相手に何かを伝えるということ。
コレを見た。
いや、すごいわ。
本当に学生か?ビジネスコンテストで優勝、準優勝ってすごいな。
優秀な人って言うのはこういう人のことを言うんだろうな。
じゃあ優秀って何か?
個人的にはいかに「本質を忘れずブレること無く追求できるか。」という点に尽きると思う。
今回の場合はパワーポイント。
つまりは自分の主張や言いたい事のポイントをまとめて相手に効率よくて企画に伝えるためのツールである。
テクニック的な事が多く書かれているが、「相手に自分に伝えたい事を効率よく伝える」という事が非常に大切だ。という事だと思う。
相手に何かを伝える事が目的として存在するパワーポイントだが、その目的の手段として存在している事をいかに意識できるか。
作成の途中には「作業」という段階が含まれており、この部分でブレてしまう人が多いのではないかと思う。
要は、「パワーポイントを作成する」という事が目的となってしまい、その先の目的を忘れてしまうという事だ。
コレは話をする際にも同じ事が言えるのだが、相手が居る事を忘れて自分の話したい事を話してしまう事がよくある人も多いのではないか?
そういう僕もおしゃべりなので自分の話したい事をだらだらと話してしまう傾向にあるのだが、
そこに相手が存在して、自分が発言する理由が「相手に自分の言いたい事を伝えるという手段だ。」という事を十分に意識しなければならないと思う。
でなければ、自分と同じ感覚を持った人にしか情報を伝える事ができな井という状況になってしまう。
伝言ゲームでも同じ事が言えるのだが、日本語で説明をしたとしても、相手には100%情報が伝わる事はまず無いと思う。
それは相手の価値観や習慣、つまりは文化が異なるために自分と表現が相手に誤解を生じさせたり伝わらなかったりするためではないか。
そのために必要な事が「相手の立場に立って物事を考える」と言う事だと思う。
相手の立場に立って物事を考える。というのはおそらくどんな人でも親や教師、職場の上司などに一度は言及をされた事があるのではないか?
それはその時の自分に客観視する事が不足していて、相手に何かを伝えるという事を忘れてしまっている状態なのだと思う。
自分の話になってしまうが、僕は相手の立場に立って物事を考えるという事が決定的に苦手である。
人当たりはいい方(だと思う)ので、その人当たりでコミュニケーションはカバーできるのだが、実際の情報交換となると主観的な意見が入り込む割合が非常に多い。
その部分は自分の欠点なので、常に客観性をなくさないように意識しているが、やはり自分の余裕が無くなった時やあまりにも熱中してしまった際には、その部分が出てしまう時がある。
そういった客観視ができない事によって、どれほどの情報を得る機会を失ってきたか。
また、周囲の信用や信頼に関しても失ってしまったケースも多々あるのではないかと思う。
ビジネスの世界に於いてもプライベートに於いても、その他者を常に意識しながら客観性を持ち合わせているように心がけようと思う。
移民の強さについて
コレ読んだ。
オーストラリアでも数多くの移民に会ったけど、みんな総じてモチベーションは高いよな。
オーストラリアの場合はヨーロッパ系だけじゃなくて、場所が近いこともあるだろうけど、やっぱりアジア系が多いように思う。
特に中国かな。香港がイギリスから中国に返還されたタイミングでの移民が数多くいたそうだ。
香港出身の人は言語的な問題はクリアになっている上に、政治的な難民ではなくある程度の資金を持ち合わせてこっちに来ているからお金持ちが多いように思う。
実際問題シドニーの中心部は殆ど中国系の名義になっているとも聴く。
やっぱり自分の不慣れな土地で自分の弱みを十分に意識した上で向上心を持ち合わせているから成功するのかなと考えたり。
それはインド系なんかの他の国にも言えることで、先進国出身の移民よりはモチベーションを高く保って働いているように思う。
実際、僕がオーストラリアに行った理由としても文化の違いを肌で感じるということだが、
日本で生まれて日本で育ってきた立場から物事を考えると、よくも悪くも驚くことはあったけれど、
価値観は大きく変えることができたと思う。
モチベーションの高さというのは元々の僕には全くなかったものだし、今もやっぱり彼らの成功に対してのモチベーションにはかなわないと思う。
