長崎のこと、佐多さんのこと

先月末から今月はじめにかけて長崎を訪れました。「風は生きよという」の自主上映会を来年3月、長崎市で開いていただくにあたって地元の主催者との事前打合せのためでした。
会場はブリックホール・国際会議場と決まり、実行委員会の担い手も決まってさあこれから、地元の方々が上映運動を通してあちらこちらで結びあっていくことを願います。

長崎では、カトリックセンター長崎に宿泊しました。浦上天主堂の目の前にある、落ち着いた雰囲気の宿でした。天主堂の敷地内には、1945年8月9日の原爆投下により吹き飛んだ天主堂の一部がいまも残されていました。
朝、吹き飛ばされた天主堂の向こうを見ていたら、71年後の人びとの日常がはじまるところでした。

天主堂から浦上駅の方へ歩いている途中に、当時使われていた松山町防空壕群跡が保存されていました。天然の岩場を壕にしたもので、案内板によると原爆投下時たまたまこの周辺の壕にいた人を除き、この町のすべての人が即死されたそうです。
推定爆心地から約100メートルとある防空壕の横で、白猫が毛づくろいをしてました。日なたをあびた松山町の道路を、いまはせわしく車が行き交っていました。

爆心地に、71年前のこの辺りの住宅地図が示されていました。
かまぼこ店の添島さん、あめ屋の小野さん、床屋の末次さん、漬物屋の高橋さん、薬屋の奥田さん。路地があり縁側で朝のあいさつが交わされ、家から出かけていく人がいて、自転車が走り、そこに町があったこと。
71年後のいまと変わらぬ風景を想像しました。黒木和雄さんの映画「TOMORROW 明日」が頭をよぎりました。

長崎をあとにする日、ふっと目に付いた「長崎ちゃんぽんの店・あじ盛」という店で、皿うどんをいただきました。美味しい。何よりも、女将さんが元気で朗らかでした。行きつけた常連のおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが、昼時だったのでぽつりぽつりと入ってくる。女将さんに「お土産」と、家でつくった煮しめかなんかを差し入れするおばちゃん。「夜の分」といって鳥のから揚げをおかずに一皿分買っていくおばあちゃん。

ひとりで来てる人の多い店は、きっと、女将さんのこの快活さ、はきはきとくもりの無い声に迎えられたくて来てるのかと思いました。市井の人の背すじの伸びた生き方を垣間見ると、真面目に生きようと、照れずに思います。

あじ盛で清々しい思いをしてから、ふたたび散策に出ると長崎公園というところに行き着きました。幼い子どもたちがおおぜいにぎわってる向こうに、石碑を見つけました。
見ると、佐多稲子さんの文学碑でした。そこにはこうありました。

 「あの人たちは 何も語らなかっただろうか 
  あの人たちは 本当に何も語らなかっただろうか 
  あの人たちは たしかに饒舌ではなかった 
  それは あの人たちの人柄に先ずよっていた」(樹影より 佐多稲子

佐多さんは小さい時分に上京されたようですが、お生れは長崎であったようです。佐多さんの著書というと『夏の栞−中野重治をおくる−』をしか読んでないのですが、その一冊でも、佐多さんの書かれるものへの信頼というか、佐多さんへの関心というかを、惹かれるものでした。
印象的な叙述がいくつもあるなかで、特にいま、その著書の中で自分事として引きつけて思えるのは、佐多さんが同志として若き日をともにたたかい、そしてその後の道ゆきのなかで仲違いし、別れ、ついには相打つまでになっていった仲間たちとのことです。
相打つまでになってしまったかつての同志たちが、しかしながら年を経て、齢を重ね死の床に伏したとき、それでもお互いの気持ちを伝え合える瞬間が持てたことを「よかった」と振り返るところを辿りながら、僕自身「よかった」と思います。
あゆみを同じくしていた仲間が、たとえその時のなかであゆみを違っていくにしても、あゆみを同じくしていたときの輝きが、消えうせてしまうわけでも、無駄なことだったわけでもないことを僕は信じたいと思うし、お互いを「赦せる」ことが無かったとしても、それ以前のところで、お互いを信頼していた頃の一切を信頼する、ということはあってほしいと思います。

佐多さんが『夏の栞』のなかで、「みんながもういない」という想いに胸を占められていくところを、長崎公園の石碑の前で僕は思い返していました。その佐多さんも、1998年に亡くなられています。

長崎に原子爆弾が投下された日、中野さんの妻・原泉さんは終戦を知ったそうです。

 「私が終戦を知ったのは8月9日の夕方でした。筑摩の社長の古田さんがわざわざ見えて、中野の本を筑摩書房疎開してくれるというので、私一人で中野の本の荷造りをし、全部で三十八の箱にして、まずその第一回を物々交換で工面して雇った馬車でお茶の水の出版協会の倉庫まで届けたんです。そして、翌日の第二回目を一生懸命荷造りしている処へ、手塚英孝と言う人が知らせに来てくれて、『もう時間の問題ですよ、終戦ですよ』と言ったんです。」(国文学 解釈と鑑賞1986年7号 至文堂)
 
 手塚英孝さんは小林多喜二の研究者です。
 年明けには、多喜二の母セキさんを主人公にした映画「母 小林多喜二の母の物語」(山田火砂子監督)が公開されると、数日前の新聞で知りました。
 セキさん役は寺島しのぶさんです。