どんどん焼き屋の歩きかた

ヤマガタを代表するソウルフードと言われるどんどん焼き。現在では「B級グルメ」としてメディアに取り上げられることもあります。
しかし、ソウルフードなどと言っても、お祭りの時に屋台で出ているときにだけなんとなく買ってみる、くらいにとどまっているのではないでしょうか。しかも買ってみたのはいいけれど、生地が薄っぺらで生焼けで粉っぽく、あまり美味しいとはいえないような・・・。

それから、同じ山形県内であっても、地域によってはどんどん焼き自体が存在しない場所もあるそうなのです。どんどん焼きは本当に山形のソウルフードとして親しまれているのか、と疑問を感じてしまいそうです。

それが最近、店舗を構えてどんどん焼きを販売しているお店が県内のあちこちに存在することを知りました。店舗型のどんどん焼き屋さんは、山形市の七日町商店街にある商業ビル「ナナビーンズ」前の「CoCo夢や」さんが有名かと思われますが、残念ながらこちらの店舗は2010年8月に閉店されてしまったようです。
どんどん焼きは「屋台で買うもの」というイメージしかなかったので、店舗で売られていることにまず驚きました。そして実際にそれぞれのお店に足を運んでみたときに、そこで出されているどんどん焼きが、これまで食べたことがなかったくらいに美味しかったのです。また、こじんまりとした気取らないお店の形態や雰囲気が大好きで、どんどん焼き屋さんを探しては食べ歩きをするほどにハマってしまいました。

そこで今回は、私が巡った県内6か所の、どんどん焼きが食べられるお店を紹介いたします。この記事を読んで下さっている方の、美味しいどんどん焼きを食べるきっかけになれば幸いです。

『山形どんどん』
私が県内各地のどんどん焼き屋さんを巡るきっかけとなったお店です。お店は、山形市馬見ヶ崎の雑貨屋さん「La Casa」近くの裏路地にあるので、場所がちょっと分かりにくいかもしれませんが、お店の外観が黄色く目立っています。
「梅味」「カレー味」「ベーコンチーズ」「マヨイカ」など、バラエティに富んだ具材のどんどん焼きが特徴的です。
おすすめは「もちチーズ」(300円)。ふんわりした生地の中にお餅ととろけるチーズが入っていて、あつあつのうちに食べた時によく伸びるお餅によって今までになかった、弾力のある食感のどんどん焼きを味わうことができます。
スタンプカードもあり、10個たまると200円のどんどん焼きを一本、サービスで頂くことができます。

店舗名■山形どんどん
所在地■山形市馬見ヶ崎4‐10‐52
でんわ■023(682)7288
営業時間■10〜18時
定休日■水曜日

『おやつ屋さん』
山形市霞城公園南門の近くにあるお店です。山形駅西口方面にあるため、通勤・通学などでこの付近を通られる方などは、特にアクセスしやすいのではないでしょうか。
生地のタネには「だし」と「とろろ」が使われているそうで、食べたときに深みのある風味と、ふわっとした食感が楽しめます。どんどん焼きは「ソース」と「しょうゆ」の二種類で、どちらも150円。他のメニューには「かき氷」などもあります。

店舗名■おやつ屋さん
所在地■山形市城南町2‐6‐16
でんわ■023(646)1344
営業時間■10〜19時
定休日■第1・第3月曜日

『どんべい』
山形市六日町の住宅街にあるお店です。店内とオープンテラスにはテーブルが用意されており、セルフサービスのお茶を頂きながら食べるどんどん焼きが絶品です。
どんどん焼きは「ソース」、「しょうゆ」(各150円)と「チーズ」(250円)の3種類。
おすすめは「チーズ」なのですが、そのチーズどんどん焼きを注文すると、生地を箸で巻かずにお皿に乗っかった状態で出てきます。そのボリュームがなんともすごい。分厚いどんどん焼きを箸で割り、とろりとしたチーズと一緒に頬張るときが一番幸せです。
他にお店で販売されているメニューは、「うどん」、「そば」、「パスタ」などの麺類、「たこ焼き」、「チキンナゲット」などです。

