Hatena::ブログ(Diary)

himaginaryの日記

2012-02-10

結婚と経済決定論

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昨日は伝統的ケインジアン経済学景気回復の関係を巡るクルーグマンとタイラー・コーエンの衝突を紹介したが、7日に紹介した結婚と貧困の関係を巡っても両者は衝突している。といっても、そこで取り上げたブルッキングス研究所の報告そのものではなく、チャールズ・マレー(Charles Murray)の下記の本が衝突のテーマとなっている。

実はブルッキングス研究所の報告でもこの本に言及しており、その内容を以下のようにまとめている。

Charles Murray's new book, Coming Apart: The State of White America, 1960-2010, argues that the decline in marriage, and the concurrent decline in work, is the product of changes in values or social norms that have eroded both industriousness and marital values.

(拙訳)

[同書は]既婚率の低下、およびそれと並行して生じた就労率の低下を、勤勉さと結婚の価値を低下させた社会的価値観ないし社会規範の変化の産物と論じている。

その上で、それは実証結果に適合していない、と批判している。


クルーグマンも一連のブログエントリ(ここここここここここ邦訳])でマイク・コンツァルデビッド・フラムを援用しつつ同書への批判を繰り広げ、さらに直近のOp-ed邦訳)でもこのテーマを取り上げている。


これに対しコーエンは、クルーグマンらの論調を経済決定論(economic determinism)の突然の流行、と茶化しブライアン・カプランのエントリを健全な反応として評価している*1。そこでカプランは、ここで紹介した清掃員とメイドの結婚の勧めと同様の議論を繰り返し、結婚すれば家計収入は上昇するのだから経済的合理性からは結婚する方が得、と論じている。そして、ある種の人々が結婚しないのは、自分の分を弁えずに選り好みをするためではないか、そういう人々は仕事も選り好みするので結局貧乏で独身となるのだ、と論じている。

*1:ただし後続のエントリでは、上記のクルーグマンの一連のブログエントリのうち最後のものについては評価している。また、既婚率の低下は女性の収入の上昇が関係しているのではないか、とある意味至極真っ当なことを論じたマシュー・イグレシアスも併せて評価している。

2012-02-09

ニューケインジアンとオールドケインジアンは何が違う?

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道草で既に関連エントリが訳されている通り(ここここここ)、1月の雇用が良かったことがオールドケインジアンへの反駁になるかどうかを巡ってタイラー・コーエンとクルーグマンが衝突した。


この件に関してのコーエンの取りあえずのまとめはこちらだが、その追記でリンクしているエズラ・クラインのコメントが、学界の外からのコーエンへの良い反論になっているように思われる。


クラインの指摘は以下の3点。

  • コーエンは今回の雇用増加で景気回復が確固としたものになったと受け止めているようだが、その根拠は? 直近4ヶ月(10-1月)の雇用増加は平均17.8万であったが(10月は11.2万)、2011年の最初の4ヶ月の平均は20.6万だった。
  • ニューケインジアンモデル対オールドケインジアンモデルの詳細な議論は自分には難し過ぎるが、次のことは指摘しておきたい。悪名高いバーンスタインローマ論文では、大規模な財政刺激策抜きでもそれなりのスピードで景気が回復することを想定していた。論文は明らかに楽観的過ぎたが、そのことは同時に、財政刺激策支持派も、政府の支え無しに経済が自律回復するモデルを想定していたことを意味する。
  • コーエンが新旧のケインジアンが現在の経済の分析においてどのように違うと考えているのか知りたい。彼の批判する人々の考えは概ね次のような感じだろう:「経済にはある程度の勢いは付いてきたものの、雇用税の減税をもっと大幅なものにし、州や地方政府への援助を増額し、インフラ整備への支出を増やし、FRBからのより強力な成長へのコミットメントを取り付け、増税を含む長期の財政赤字削減案を可決し、欧州がうまくいくことを願えば、回復はより確かなものとなるだろう。」このうちのどれにニューケインジアンは反対するのか?

