Hatena::ブログ(Diary)

himaginaryの日記

2018-10-22

ベンガル飢饉はケインズがもたらした?

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「Profit Inflation, Keynes and the Holocaust in Bengal, 1943–44」という論文をMostly Economicsが紹介している。著者はジャワハルラール・ネルー大学名誉教授のUtsa Patnaik。以下はその要旨。

The year 2018 marks the 75th anniversary of the Bengal famine, 1943–44. This paper argues that the famine arose from an engineered “profit inflation,” described by John Maynard Keynes in general terms as a necessary measure for “forced transferences of purchasing power” from the mass of working people, entailing reduction of their consumption in order to finance abnormal wartime expenditure. Keynes had a long connection with Indian financial affairs and, in 1940, became an advisor with special authority on Indian financial and monetary policy to the British Chancellor of the Exchequer and the Prime Minister. Facing trade union opposition in Britain to the highly regressive policy of profit inflation, he gave it up in favour of taxation. But, in India, extreme and deliberate profit inflation was implemented to finance war spending by the Allied forces, leading to the death by starvation of three million persons in Bengal.

(拙訳)

2018年は1943-44年のベンガル飢饉の75周年に当たる。本稿は、飢饉人為的な「利潤インフレーション」によりもたらされた、と論じる。「利潤インフレーション」は、ジョン・メイナード・ケインズによって、労働者階級の大衆からの「購買力の強制的な移転」を行うのに必要な手段として一般論の形で描写された。この手段を採れば、異常な額となる戦時支出を賄うために彼らの消費が削減されることになる。ケインズインドの財政に長らく関係しており、1940年には、インドの財政金融政策に特別な権限を持つ、英国大蔵大臣ならびに首相の顧問となった。利潤インフレーションという非常に逆進的な政策は英国では労働組合の反対に遭い、彼はそれを諦めて課税選択した。しかしインドでは、連合軍の戦争支出を賄うために極端かつ計画的な利潤インフレーションが導入され、ベンガルで300万人の餓死者をもたらした。

2018-10-21

自己実現的な金融危機

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表題のProject Syndicate論説(原題は「Self-Fulfilling Financial Crises」)でデロングが、 Nicola GennaioliとAndrei Shleiferの以下の共著書を、2008年の金融危機を理解する上で読むべき第5の本、として推奨している*1

本書が重要である理由としてデロングは以下の3点を挙げている。

  1. 過去10年は米国の住宅バブルの必然的な帰結という主張への優れた反論を提供
    • 多くの論者は依然としてバブル崩壊金融危機の引き金になったと主張しているが、危機発生前にバブルは崩壊していた。
      • 2008年半ばまでに、住宅価格はファンダメンタルズ価格に戻っていた、ないし、むしろそれを下回っていた。住宅建設業界の雇用と生産もトレンドを遥かに下回るところまで低下していた。資産評価のリバランスと、部門間の経済資源の再割り当ては完了していた。
      • 確かにその先には、サブプライムローンや住宅担保貸付の焦げ付きという形で約7500億ドル相当の金融資産の損失が待っていた。しかしその額は、1987年10月19日の7時間で世界の株式市場から失われた価値の4分の1に過ぎない。言い換えれば、世界の金融システムを沈めるほどの額ではなかった。2008年当時、当時のバーナンキFRB議長は、住宅価格の修正によって制御不能金融危機がもたらされることはない、という自信を示しており、むしろインフレ上昇の危険に注目していた。
    • しかしそこで底が抜けた。ジェンナイオリ=シュライファーが示した理由は、人々の考えが変わったこと。
    • それによりシャドウ銀行システムでも非シャドウ銀行システムでも突如として取り付け騒ぎが発生し、投資家資産の投げ売りに走った。彼らがシステムに見い出だしたリスクの増大は現実のものとなった。緊急治療室のトリアージナースよろしく、彼らは患者を素早く診断して、他の選択肢は無いとばかりにその初期診断で行動した。
    • しかし、こうした危機の発生は決して不可避では無かった。FRBが、潰すには大きすぎる金融機関を管理下に置き、自身が最後のリスク負担者となる、というコンティンジェンシープラン(不測の事態への対応策)を持っていたならば、世界は変わっていただろう。住宅バブルの不可避の結末だったと結論する論者と異なり、ジェンナイオリ=シュライファーはコンティンジェンシー(不測の事態)が危機ならびに危機後において果たした中心的な役割を認識している。