店舗名■どんべい
所在地■山形市六日町7‐23
でんわ■023(633)1613
営業時間■11〜20時
定休日■水曜日

『やたいや』
山形市桜田の住宅街にあるお店です。テイクアウトが基本で、どんどん焼きが出来上がるとスピーカーでお知らせしてくれます。まったりと食べるなら、お店の横のベンチやすぐ近くにある公園を利用しましょう。
どんどん焼きは「ソース」と「しょうゆ」の2種類でどちらも150円。
お値段のわりに全体的にボリュームがあり、一本でお腹いっぱいになれます。他のメニューには「かき氷」「水あめ」もあります。

店舗名■やたいや
所在地■山形市桜田1‐9‐2
でんわ■023(631)7620
営業時間■10〜20時
定休日■第3・第4火曜日

『うまいものの店いわい』
次は、天童市にあるどんどん焼き屋をご紹介します。外観がまるで「海の家」のような佇まいのお店です。
どんどん焼きは「ソース」「しょうゆ」(各150円)、「卵入り」(250円)、「ピザ風」(300円)の4種類。
おすすめはなんといっても「ピザ風」。どんどん焼きの生地に、ピザに使われる具材が挟まれ、ケチャップで味付けされています。このアイディアは面白いですよね。
他にお店で販売されているメニューは「焼きそば」、「たこ焼き」、「揚げ物」など。夏には豊富な種類の「かき氷」も販売されているそうです。

店舗名■うまいものの店いわい
所在地■天童市南町2‐1‐36
でんわ■023(651)8361
営業時間■10〜19時
定休日■水曜日と第1・第3日曜日

『井上玩具店
次はさらに北上して、尾花沢市の商店街にあるどんどん焼きのお店の紹介です。店内にはテーブルがあり、ゆっくりとどんどん焼きを味わうことができます。
メニューは「ソースどんどん焼き」が200円。スタンダードながらも生地がもちっとしています。他のメニューには「焼きうどん」と「焼きそば」もあります。
8月末に行われる、花笠の笠回し踊りの本場「尾花沢まつり」にてどんどん焼きの屋台も出店されているそうです。

店舗名■井上玩具店
所在地■尾花沢市新町2‐1‐38
でんわ■0237(22)1353
営業時間■09〜18時
定休日■日曜日

いかがでしょうか。一口に「どんどん焼き屋さん」といってもお店ごとにどんどん焼きの味やお店の形態に特色があるため、どのお店に行こうか迷ってしまうかと思われます。

他にも上山市どんどん焼き屋さんが一軒と、中山町のラーメン屋さんでもどんどん焼きが販売されているそうですが、こちらにはまだ足を運んでおりません。どんどん焼きフェチとしてはなんとしても行かねばなりません。

みなさんも、是非とも気になったお店に足を運んで、美味しいどんどん焼きを食べてみませんか?

プロフィール
小林美里(コバヤシ ミノリ)
1987年生まれ。大石田町在住。趣味はイラストを描いたり同人誌をつくったりすること。漫画の投稿や、フルスクラッチでのフィギュア製作もしてみたいと考えている。興味の幅を増やさねばと焦る日々。栄養源はブラックサンダーとカントリーマアム。玉こんにゃくの美味しいお店がありましたら是非教えてください。

よあけのにおい。 過ぎてしまえば、みな美しい 〜においをめぐる、きおくのさまざま。

生まれて初めて一睡もせずに夜を明かしたのは、小学校4年生の夏休みのこと。図書館で借りてきた12冊の偉人伝記シリーズを一晩かけて読み通す計画を立てたのだった。
 いつもは、午後8時には消灯という“おやくそく”だったので、夜から朝にかけてのながいながい時間は、まさに未知の世界。学習机の右に未読、左に読了の本を積んで気合を入れてトワイライトゾーンに突入したのだった。
 案の定、睡魔との闘いの中で朦朧としながらも、12冊を読みきったのが午前5時。もちろん夏の夜明けは早く、机の前の窓から入る朝の澄みきった光はすがすがしくまぶしかった。
 左側の本の山をおしのけて、窓を開けた瞬間のあの「夏の日の朝のにおい」は忘れられない。生活臭がまるでしない、植物の青さと力強い太陽のにおい。人の声も車の走る音も聞こえず、鳥のさえずりだけがかすかに響くせかいは、あの瞬間、確かに私だけのものだった。

