韓国――日本近代・現代文学の現況

韓国――日本近代・現代文学の現況

昭和女子大学の日本文学科のブログに、近代文化研究所の講演の様子がレポートされていて、大変興味深い。
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小説の力〜韓国の先生に教えていただいたこと [2015年06月19日(金)]<日文便り>

本学附設の研究所のひとつである近代文化研究所は、「近代人の?いとなみ?を振り返る」をキャッチフレーズに、「日本の近代文化を対象に、文学を含めて衣食住の視点から、総合的・学際的な研究を行う研究所」です。
その近代文化研究所で、たいへん考えさせられる講演が行われました。

講 師 金 容安 先生 (韓国 漢陽女子大学教授、本学日本語日本文学科客員教授
テーマ 「韓国における日本近・現代文学の現況」
日 時 平成27年6月10日(水) 16時30分〜18時

DSC_8194 「1.最近の韓国大学・大学院における日本文学の教育環境」

まず、韓国の大学が少子化と進学率の低下で厳しい状況にあること、中でも人文学系(哲学、歴史、文学、外国語関連)がいちばんの危機にさらされ、就職の有利な学科に統廃合が余儀なくされているとのこと。

―おやおや、どこも同じ状況ですね。日本でも6月8日に文科省が全国の国立大学に向けて、
人文社会学系・教員養成系の学部などの見直し、廃止、分野転換の検討を求めたばかりです。

そのような中でも、子ども時代に日本の漫画やアニメ、ドラマに魅了されていた一部の学生が、日本語関連の学科に入学し、日本文学にのめり込みたいと頑張っているのだそうです。

―日本の学生が、韓流ドラマやK-POPから韓国語や韓国文化に興味をもって留学を考えるのと、似ていますね。
ところで、日本文学の何に関心が持たれているのでしょう。興味がわきます。

「2.文学研究の現状」 〜日本近現代文学を中心にDSC_8197

韓国には日本関連の学会は、30以上もあり、韓国研究財団の認定を受けている登載誌は18だそうです。

―想像以上に多いですね。

そのひとつ韓国日語日文学の「日語日文学研究」の2004年48輯から2014年91輯までの研究論文の調査のご報告は次の通り。
・論文総数 832本のうち、近・現代文学は302本(36%)
・うち明治時代の作品について 52本(17%)
・作家別トップは、芥川龍之介について 32本(10.6%)
理由 多様な解釈が可能であり、学生とも意見を交わしやすい。資料も豊富。
短編が多く、論文を書きやすい。

―納得です。芥川は日本でも色褪せていません。DSC_8204

村上春樹も圧倒的人気。その他、北村透谷・夏目漱石大江健三郎志賀直哉太宰治横光利一谷崎潤一郎など。森鷗外作品はあまり好まれておらず、研究も少ない。

―春樹は強いですね。鷗外も味があるのですが、難しいのでしょうね。
宮沢賢治が入っていないのが、意外でした。方言・地域資料の入手が壁になっているのでしょうか。

この後、研究の実例として、太宰治人間失格」、芥川龍之介「藪の中」、村上春樹トニー滝谷」とよしもとばなな「キッチン」を紹介なさり、今後の研究は巨匠作家(芥川など)と、現役作家(春樹など)の2つの流れに支えられる、と展望を述べられました。

「3.日本語関連学科の学生の日本文学学習の在り方」

学生や院生のアンケートをもとに、彼等が日本文学のどこに、どのように面白さを味わっているのか、紹介してくださいました。

三島由紀夫金閣寺」DSC_8216
母と倉井の事件を目撃する場面、父の死の場面、有為子の裏切り行為の描写 ほか

―いずれも、衝撃的な内容や、生死などのぎりぎりの状況を描いた場面ですが、韓国の学生さんたちは、
その内容を表層的にとらえるだけではなく、表現や作者の視線に着目して、人間の真実をとらえたものとして、
小説の力を味わっていました。
うれしい驚きです。日文の学生にも求めたいです。

そのほか、夏目漱石吾輩は猫である」、安部公房「赤い繭」「手」の感想が紹介されました。
今回、金容安先生のご講演を拝聴し、改めて文学・小説の力を考えさせられました。
韓国で生き生きと日本文学が息づいていることも嬉しいことでしたが、何よりも小説が、日本の文化を、国を越えて伝えるもの(外向きのベクトル)としても、ゆっくり人の心の芯に働きかけるもの(内向きのベクトル)としても、多大な力を秘めていることを教えてくださったようです。

日本語日本文学科の皆さん、私たちは人間の真実を豊かに表現した日本文学の、その継承者の一員なのです。

(FE)

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新渡戸稲造 『武士道』

新渡戸稲造記念館が閉鎖の危機に直面している、と新聞で知って驚いている。新渡戸稲造といえば、『武士道』が有名である。昭和女子大国語国文学科が人間文化学科になった頃だと思うが、卒論に『武士道』を選択した学生がいて、私が指導した。手許に資料がないので、正確ではないが、確か、依田さんだと思う。非常に熱心に研究して100枚以上の力作を提出した。文章が見事だった。驚いたことに、チェンバレンの説を批判していた。私は、2日間かけてこの卒論を読んだが、チェンバレンの論文を読んでいなかった。かえって、学生の卒論に多くの事を教えられた記憶がある。
●実は、新渡戸の『武士道』は、一般には広く知られていて、有名であるが、学界では、意外に評価が低いという。最近読んだ、笠谷和比古氏の『武士道  侍社会の文化と倫理』(2014年、NTT出版)によれば、多くの批判や修正が出ているという。