  2. 「考えの変化による危機」が人間心理に深く根差していることを示したこと
    • それが2008-2009年の惨事をもたらした。我々はそれから決して自由になることはないので、マクロプルーデンシャル政策や危機対応策は、それが例外的な偶然の出来事だと想定すべきではない。考えの変化による危機は、管理すべき慢性的な症状の顕在化なのである。
    • 従って、中銀や財政当局は、危機終焉を、後退したりハンドルから手を離したりする言い訳にすべきではない。基本的な考えが恒久的に変わった時には、危機前に完全雇用低インフレ、均衡成長を支えた政策の組み合わせが、危機後も効果を発揮すると期待すべきではない。また、直近の不況対策に必要とされた政策そのものが、次のキンドルバーガー過程(変化、楽観、熱狂、崩壊、恐慌、反動、信用不安)の種を蒔いているのである。

  3. 合理的期待を持つ代表的個人に代わる枠組みの提供

ここでデロングは、Gennaioli=Shleiferの考えを支持することにより、暗黙裡にここで紹介したクルーグマンバーナンキ論争のバーナンキの側に立っている。

ちなみにここで触れたように、シュライファーハーバード時代のデロングのルームメートであるが、今回の記事でもそのこと(および、彼が絶大な信頼を寄せる相手であること)を断っている。なお、両者の共通の師はサマーズであるが(cf. ここ)、そのサマーズも先月、本書の書評書いているDavid Warshの見立てでは、サマーズはクルーグマンバーナンキ論争におけるクルーグマンの立場に近いことになるが、その書評でサマーズは、上のデロングの3つのポイントで言えば、その話に関わる第1点ではなく、専ら第2点と第3点に焦点を当てている(ただし第2点についてデロングが挙げた政策の具体論には立ち入っていない)。

2018-10-20

経済学における話題の新しいアイディアが実際には悪いアイディアである理由

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ジョージ・メイソン大のMercatus Centerの表題のコメンタリー記事(原題は「Why a Hot New Idea in Economics is Actually a Bad Idea」)で、スコット・サムナーがMMT批判している(共著者はPatrick Horan、H/T Mostly Economics*1

以下はその冒頭。

In recent years, a radical and unorthodox school of thought called “Modern Monetary Theory” (MMT) has become popular with some progressive economists, as well as with policymakers and activists on the political left. One of MMT’s most prominent advocates is Stephanie Kelton, a professor at Stony Brook University who advised Senator Bernie Sanders during his 2016 presidential run. The theory has received enough traction that the popular Planet Money podcast recently ran an episode on the topic.

(拙訳)

近年、「現代貨幣理論(MMT)」と呼ばれる過激で非正統的な学派が一部の進歩的経済学者、政策当局者、左派活動家の間で人気を博している。MMTの最も著名な主唱者の一人はストーニーブルック大学教授のステファニー・ケルトンで、彼女はバーニー・サンダース上院議員2016年大統領選に立候補した際に顧問を務めた*2。この理論は有名になり、人気のプラネットマネーポッドキャスト*3でも最近これを取り上げた番組を流した。


しかし、サムナーが主唱者の一人である市場マネタリストの理論と異なり、MMTは現実を説明できない、と彼は言う。

Market monetarists argue that nominal GDP (total dollar spending on all goods and services in the economy) is the best way to determine whether monetary policy is too tight (leading to a recession) or too loose (leading to high inflation). During the recovery from the Great Recession, nominal GDP growth has averaged only four percent per year, which largely explains the low inflation rate. The 1980s was also a period of expansionary fiscal policy and rising government debt, and inflation also fell during this period, as the Fed reduced the growth rate of the money supply. And contrary to the predictions of MMT, the expansionary monetary policy of the 1960s and 1970s pushed inflation sharply higher, even though government spending and deficits were not unusually large. While the market monetarist model (as well as some other conventional models) can explain why inflation has remained near two percent since 1990, MMT has no clear explanation for the relative success of inflation targeting.