 そしてそれから15年の後、もういちど「夏の日の朝のにおい」をかいだのは、海辺の町でのこと。友人たちと浜辺で無計画なバーベキューを試み、宿も取らずに車の中で寝ることになったのだけれど、私はひとり眠れず、そっと車を出た。
 海沿いの道路は幅広でなだらかに海岸に沿ってカーブしていて、車が通るのは数時間に一度くらい。寂れたバス停が目の前にあって、ジブリの、あの大きな怪物がそこにいても、なんの違和感もない雰囲気。
 誰もいない、なにもない夜のせかいで、ただひたすらに波の音を聞きながら、アスファルトの道路をとぼとぼと行ったり来たり。ふと思いついた歌を口ずさむと、少しだけ心がしゃんとした。
 拾った小石を海に投げたり、小枝で道路を引っかいてみたり。退屈しのぎの手遊びも万策尽きたころ、ようやく水平線の端がほんのりと明るくなってきたのだった。何者をも飲み込みそうなほど真っ黒だった海面が、少しずつ透明感を取り戻すと、とたんにそこらじゅうの空気の色やにおいも変わるような気がした。
 記憶に残る瞬間というのは、そのときすでに頭のどこかで意識していて「今のこの場面は、これから後、なんども思い返すことになる」という強い予感がするもの。
 朝焼けのローズピンクの空気の中で感じた予感は、さらに5年後の今、こうして的中している。

プロフィール
角田春樹(かくたはるき)
秋田 → 山形移住人。〈図書館住まい〉も気づけばもう10年!

おススメの本しょうかい 『フォトモ:路上写真の新展開』

フォトモ―――路上写真の新展開

フォトモ―――路上写真の新展開

 タイトルにある「フォトモ」とは、「フォトグラフ(写真)」を切り抜いて組み立てた「モデル(模型)」のことで、街角などの風景写真を撮って切り貼りして、立体的にしたジオラマ作品のことです。ずいぶん前ですが、雑誌『散歩の達人』にこれの切り抜き付録が連載されていました。調べてみると連載期間は99年〜03年ですね。その連載で知って、私はフォトモのファンになったわけです。時は過ぎて現在、デジカメがこれだけ身近になって、写真撮影という行為は、ものすごく日常化しています。ので、今こそみなさんにおすすめしたい。このフォトモ。しかし注意すべきは、ポイントはあくまでも写真をプリントして組み立てるという点であって、その点ではまだ敷居が高いかもしれない。プリントするのはちょっと面倒じゃないですか? でも、やってみたくないですか? カメラ片手に「フォトモにしたい」という視点を持って街を歩けば、いつもの風景が違って見えそうです。いろんな人、大学教授とか小学生とかの作ったフォトモも見てみたいなあ。
 本に戻ると、フォトモのもとになった概念に「ツギラマ」というものもあります。ツギハギのパノラマ写真でツギラマ。
 まず思い浮かぶのがデビッド・ホックニーのフォトコラージュでしょうか(どっかのページに小さく参照写真があったような…)。そしてフォトモもそうですが、その観察対象というか思想のバックボーンとしていわゆる「トマソン」=赤瀬川原平たちがやっていた路上観察学があって、その流れに位置するんだろうと思います。本文中の「路上型取り写真」とかもまさにそうですね。なので、トマソンとか都築響一の『ROADSIDE JAPAN』とか…そのへんが好きな人にもおすすめです。さらに、昆虫写真家の海野和男的な世界にアプローチした「虫ツギラマ」も興味深い。「昆虫ツギラマ・キアゲハ幼虫」という作品は中学校の美術の教科書にも載ったそうです。このへんも、材料は身近にたくさんあるのではないでしょうか。
 というわけで、文化系諸氏の皆様、今年からの新たな趣味としてこの「フォトモ」はいかがでしょう。夏休みの自由研究にもおすすめです!