でも、そんな移民の人の働く姿を見て、僕もモチベーションの重要性を肌で感じることができたし、
自分もそれに近づけるように働くことを理想として頑張ろうかなと思う。
何がアウトなんだろうか。
コレをみた
最近、テレビを賑わせている従軍慰安婦問題。
この筆者はアウトだという意見をお持ちのようだが、なんだか違和感を覚えるなぁ。
じゃあ慰安婦問題って何がアウトで何がセーフなんだろうか。
確かにセンシティブな問題になるのでアウトかセーフかのラインは引きにくいように思う。
でも、あくまで個人の意見として言わせてもらえるならば、「従軍」の部分じゃないかな。
此処で整理しておきたいのが、単なる慰安婦と従軍慰安婦の違い。
それを明確にしておかないと、論点がずれるような気がする。
慰安婦
慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争及び韓米軍事合同訓練並びにアメリカ軍、連合国軍及び国連軍の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍、韓国軍、アメリカ軍及び国連軍の軍人・軍属に対して、売春業を行っていた女性の総称。
要は、強制連行されたかどうかがこの場合の争点であり、慰安婦の存在自体がアウトかセーフかというのは問題外の話なんじゃないかな。
橋下さんをはじめ、この記事にある発言をした方々は、従軍慰安婦の件に関して言及をしているわけではない。
それを、この筆者は従軍慰安婦の問題にすり替えて話をしているんじゃないかな。
そもそも、性産業自体の存在意義を結論づけることは非常に難しい。
なぜなら、性産業は世界最古の産業と言われる程、古来から存在する。
その理由としては性そのものが人間を含めた動物本来の持つ原始的な欲望から発生しているからだと思う。
戦場で性欲のはけ口を見つけることが困難なのは容易に想像ができる。
ベトナム戦争当たりまでは戦力に対して兵隊の数やその力量が大きなウェイトを占め、結果として必然的に筋力に優れる男性が採用されるケースが多く見受けられたからだろう。
結果として、ニーズを受けて性産業がその場所に発展する。というのが基本的な流れでは無いだろうか。
少し極端ではあるが、例を出して考えてみて、その状況で慰安婦の存在する場所があるのかどうかを検証してみよう。
仮に、その軍の集団が全て女性*1で構成されていたとすると、その場に慰安婦が活躍できる場所は無い。
つまりはその場所にニーズが存在しないとも言い換えることができるのではないか。
また、戦争状態にない一般的な社会の中ではどうだろうか。
戦争中で従軍しているような拘束に縛られるような状態でなくても性産業自体はあらゆる場所に発展している。
それも世界の場所を問わずだ。
以上の理由から、慰安婦自体は戦争には関係がなく、存在しているものだからそれをどのように利用するかは個人の判断に委ねられることになる。
もちろん、閉鎖的な軍の中で働いていて、他にほとんどコレと言った娯楽もないような状況であれば、慰安婦制度を利用する男性の割合は増えるかもしれない。
しかし、その割合に関わらず、世界のどこを見ても、性産業自体は存在していて、コレは軍とは関係のないことではないかと思う。
今回の橋下市長の件に関しては、従軍慰安婦や強制連行などのポイントとは異なるところに論点があり、その部分を指摘することはできないのではないかと考えている。
もちろん、強制連行や従軍慰安婦に関しては女性側の選択権を武力や暴力によって奪っているので、この件に関しては問題視するべきだと考える。
しかし、「人間の原始的な欲望をコントロールするために、法律で認められた性産業を利用してはどうですか。」という今回の慰安婦の件に関しては、そこにセカンドレイプや女性を性欲の捌け口として考える等の問題は付随するものではなく、切り離して考えるべきだと思うのだ。
時間の扱い方
今日はこれ。
やっぱり時間の扱い方は重要になるかなと感じる。
ここにあげられた人の多くが歳を取ってからのスタートを始めているが、
この文章のポイントは「時間を意識しだしてからの戦略的な行動」という点だと思う。
よく言われるように、全員に時間は平等に与えられる。全員に時間を平等に与えられるのであれば、