(拙訳)

市場マネタリストは、金融政策が引き締め過ぎ(これは景気後退につながる)か緩和し過ぎ(これは高インフレにつながる)かを決める最善の手段は名目GDP経済の全ての財・サービスへの支出額合計)である、と主張する。大不況からの回復期には、名目GDPの平均成長率は年率4%に過ぎず、それで低インフレが概ね説明できた。1980年代もまた、財政政策が拡張的で政府債務が上昇した時代だったが、FRB貨幣供給の伸び率を減じたため、この時期のインフレ率はやはり低下した。そして、MMTの予測に反し、1960年代と1970年代の拡張的な金融政策は、政府支出財政赤字が異常に大きくなったわけではないにも拘らず、インフレ率を急激に押し上げた。市場マネタリストのモデル(および他の幾つかの通常モデル)が1990年以降のインフレが2%近くに留まった理由を説明できるのに対し、MMTインフレ目標が比較的成功したことを明確に説明できない。


さらにサムナーは、クルーグマンを援用して、MMTの危険性を指摘している。

...Paul Krugman and other MMT critics have warned that money-financed debt could lead to hyperinflation. As Krugman wrote in 2011:

“When people expect inflation, they become reluctant to hold cash, which drive prices up and means that the government has to print more money to extract a given amount of real resources, which means higher inflation, etc... Do the math, and it becomes clear that any attempt to extract too much from seigniorage — more than a few percent of GDP, probably — leads to an infinite upward spiral in inflation. In effect, the currency is destroyed.”

MMTers might respond that what they are calling for in the US is nowhere near what the governments in Zimbabwe, Argentina, and Venezuela have done, so it’s unreasonable to claim that we’d see similarly high inflation. In fairness, the United States has much stronger institutions and less corruption than those countries. Nonetheless, as Krugman and others have pointed out, attempting to implement an MMT program of money-financed government spending would risk triggering an excessively sharp increase in inflation, especially as the economy strengthens. Experience shows that when inflation gets out of control, it leads to many other economic and social problems, from the erosion of people’s savings to political turmoil. The MMT agenda is not an experiment worth risking.

(拙訳)

・・・ポール・クルーグマンなどのMMT批判者は、財政ファイナンスによる債務ハイパーインフレにつながりかねない、と警告している。クルーグマン2011年に次のように書いている:

人々は、インフレを予想すると現金の保有を躊躇うようになり、それによって物価が上昇し、政府は一定の実物資源の量を引き出すためにより多くの貨幣を刷る必要が生じ、それがさらにインフレを上昇させる、等々。計算してみれば、過度のシニョリッジ――おそらくGDPの数パーセント以上――を引き出そうとする試みは、インフレの無限スパイラルをもたらすことが明らかになるだろう。事実上、貨幣が破壊されるのだ。

MMTerは、彼らが米国に求めていることはジンバブエアルゼンチンベネズエラがやったこととは程遠いため、それらの国と同様の高インフレを経験することになると主張するのは理に適っていない、と言うだろう。公正な立場に立てば、確かに米国はそうした国に比べ制度的に遥かに強靭で、腐敗も少ない。とは言え、クルーグマンらが指摘したように、財政ファイナンスによる政府支出というMMT政策を導入しようとすることは、インフレの過度に急激な上昇を引き起こすリスクがある。特に経済回復する局面ではそうである。過去の経験は、インフレが制御できなくなると、人々の貯蓄の目減りから政治的混乱に至る多くの経済的・社会的問題が引き起こされることを示している。MMT政策はリスクを取る価値のある実験ではない。

*1cf. 両者の過去の因縁

*2cf. Stephanie Kelton - Wikipediaここで紹介したレポートの著者の一人。同レポートの共著者の一人であるRandall Wrayが共同編集長となっている「Journal of Post Keynesian Economics」の編集委員務めている(実際のところ、同レポートの5人の著者のうち1人を除く全員がこの学術誌の編集に関わっている)。