プロフィール
谷澤久与
1974年生まれ。福島県会津美里町出身。書店員。

「制服」に見るヤマガタ

宮城から山形に来て、家庭教師を始めて10数年。中高生とかかわってきたなかで考えることや思うことを書いていきたいと思います。今回は、高校生の制服のこと。

まずは男子の制服。山形に来て驚いたことの一つが男子高校生の制服で学ランが多かったこと。自分がそうだったからか、「中学で学ラン、高校でブレザー」というイメージがあったので、学ラン姿の高校生はとても新鮮なものに見えました。宮城でも、仙台市内の進学校のなかには男子学ランという高校もあったかもしれないけれど、そちらの方面には友だちもいませんでしたし。
シャツを出すな、ボタンを閉めろと言われつつ、それでも、そのままちゃんと着るのはイヤだという感覚は今も昔も大差ないのかもしれない。ボタンを開けて、シャツを出して、ズボンを下げて、などなど。最近、短ランを好む男子もいるらしく、少し驚いているところ。

次に女子の制服。男子と違い、女子の制服は高校ごとに特色があります。セーラーかブレザーかの違いもあるし、学校ごとで型が違う。なので、3月に新聞折り込みに入ってくる「制服承り会」の写真も女子のものが多くなってしまい、男子の制服写真はおまけ程度の扱いで物悲しい。ここはひとつ男女平等(?)に「男子用セーラー服」と「女子用学ラン」を作っていただきたい。そうすれば男女両方の制服が掲載されることになりますし。でもまぁ、作ったところで男子用セーラー服は売れないだろうなってことは予想できてしまうのだけれど。

女子の制服で大人側から問題視されるのがスカートの長さ。中学までは膝下だったスカートの長さが、高校生になるとまくって膝上に。切ってからまくって調整したり、まくりにくくなっているスカートでも頑張って短くしたりと、なかなか苦労しているようで。脚を出しつつ、脚の太さを気にしつつ、それも関係してか、最近ルーズソックスを履いている子もいるらしい。自分が高校生のときに女子のほとんどが履いていたルーズソックス。もうすでに消滅したと思っていたのに。ルーズソックスにポケベルにピッチ(PHS)…懐かしい。

高校生にとって憂鬱なのが学校で行われる「頭髪・服装検査」。この「頭髪・服装検査」についての個人的意見を書いておこうと思います。

検査の程度に関しては、緩い高校もあれば、厳しい高校もあり、学校差が大きい。厳しいところでは、ボタンを閉めろ、シャツを出すな、スカートが短い、リボン・スカーフをちゃんとつけろ、髪を染めるな、などチェック項目は多岐にわたる。外向けの学校の印象、学校内の秩序や教師の威厳の保持のためなど、検査して直させる理由はあるのかもしれない。だからといって、彼ら彼女らの表現の自由と自己決定権をないがしろにしていいわけではない。制服の着方には理由や思いが込められている。ふつうがいい、ふつうはイヤ、みんなと同じじゃないと不安になる、よりかっこよく、よりかわいく、異性や同性の視線を気にして、こういった様々な思いを一人ひとりが抱きながら制服を着ている。それを理由も聞かずに否定して、「どんな格好をすべきか」という規範の強制によって潰していいわけがない。入学時15〜16歳で「子ども」である高校生は、在学中に18歳になり、「子ども」ではない存在になる。そんな彼ら彼女らに必要なのは、自分が納得していないルールに対して黙って従う「素直さ」ではなく、自分はどういう格好をしたいのかという選択への自覚だと思う。怒りまくって、怒られまくって、生徒も教師も疲れるだけの「頭髪・服装検査」はもう終わりにしよう。

以上、高校生のあいだ着ている時間が最も長い服であり、学校卒業後はなかなか着る機会のない制服のお話でした。

プロフィール
松村勇気
1979年生まれ、宮城県多賀城市出身。大学卒業後に宮城県に戻るつもりだったのに、家庭教師を続けたくて、そのまま山形生活を継続中。趣味は献血。愛車にも献血キャラクター・愛の妖精「けんけつちゃん」のチッチを乗せています。「けんけつちゃん」は可愛いと思うのですが…。