若い方が伸びしろとしては多く存在する。ということは事実だと思う。
でも、その残された多くの時間をいかに有効活用するかが大事となって来るので、
若いうちにその時間の有効活用を意識するか、有効活用法を学ぶかのどちらかになるだろう。
個人的には「時間をいかに資源と捕らえるか。」がポイントになると考えており、
自分が何かしらかの目的や目標を持っているのであれば、それに対して時間をいかに消費していくか。
時間をお金と同じような感覚で扱うことが出来るのであれば、出来るだけ時間の消費を少なくして自らの目標に対してアクションをかけることができる。
ただ、実際の人生のスパンで考えると、誰もが自分にどれくらいの時間が残っているのかを知るよしはない。*1
なので、自分の中で出来るだけ残りの時間を明確にしていくことが最初の一歩ではないかと思う。
お金がなくなっていくと同時に出来ることや買えるモノが少なくなっていくように、時間がなくなっていくことで出来なくなっていくことも多い。
そして時間はお金とは異なり、増えることはない。
ただただ減り続ける自分の時間をいかに使うか。そのことにポイントを置いてアクションをかけてみようと思う。
*1:但し、病気などで自らの死期を悟っている者は除く。
民主党・辻元清美議員 「いよいよアベノミクスがアベノリスクになり始めた」
これです。
僕には言っている意味がよく分からなかった。もちろん僕の理解力不足もあるし、知識が不足している部分が大いにあると思っている。
でもなー。
この手の政治家の意見を聞いた後に僕がいつも思うこと。
「指摘はよくわかるけど、対策としてはどうしたらいいと思うの?」
政治家って職業は最近新しくできたような仕事でもなく、非常に伝統と格式が重んじられる仕事だと思っている。
日本という国の決断を政治家に僕たちは任せているから、それなりの見識や人格を持った人だけが国会で仕事をするべきだと思う。
もちろんそのような重要な決断を下すこと権利を持ち合わせるのは野党ではなく、与党。
そこでぼくはこう思います。
「じゃあ野党の存在意義は何なの?」
「これじゃ単なる批判じゃねぇか。」
「批判は結構だけども、批判するにはそれの代替案なんかも提出しなきゃ行けないんじゃないの?」
しかもなー。
話を進めるのはいいけども、それに対しての根拠が全く明確になってない。
例えばこれ。
本当にやるべきは、グリーンエネルギーを徹底的にのばすなど、産業構造の転換。
なんでそう思うの?
全く根拠が書かれてないよね?
うんうん。確かにグリーンエネルギーは今後大切になると思うよ。日本は資源あまりないし。
それは事実なんだけど、どうして産業構造を転換させるべきなのか?それをするとどんないいことが起こるのかな?
そこまで明言してほしいよね。まぁしてるけど記事としては省かれているのかもしれないけどね。
ついでにもうひとつだけ例を出しておこうかな。
私が国交副大臣時代に観光に力を入れ、アジアからの訪日客数を過去最大に押し上げたのは、
観光こそ地域経済への波及効果が高く、国内の小さな商売に希望を与える産業だから。
えー。ちょっと待ってよ。なんでそこまで限定するのさ。
あなたが観光に力を入れたかどうかは知らないよ。本人が自信を持って言うならきっとそうなんでしょ。
ただ、観光に力を入れたから訪日客数を過去最大に押し上げたのか?
個人的には「そんなわけないでしょ」なんて思ってしまう。
為替のバランスの変化が原因でもあるでしょうし、アジア各国の経済成長とそれに伴う個々の所得増加なんてのも原因に挙げることができるんじゃない?
確かに観光は地域経済への波及効果は大きいと思うよ。
でも観光客が増加すると小さな商売(どういう商売をさしているのかな?)に対して希望を与えるというのは直接結びつかないよね。
当然間接的には結びつくけど、海外の観光客にそこまでの影響力って無いんじゃないかなと思ったりする。
どうやら街頭演説なので時間もなかったとは思うのだけれど、それでもこの演説を聴いて、「この人に任せてみようかな。」とは思えないだろうなー。
ダイアリーも初めてみました。
はじめてみたはいいけど、ブログとどうやって使い分けていこうかな。
その辺はおいおい決めるとして、どうも僕です、guchiguchiguchiです。
よろしく。