*3cf. Planet Money - Wikipedia

bnmbnm 2018/10/21 18:35 確かに、人類が管理通貨制度を理解したとき社会は一体どうなるのか、それは予測できないですよね。そういう意味では、目隠ししたままおかしな思い込みをしたまま管理通貨制度に向き合い続けるべき、というのも一つの論理ではある。ただ、それが知的行為とは全く思えませんけどね。

2018-10-19

ノードハウスが紹介するワイツマンの業績

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13日エントリでは今回ノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・ノードハウスと受賞しなかったマーチン・ワイツマンに関するピーター・ドーマンのEconospeakエントリを紹介したが、そのワイツマンが教授職から研究教授職に退く記念シンポジウムが10/11にハーバードケネディ・スクールで開かれ、数日前にノーベル賞を受賞したノードハウスが基調講演を行ったという。同シンポジウムのパネル討論の司会を務めたロバート・スタビンズがブログシンポジウムの模様を報告している

以下はスタビンズによるノードハウス講演の概要。

Bill launched his presentation, “The Intellectual Footprint of Martin Weitzman in Environmental Economics,” by stating that Marty “has changed the way we think about economics and the environment.” He then went on to itemize Weitzman’s impressive body of work, including his series of studies on the share economy; his research on the Soviet Union and central planning; his seminal 1974 paper, “Prices vs. Quantities,” which provided fresh insight on how regulatory policy can best be leveraged to maximize public good; and his work on so-called “fat tails” and the “dismal theorem,” which questioned the value of a standard benefit-cost analysis when conditions could result in catastrophic events, even if the probability of such events is very low.

But Nordhaus devoted much of his talk to highlighting Weitzman’s extraordinary contributions to the field of environmental economics, in particular, the economics of climate change and climate change policy. It was Weitzman’s “revolutionary” series of papers on the ideal measures of national income, Nordhaus stated, that focused early attention on the need to take the harmful impacts of pollution into account when tabulating the gross domestic product (GDP), a concept referred to as “Green GDP.”

“Our output measures do not include pollution,” said Nordhaus. “They include goods like cars and services like concerts and education, but they do not include CO2 that is pumped into the atmosphere.” He explained that pollution abatement measures are often blamed for causing a drag on the economy, but aren’t credited for the health and welfare benefits they create.

“If our incomes stay the same but we are healthier, and live a year longer or ten years longer, that will not show up in the way we measure things,” Nordhaus remarked. “But we can apply these Weitzman techniques to value improvements in health and happiness.”

“Those who claim that environmental regulations hurt growth are completely wrong, because they are using the wrong yardstick,” Bill continued. “Pollution should be in our measures of national output, but with a negative sign, and if we use green national output as our standard, then environmental and safety regulations have increased true economic growth substantially in recent years…For this important insight we applaud Martin Weitzman, a radically innovative spirit in economics.”

(拙訳)

ビルは「環境経済学におけるマーチン・ワイツマンの知的足跡」という彼の講演を、マーティが「経済と環境についての我々の考え方を変えた」という言葉で始めた。それから彼はワイツマンの目覚ましい数々の研究を列挙した。共有経済に関する一連の研究、ソ連と中央計画に関する研究、公共財を最大化する規制政策の最善の実施方法について新たな洞察をもたらした重要な1974年の論文「価格と数量」、および、いわゆる「ファットテール」に関する研究、ならびに、発生確率が非常に低いとしても破滅的な出来事をもたらしかねない条件下での標準的な費用便益分析の価値を疑問視した「陰鬱な理論」、などである。

しかしノードハウスは、講演のかなりの部分を、環境経済学分野に対するワイツマンの突出した貢献を強調することに費やした。特に、気候変動の経済学温暖化対策についてである。国内総生産GDP)を算出する際に汚染の有害な影響を考慮する必要性に関心が最初に向けられたのは、国民所得の理想的な指標に関するワイツマンの「革命的な」一連の論文によってである、とノードハウスは述べた。その概念は「グリーンGDP」と呼ばれる。