おどりこ扇ちゃんがゆく2 「それはせんせい〜♪」の巻

「先生! と元気に駆け寄ってきてくれた女性がある。ああ、扇さんだ。変わっていない」

久々に再会した高校時代の恩師。ブログを始めたので…と恥ずかしそうにおっしゃっていたので覗いてみると、なんと私のことが書いてありました。まるで先生からのお手紙です。そこには本当に久し振りの再会だったこと(卒業以来のことですものね)、私がいかに変わっておらず、いかにすぐ分かったか(お互い様ですよ)などに加え、私たちが高校生だった頃の思い出話がたくさん書いてありました。生まれついての個性派でワル目立ち、小・中学校通して「センセイ」方とはぜんぜんうまくいったためしのない私です。でも、そんなめんどうな子どもをこんなにも愛情深く見つめ、覚えてくれていた先生もいたんだなあと、胸が熱くなりました。

もう一人忘れてはならない先生がいます。それは、現在の日舞の師・T師匠です。T師匠との出会いは、本当にラッキーそのものでした。T師匠がいなければ、日本舞踊とこんなに深いかかわりを持って生活するようになることはなかったでしょう。

T師匠に弟子入りしたのは、大学を卒業して間もなくのことです。出会いは、スタッフとして就職した某・劇団でのことでした。役者さんが舞台に上がるためには、様々な技術や訓練が必要です。T師匠は、そんな役者さんたちの基礎稽古のために劇団へ出稽古に来てくださっていた多くの専門家のうちの一人でした。歌手の三波春夫さんと細川たかしさんを足して二で割り、ちょっと恰幅をよくしたような、豪快でゆかいなおじさん先生です。私は役者ではありませんでしたが、大学の演劇科で日本舞踊と出会って以来大好きになり、卒業してからも何とかお稽古を続けたいなあと思っていました。だから、これ幸いと役者さんに交じってこっそり稽古をつけてもらうことにしたのです。

某・名人に師事し、ご自身もなかなかの踊り手でありながら、T師匠のお稽古は本当におおらかです。当時も「お稽古がしたいのに、お金がなくてできないことほど悲しいことはない」とおっしゃって、本当に安いお稽古代で、一生懸命お稽古をつけてくださいました。おかげで、貧しい劇団員は本当に救われました。仕事が忙しい時には、どんなに休んでも気長に待ってくださいました。着物がない人は、用意ができるまでジャージでいいよ、ということで、ジャージに靴下履きで稽古に通った男性劇団員もいます。発表会なども、できるだけお金がかからないよう工夫して、でもきっちりやらせてくださいました。そんなわけで、劇団員以外にも「やりたい」人が増え、若いOLさんや、一般のおばさまたちもお稽古にいらっしゃるようになり、どんどん輪が広がっていくようになりました。今でも、時々稽古のために上京しますが、未だに毎回お稽古をつけて頂いているんだか、ご飯をごちそうになりにいっているんだかわからないようなありさまで、今に至ります。「出世払いで」と、なんでも遠慮なく頂きますが、本当にいつお返しできるのだろうと、不詳の弟子はいつも頭をかいています。でも、まずは腕を磨いて、しっかりした踊り手になることなのでしょう。険しくも楽しい踊りの道は、まだまだ始まったばかりです。

私も時々「センセイ」と呼ばれるようになりました。私も、子どもたちの心にちょっとでも残る先生になれるのかなあ。なれればいいなあ。そう思いながら、今日もお稽古に向かっています。

プロフィール
扇(せん)
日本舞踊の踊り手として活動する傍ら、子ども向けの舞踊教室やワークショップを主宰。今日は保育園、明日は小学校の課外活動とかけまわる他、老人ホームなどにも出没中。趣味は三味線をひくこと(注 腕前はコント並)と本を読むこと、クラシックを聞くこと。演劇ユニット「TEAM NACS」の活躍と、おいしいごはんが元気の源。

海のものと山のもの そして、それをつなぐもの

山の形をした魂―山形宗教学ことはじめ

山の形をした魂―山形宗教学ことはじめ

月 人 石 (こどものとも傑作集)

月 人 石 (こどものとも傑作集)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

もうすぐ海が見える、と思うといてもたってもいられない。山道を抜けて一気に浜風が吹いてくると、車の窓を開け放って思い切り風にあたる。風に身体をなぶらせて、ごちゃまぜの思いを吹き散らかす。どんどん軽くなっていく心と身体。いつもこうやってリセットしてきたのだ。故郷を離れるとき、一番気がかりだったのは、自分の生活から海がなくなることだった。
 