また、Economist's ViewのMark Thomaもここでコーエンに異論を唱えている*1ほか、こちらでは、景気回復は遅々たるものみんなケインジアン政策が悪いんや、と主張するジョン・テイラーと、景気回復は確固としたものでそれはケインジアン政策の失敗を意味する、と主張するコーエンは是非討論してほしい、と皮肉ったノアピニオン氏にリンクしている。


なお、コーエンは上記エントリで、ニューケインジアンはオールドケインジアンに比べ平均回帰の傾向について楽観的、と両者の違いを簡潔にまとめている。要は、動学化されていない静学的モデルなので時間概念が不明確、ということが彼のオールドケインジアンへの不信の根底にあるように思われる。

*1:一つには、コーエンがStephen Williamsonをこの件に関する権威として扱ったことが、最近Williamsonからヘイトメールを受け取ったというThomaの癇に障ったようだ。ちなみに、Thomaはニューケインジアン的立場から財政政策支持を訴えているにも関わらず、Williamsonは彼を一貫してオールドケインジアン扱いするとの由。

2012-02-08

共産主義体制からの移行について私が学んだ7つのこと

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お前が言うか、という気もするが、アンドレイ・シュライファーが表題の記事をvoxeuに書いているマンキューEconomist’s Viewがリンクしているほか、Mostly Economicsが各段落の最後の文章を抜き出すという形で簡潔にその内容をまとめている。

以下はその7項目の概略。

  1. 改革者は成長軌道への早期の復帰を当てにしてはいけない。経済の移行というものは時間が掛かる。
     
  2. 移行に信を置け。資本主義体制は本当にうまくいく。
     
  3. 改革者はポピュリストたちの反乱を恐れる必要は無い(実際にそうした反乱は皆無だった)。その代わり、新しく台頭してきたエリートたちが政治を奪取してしまうことを恐れよ。
     
  4. 当時、制度をまず整備せよとか、政府が企業の民営化の準備をせよとか、バウチャー投信のどちらの民営化方式が良いとか、ケースバイケースの民営化が良いとか、様々な理論が改革を巡って取り沙汰されたが、今にしてみれば奇妙な議論だったように思われる*1。改革者は自らのコントロールする力を過信してあれこれ介入するが、ベラルーシウズベキスタントルクメニスタンといった例外を除けば、手法は異なれど結果は似たようなものであった。すなわちすべての国で、民営化マクロ経済の安定、市場経済を支える法律や制度の改革は達成された。教訓:市場への移行をあれこれ事前に計画することにはさして意味は無い。きちんとした改革を望むあまり改革を遅らせるようなことがあってはならない。
     
  5. 経済学者インセンティブを強調し過ぎ。社会主義経済理論ではインセンティブを過大評価し、人的資本を過小評価していた。市場への移行は、より良いインセンティブを持っていた古い人々ではなく、新しい人々によりなされた。インセンティブを用いたとしても、古い犬に新しい技を教え込むことはできない。
     
  6. ロシア危機は当時20年の後退をもたらすと言われたが、1999-2000年には急成長を取り戻した。東アジア危機やアルゼンチン危機でも似たようなことが起きた。債務再編は恒久的な傷跡を残すとは限らない。こうした実例は、国際社会から警告を受けるのが常である改革者に重要な教訓を与える:危機にパニクるな、それは意外に早く過ぎ去る。
     
  7. 中所得国は最終的には民主主義体制に歩み寄るとしても、その歩みは資本主義体制への移行ほど直接的でも一貫したものでも無い。

*1:制度の整備を重視する立場から当時のロシアの性急な改革を批判した代表的な経済学者にはスティグリッツがいる。それに対するサックスの反論を以前紹介したことがあったが、この論点だけを取り出せば、シュライファーサックスという因縁の二人は意見が一致していると言えそうである。一方、ここで紹介したように、本項でシュライファーが軽視している企業の民営化手法の違いが、前項のオリガルヒの問題とつながっている、という指摘が以前マーシャル・ゴールドマンによりなされている。

2012-02-07

結婚は金持ちのもの

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と題した記事がEconomixに上がっているEconomist’s View経由;原題は「Marriage Is for Rich People」)。内容はこちらのブルッキングス研究所の報告の紹介*1