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「・・・・・・明治三十年代の頃から武士道は大きなブームとなって華々しい議論が展開され、雑誌『武士道』や『武士道叢書』の刊行をはじめとして数多くの関係論著が世に送り出されたのであるが、このような傾向に対して批判的な議論も提示されることとなる。次の二つのタイプの議論が重要で、今日の新渡戸『武士道』批判の原型をなすと言ってよいであろう。
その一つは、日本研究者として名高い英人チェンバレンの武士道批判である[★1]。彼は明治の日本社会で流行していた武士道論に関して、「武士道」というのは明治になって作られた造語であって、前近代社会には存在しないこと、そして武士道に関する物語は主として外国人に示すがために作られた虚構のものでしかないと極論している。
チェンバレンの権威は高かったので、その系統の研究の影響によってであろうか、今でも外国人研究者の間では、日本の武士道というのは明治期以降の近代になってから創造された言葉および概念であると信じている人が少なくない。
武士道批判のもう一方の雄は津田左右吉である。津田はその大著『文学に現れたる国民思想の研究』において、武士道の問題を主要テーマとして取り上げ、同書の五つの章にわたってこれを詳述している[★2]。
津田の議論は入念詳細をきわめており、それが故に今日にいたるまで武士道論を語り、研究するに際しての参照基準としての役割を果たしている。今日の数多くの武士道論に多大の影響力をおよぼしていると言ってよいであろう。
津田は明治・大正期に盛行を見ていた武士道賛美論に対してきわめて批判的な態度をとっており、武士道は世に喧伝されているがごとき立派なものではなく、裏切りと下克上の暴力的行動に他ならぬことを力説する。同書においては武士道のこのような不道徳性、暴力的側面が強調されており、「変態」「強盗」よばわりするなど、その批判の口吻はエキセントリックですらある。
いずれにしても、チェンバレンの言う、前近代の日本には「武士道」という言葉や思想は無かったというタイプの議論、そして津田の言う、武士道というのは裏切りや暴力的行為とほとんど同義であり、新渡戸『武士道』が描き出すような道徳的品性に満ちたものからは程遠いという種類の議論、この二種類のタイプの非難は今日においても再生産されているかに見える。・・・・・・」

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●私は、津田左右吉は、学生時代から尊敬していて、『文学に現れたる我が国民思想の研究』など、座右の書としていた。津田左右吉の説にも、検討の余地がある、と気づいたのは、大学を卒業して、数年を経た時であるが、その時は、天にものぼる思いだった。ようやく、津田説から一歩抜け出した、という気がしたのである。
●今、私は、『可笑記』と侍、武士に関しての論文を執筆中である。笠谷和比古氏の研究に導かれて、進めている。人間、長生きをすれば、いいことに巡り会える、そう思う。

新渡戸稲造記念館、ピンチ

●今日の朝日新聞の記事によると、新渡戸稲造記念館が閉鎖されそうだと言う。新渡戸の『武士道』は、有名で、ロングセラーである。このイザコザは、なんなのか。
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「新渡戸記念館」存続の危機 耐震性巡り家族と行政対立
鵜沼照都2015年6月19日10時02
青森県十和田市の基盤を築いた新渡戸傳(つとう)や、その孫で旧5千円札の肖像にもなった稲造らの功績を伝える「市立新渡戸記念館」の存廃をめぐり、市と新渡戸家が対立している。市は耐震調査に基づき、倒壊の危険があるとして廃館・解体を目指すが、新渡戸家は「調査に疑問がある」と法廷闘争も辞さない構えだ。 南部盛岡藩士だった傳は江戸時代末期、十和田湖の東側に広がる三本木原に川から水を引き、耕地にする開拓事業を主導。稲造は東京女子大学の初代学長、国際連盟事務次長などを務め、「武士道」の筆者としても知られる。 これらの功績を紹介するため、市は新渡戸家から開拓事業の史料などを有償、土地を無償で借りて1965年に2階建ての記念館を開設。館長は新渡戸家が市の特別職として歴任してきた。 市によると、昨年12月に市が記念館の耐震調査を実施した際、コンクリートの推定強度が極端に不足し、補修不可能で倒壊の危険性もあることが判明。これを受けて市は3月末で休館とし、6月定例会には月末での廃館と建物の解体撤去を提案した。26日の市議会本会議で可決されれば、賃貸借契約に基づいて更地にして新渡戸家に返す方針だ。
朝日新聞】デジタル より
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●念のため、他のブログをみたら、新渡戸家と市議会との間で、かなりのイザコザがあるようである。歴史的にも意義のある記念館であるから、よく話し合って、存続して欲しいものである。