自宅から海まで歩いていけるところで育った。通学でも、通勤でも、少しでも海を見られるように、遠回りしたり、わざとシーサイドラインから帰ったり、海を眺めることが日課のようなものだった。白い砂丘を登って見えるその日の海との出会い。ただ海と空しかない広い空間に身をおくと、胸も広々と大きくなる気がして、頭でっかちな思考がちっぽけになっていく。人の匂いがしない空間ってなんてさっぱりするんだろう。世界に自分と、向かい合う海しかない。そんな錯覚に浸るのも楽しかった。いや、そんな錯覚こそが、リアルなことのように感じた。
浜でしか見られない植物に出会えるのもささやかなよろこびだ。浜昼顔のぷりぷりとした丸い葉、群れて咲く浜エンドウの濃い赤紫、秋グミのさびれた朱赤。そして、真冬の風が吹き荒れるただただ茫漠とした砂浜が好きだ。

この間は、夕陽を眺めるために海へ出かけた。春先になると、波打ち際にたくさんの貝が落ちている。からす貝に桜貝、はまぐりや名も知れぬ細かい貝殻たちが、傾いた陽を受けて、波の形にビーズを縫いつけたようにきらきら輝いている。夕凪の優しい色をした海が静かに波を寄せてくる。小さな漁港の防波堤では、釣りをする人のシルエットが浮かび上がっていた。今まで何度こんな夕暮れを浜辺で過ごしただろう。どうしても立ち去りがたく、家族との夕食の時間に遅れるのを気にしながら、夕陽が沈むのを見届けると急いで帰った。

一方、ここ、盆地山形。もくもくと日ごとに盛り上がる新緑のまぶしいこと。山笑う季節の到来だ。
山形に来たばかりの時、図書館の郷土本の棚で見かけた『山の形をした魂』という本のタイトルをやけに覚えている。なんだろう、山の形をした魂って??? 山形での暮らしに慣れ、取り囲む山々の存在が少しずつ自分になじんできた頃に、『月・人・石』という写真絵本と出会った。写真と書がページごとに載っていて、それぞれに谷川俊太郎の言葉が添えられている。その本の中の、あるページを見てはっとした。薄紫色のおにぎりのような山の写真のとなりに力強く「山」の書があり、「かなしみをうけとめてくれるしずかなやま」とある。それを見た途端、じわーっと胸にこみ上げるものがあった。山って、悲しみを受け止めてくれることもあるのか。そんな存在にもなりうるのか。ちょっと新鮮な驚きだった。
山といえばもうひとつ、司馬遼太郎の『竜馬がいく』の中で、竜馬がはじめて富士山を見たときの大好きな場面がある。富士を見て竜馬は「日本一の男になりたいと思った」とつぶやき、「一瞬でもこの絶景をみて心のうちがわくわくする人間と、そうでない人間とはちがう」と続ける。山の姿に自分の志を高くかかげた竜馬の心意気、そのスケールの大きさにしびれたのだ。

 海を見て山を見て、人は何を思うのか。じゃあ、空を見たら何を思うのだろう。昔、まったくぱっとしない地味で陰気な高校生だった頃、湯冷めするのも気にせず夜のベランダに立ってまたたく星々を眺め、「我が内なる道徳法則」や「考える葦」の言葉を胸に思い馳せていた。燦然ときらめく星座は厳しくてゆるぎない硬さをもっている。この硬さの前には何をどうすることもできない。それは無力感というよりも、甘さを許さない超然とした美で、自分を叱咤激励するものである気がした。そういえば山形に来るとき、友人がプレゼントしてくれたのは、宇宙と星座の写真集だった。「とまどい、迷うとき、この本を開いてみるといいよ」という言葉と一緒に。もらった時はよくわからなかったけど、なんて素晴らしいプレゼントなんだろう。ありがとう。そんな人の思いをのせて、今の自分はここにいる。