その報告内容は以下の図に集約される。

1970年代には、所得階層に関係無く中年男性は結婚していた。その後、既婚比率は全般に下がったが、中低所得者層でその低下幅が大きかった。上図は、30-50歳の男性について、所得階層別に、1970年から2011年に掛けての所得の変化と既婚比率の変化を描画したものだが、両者の相関が読み取れる。即ち、経済的な逆風に曝された層で、既婚比率の低下も大きかった。

具体的には、上位10%においては実質所得は増加した半面、既婚比率の低下幅は95%から83%に留まった。それに対し、中位値の所得はおよそ28%低下し、既婚比率は91%から64%まで下がった。一方、下位25%においては、所得は60%低下し、既婚比率は86%からおよそ半分にまで下がった。離婚経験者の比率は全般に増加したものの、既婚比率低下の最大の要因は未婚比率の増加であった。


女性についても同様の現象が観察される。

所得の上位10%では既婚比率はほぼ一定ないしむしろ上昇したのに対し、下位70%では既婚比率は15%以上低下した。女性については労働参加率の変化が所得変化の計算を難しくしているものの、40年前には独立した収入を持っていなかった女性が半数近くに達していたことを考えれば、所得変化と既婚比率の変化の相関がやはり存在することが伺える。


報告では、こうした結婚格差を解消する特効薬は存在しないものの、より高賃金の仕事を得るための教育や訓練への投資を行ったり、経済的保障を推進する、といった形で経済問題に焦点を当てるのが最善の方法ではないか、と結んでいる。

*1:日本語記事ではこちらで紹介されている。

2012-02-06

連邦政府職員は貰い過ぎか?

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という問いに対して議会予算局がイエスの答えを出した、としてマンキューこちらのCBOレポートを紹介している。


そのレポートの内容は以下の図に集約される。

これによると、高卒以下では36%、大卒では15%、民間よりも連邦職員の方が総報酬が高いという。一方、専門資格ないし博士号取得者では、連邦職員の方が18%低いという。面白いのは、賃金だけを見ると大卒では政府と民間は互角で、それ以下の学歴では政府の方が高く、それ以上の学歴では民間の方が高くなっている。一方、福利厚生は専門資格ないし博士号取得者では政府と民間は互角だが、それ以外では政府の方が高くなっている。つまり官民格差をもたらしているのは、かなりの程度が福利厚生医療保険有給休暇退職金など)によるのだが、こちらのブログによると、民間ではあまり見られなくなった確定給付年金連邦政府職員のほとんどで利用可能なことが、その差の最も重要な要因になっているという。


こうした民間と政府給与比較について、Modeled Behaviorのカール・スミスは、「政府労働者に払い過ぎているのか?(Does Government “Overpay” Its Workers)」と題したエントリで、比較優位の原則が政府の輸入政策によって引っ繰り返されたり、ゴールドマンサックス給与体系が労働市場の需給を引っ繰り返すことはあるのだろうか、という謎掛け染みた問いを投げ掛けている

これに対し同じくModeled BehaviorのAdam Ozimekは、スミスの謎掛けを、政府による払い過ぎは無い、という主張と解釈し、反論している。Ozimekはそこで、CBOの分析では高度な技術を要する職種よりもむしろ単純労働の職種の方が官民格差が大きいことを指摘し、そうした単純労働ではどんな人材でも追加的な付加価値は限られるので、政府の払い過ぎはあるでしょう、と論じている。

この両者のやり取りをノアピニオン氏がブログ内の内戦と囃し立てた上で、Ozimekの方に軍配を上げている

それに対しスミスがさらにエントリを書いて応じ、自分の真意を明らかにしている。曰く、官民の給与を単に比較しただけでは、需要と供給のどちらがその違いをもたらしているのかは分からないし、ましてやどんな要因がその違いをもたらしているのかは分からない。例えばロケットサイエンティストの職を提供しているのは政府以外にはあまり無いので買い手市場になっているのかもしれないし、国防総省のトラックの運転手や在庫管理の仕事は民間よりも高いプロフェッショナリズムが求められるのかもしれない。少なくとも、政府が誰をどのような理由で採用を断り、誰がどのような理由で政府の職に就くのを断っているのかを知りたいと思うべきではないか、とOzimekとノアピニオン氏を窘めている。