《ホーリー・ウッド》ASIN:B0002ZEUF4った。考えてみればジョン・レノンには、「ビートルズは今やキリストより有名だ」の発言でアメリカのクリスチャンから反発され、レコードを焼かれた過去があった。だから、《アンチクライスト・スーパースター》ASIN:B0002ZEUEK山当てたMMが、ジョンをカヴァーしたのは、いかにも“らしい”ことだったといえる。
マリリン・モンローチャールズ・マンソンを合体した名前を持つマリリン・マンソンチャールズ・マンソンは、ポール・マッカートニー作のビートルズ〈へルター・スケルター〉から、勝手に意味不明の啓示を聞きとって猟奇殺人を起こしたのだった。
つまりMMは、ポールとジョンの2大ビートルによるアメリカ的狂気との遭遇を、より露悪的に反復してみせる存在とも見なせる。
まぁ、MMの音楽性は正直な話、幅広いとはいい難いけれど、アメリカ的狂気をパロディ化する芸能としてのジャーナリスティックな頑張りかたには、まだ期待したいと思う。アメリカがああいう世情だから、かえって。
マリリン・マンソンの一連の作品については、特別限定盤がもうじき出るようだ)

『おたく:人格=空間=都市』

おたく:人格=空間=都市 ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展-日本館 出展フィギュア付きカタログ ([特装版コミック])
これは、同展日本館のコミッショナーをつとめた森川嘉一郎の著書『趣都の誕生 萌える都市アキハバラISBN:4344002873、カタログの形に作り変えたようなものだ。「おたく」という人格が「秋葉原」という都市に実体化していった過程を検証した森川の仕事は、なるほど興味深い。でも、その検証には、はしょられた部分があるのではないか、とも感じる。

1983年:おたく/東京ディズニーランドつくばセンタービル

森川は、1970年の大阪万博と90年代後半以降のおたく街化した秋葉原を対照的な建築空間ととらえ、かつてあった「未来」への憧れを「萌え」が代替したと主張する。その主張には、うなずけるところが多い。けれど、森川の立論は、2つの時代の中間である80年代の状況をすっ飛ばしすぎている印象がある。
カタログ内でも説明されている通り、「おたく」という名称は、1983年に中森明夫によって作られたとされる。同年には、東京ディズニーランドつくばセンタービルがそれぞれ完成し営業を開始している。この2つの完成は、日本の「建築」状況史において大きな出来事だったと、「建築」シロウトである自分は思うのだがどうか。
東京ディズニーランドは、多大な投資によって虚構世界を建造物に実体化する本格的テーマパークの手法が、日本で成功した初めての例である。
一方、つくば研究学園都市の中心的施設として建設されたつくばセンタービルは、多くの様式を引用しパロディ化したポスト・モダニズム建築の代表作とされる。引用とパロディなんだから、おたく同人誌と同じ手法で設計されたともいえる建築物なのである。
東京ディズニーランドつくばセンタービルもその設計思想は、産業活動における有用性や、人の容器としての堅固さなどよりも、ある種の遊戯性を前面に出していた。つくばセンタービルは、国家的プロジェクトの一環だったにもかかわらず、設計した磯崎新は建物が国を象徴しないことを目指したなどと解説していた。まるで、フィクションを扱っているみたいな“作家”性である。
『おたく:人格=空間=都市』では、斎藤環が、おたくとは虚構コンテクストへの親和性が高い人だとする自説を寄稿していた。斎藤の表現を借りるならば、「おたく」の命名がなされた83年は、東京ディズニーランドつくばセンタービルという虚構コンテクストへの親和性が高い建築物が現れた年でもあるってことになる。この時期、日本全体の虚構コンテクストへの親和性がレベルアップしたのかもしれない。
そして興味深いのは、2つの建造物がそれぞれ「未来」と関連していたこと。
東京ディズニーランドは、夢と冒険のアドベンチャーランド、西部開拓時代のウエスタンランド、夢と童話のファンタジーランドという風にテーマごとにゾーン分けされており、そのなかには未来・科学・宇宙のトゥモローランドもある。毎日、決まったアトラクションが反復されるTDL的な「未来」というのは、森川が語る「未来」への断念と呼応しているといえる。
これに対し、つくばは「研究」「学園」という「未来」に向かう活動をテーマに都市開発されたわけで、85年にはつくば科学博が開催された。また、バブル景気真っ盛りの時期には、つくばに新たに研究所を設けることがメーカー企業のステータスであるかのような空気があり、僕も業界紙記者としてよく竣工式の取材に行ったものだ。で、研究所お披露目後の記念パーティ会場としてよく使われたのが、つくばセンタービル内のホテルだった。「新素材」とか「超伝導」とかが騒がれていた時代である。つまり、商品の差異化、差別化(なんと80年代的な言葉!)が可能な程度の「未来」はあると思われていたわけで、そうした「つくば」が、かつての家電の街=秋葉原を支えてもいたのだった。
そして、バブル崩壊で「つくば」的な「未来」が挫折した後を埋めようとするかのごとく、オウム真理教サティアンという研究学園都市のパロディが出現した。
――というような、80年代の「建築」状況、「未来」状況が、森川流のおたく史観にどう収まるのか、ちょっと聞いてみたい気がする。

「見えない都市」

森川は、おたく趣味が秋葉原の街並みに実体化したことに言及しつつ、公共空間が個室空間と同質化し始めたと論じている。
しかし、公共空間と個室空間の同質化に関しては、森川以外の人も別の文脈で指摘してきたはず。周囲に他人がいる状況でも自室にいるみたいに話すケータイ人種――てなぐあいに(いろんな人がこの種のことを述べているが、例えば三浦展は『マイホームレス・チャイルド』ISBN:4906496288「部屋と街と店の境界がない」なんて記していた)。この場合の代表的イメージは、渋谷の女子高生ってことになるが、森川の都市論はパソコン好きの秋葉原おたくに傾きすぎではないか。『趣都の誕生』における渋谷への言及はわずかだったし、ビエンナーレのカタログでは秋葉原との対比で渋谷の写真を掲載しているのに、なぜかそこには説明がなかった。両者にもっと目配りしたうえでの、より総合的な議論を望みたいところだ。
おたくでもケータイ人種でも、公共空間の個室化が示しているのは、僕には「見えない都市」化だと考えられる。「見えない都市」とは、磯崎新が67年に発表した都市論のこと。これについては、若林幹夫の説明が上手にまとまっていたので引用させてもらう。

現代都市はもはや可視的で安定した土地空間上のフィジカルな秩序ではなく、様々な記号や情報、物質が高速で移動するプロセスからなる「見えない都市」になってしまったという磯崎新の「見えない都市」論(若林幹夫『未来都市は今』ISBN:433185020X

土地空間の安定した部分よりも、パソコンやゲーム、ケータイなどによる情報の移動プロセスに意識が集中するようになった結果、実際の都市景観なんか、どうでもよくなってしまった――公共空間と個室空間の同質化ってのは、早い話がそういうことなんだろう。
大阪万博のお祭り広場を担当した磯崎については、『趣都の誕生』でも若干言及があったが、森川による本格的な「見えない都市」論もぜひリクエストしたいところだ。


ダメだ。風邪がなかなか治らず、薬のせいで頭がボウッとしている。眠っても睡眠は小刻みで、脱北者の映像が脳に残留しているせいか、必死で塀を乗り越える悪夢を見たりする。つらい。んんがぁ……。