こんなことをつらつらと思いつつ、春の時間は過ぎていく。泰然とした海にも山にもとうてい及ばない、とりとめのない、でもかけがえのない私の時間が。

プロフィール
古田 茄子(ふるた なす)
山形歴10年あまり。最上川の歴史研究、城山登り、湧き水深訪、そば屋めぐりなど、趣味は山形。植物の名前を覚えるのが得意。オーガニック料理や身体にやさしいお菓子作りにも精を出す。いつか青汁だけで生きていけるよう肉体改造して、仙人になりたいとの野望を秘めている。

「早く治す」ことのリスク

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

知人の紹介を受け、昨年末からとある治療室(整体)に通っている。普段の生活における動作で、違和感を覚える部位――中学生の頃に部活で痛めた股関節と、2年前に遭った自動車事故(信号無視の車に突っ込まれた!)で痛めた頸椎――の治療のためだ。この治療室のT先生は、独特の治療哲学を持っており、私の体の痛みやゆがみについて、それが起こる理由をさまざまな例えを用いて説明してくれる。T先生とのそうしたコミュニケーションが、治療室を訪れた時の私の秘かな楽しみである。

ある日、T先生からこんな話を聞いた。

この治療室に通う患者さんたちには2種類のタイプがいるらしい。ひとつは、「この痛みを何とかして!」「早く治して!」というような、受動的で消費者感覚が強い<治療依存タイプ>、もうひとつは、「治療を受ける」という行為を相対化し、治療そのものと適度な距離感を保つことができる<自立タイプ>。ちなみに彼から見た私は、後者なのだという。ふうん、と思った。

実際に私がどちらのタイプかはさておき、T先生との会話で思い当ったことがある。

私は若者支援のNPO活動をしているので、その立場上、子育てに悩む親御さん(ほとんどがお母さん)や、悩みがある若者たち(自分で書いていて何だが、悩みのない若者がこの世にいるだろうか?)からの相談を受けることがある。私たちの活動は「居場所づくり」と「学びの場づくり」がメインであって、悩める人びとの相談を受ける専門機関ではない。でも、事実として相談はたびたび受ける。

これまでたくさんの親御さんたちや、悩める若者たちに会ってきたが、彼/彼女たちの中には少なからず、T先生のいう<依存タイプ>がいた。「迅速」に「確実」に「問題解決」をしたいから、そのための「答え」を教えてほしい―――人によって言い回しは違えどこう迫られることが多々あった。もちろん、子育てや生きかたに「唯一無二の答え」があるわけではないので、私にできることは「問題解決にはどんな方法があるだろう?」と、彼/彼女たちと一緒に考えるくらいなのだが。ともあれ、そうした<依存タイプ>の人から相談を持ちかけられる度、私はついつい「あなたの依存体質を改善することが問題解決への近道ですね」などと心の中でつぶやいてしまう。

内田樹(フランス現代思想)の著書に、こんな話があった。

「世の中には「入れ歯が合う人」と「合わない人」がいる。合う人は作った入れ歯が一発で合う。合わない人はいくら作り直しても合わない。別に口蓋の形状に違いがあるからではないんです。マインドセットの問題なんです。自分のもともとの歯があったときの感覚が「自然」で、それと違うのは全部「不自然」だからいやだと思っている人と、歯が抜けちゃった以上、歯があったときのことは全部忘れて、とりあえずご飯を食べられれば、多少の違和感は許容範囲、という人の違いです。」(『街場のメディア論』光文社新書、p.20)

この話は、T先生の持論「患者には2つのタイプがいる」にもつながる話だ。自分の考えかたを変えようとせず、ひたすら周りに依存する人は、永遠に満足することはないだろう。一方で、置かれた環境のもとで試行錯誤をしながら、「ま、こんなもんかな」と自己に折り合いをつけられる人は、――いろんな悩みはあれど――それなりに楽しい毎日を送ることができるにちがいない。

改めて考える。私はどっちのタイプなんだろう。
そして、あなたはどっち?

プロフィール
松井 愛(まつい あい)
山形市在住。若者の居場所と学びの場づくりNPO「ぷらっとほーむ」を運営。
モンテディオ山形をこよなく愛し、春夏秋はバイク、冬はスノーボードに時間を費やす。
大好きな人たちとのおしゃべりがエネルギー源。山形県農産物等統一シンボルマーク「ペロリン」ラヴ!