「我々の生産の指標は汚染を含んでいません」とノードハウスは述べた。「自動車のような財や、コンサートや教育のようなサービスは含んでいますが、大気に排出されるCO2は含んでいないのです。」 彼は、汚染対策は経済の負担になるということでしばしば非難されるが、それがもたらす健康と厚生への恩恵については取り上げられない、と説明した。

所得が同じままで我々がもっと健康になり、1年ないし10年寿命が延びたとしても、我々の計測手段にはそれが現れてこないのです」とノードハウスは指摘した。「しかしワイツマンの技法適用すれば健康や幸福の向上が評価できます。」

「環境規制が経済成長を損なうと主張する人たちは完全に間違っています。というのは、彼らは間違った基準を用いているからです」とビルは続けた。「汚染は、国内の生産に負の符号を付けて含まれるべきです。もしグリーン国内生産を基準として使えば、環境及び安全の規制は近年の経済成長を顕著に上昇させたことになります…この重要な洞察について我々はマーチン・ワイツマンを称賛します。経済学における完全に革新的な精神の持ち主として。」

2018-10-18

反トラストとハイテク企業、ベーシックインカム、移民

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コーエンクルーグマンインタビューから、これまで紹介してきたマクロ以外の話題に関するクルーグマンの見解を幾つか拾ってみる。

反トラストハイテク企業

Two things, actually, I think are pretty clear. One is, the old antitrust paradigm still has a lot of relevance.

Most of the economy is still not, in fact, novel tech, zero-marginal-cost stuff. Most of it is still traditional stuff, and the fact that we largely stopped enforcing good old-fashioned antitrust is actually a problem. It is part of the problem with our economy and part of the problem with rising inequality. How big a part is something? That’s hard to pin down, but it’s something. Good old-fashioned antitrust is far from irrelevant.

Second, there’s a whole bunch of issues. The role of this handful of tech platform providers in possibly distorting markets is a pretty big deal.

I have to admit, I haven’t put a lot of effort into trying to think about what the solutions are because it just seems like the political climate for actually doing anything is probably not there. The chance of doing anything good is not high, but that may be a bad judgment on my part.

I’ve been more focused on other areas where the market failure is so pervasive that even a market failure framework is almost the wrong way to go about it, like healthcare.

(拙訳)

実際のところ、2つのことは極めて明確だと思います。一つは、昔ながらの反トラストパラダイムは未だに非常に重要だ、ということです。

実際、経済の大部分は今も、限界費用ゼロの新技術の代物ではありません。経済の大部分は今も従来型の代物で、我々が古き良き反トラストを概ね執行しなくなったことはかなり問題です。それは経済において問題の一部となっていますし、格差拡大においても問題の一部となっています。それが問題の中でどれだけのウエイトを占めるかを正確に明らかにするのは困難ですが、小さからぬ問題にはなっています。古き良き反トラストが重要ではなくなったとはとても言えません。

第二に、問題は数多あります。おそらくは歪められている市場の中で、少数の技術プラットフォーム提供企業が果たしている役割は大きな問題です。

その解決策について私は十分に考えて来なかった、というのは認めざるを得ません。というのは、実際に何か行動を起こすような政治的環境が整っているとは思えなかったからです。何か良い手が打てる可能性は高くないと思いますが、それが私の判断ミスという可能性もあります。

私は、そうしたことよりも、医療のように、市場の失敗があまりにも普遍的なので市場の失敗の枠組みがそもそもほぼ適用できない分野に傾注してきました。


ベーシックインカム

I’m still debating with myself over UBI. The pro is that its automaticity is a big thing. It matters a lot that Social Security and Medicare are just there. No one asks, “Do you need it? Do you deserve it?” It’s just there, and UBI would have that character.

On the other hand, it’s expensive. If you make it generous enough so the people who really, really need help get it, then it’s a lot of money. If you try to keep the price down, then it’s not good enough. What we have now is a bunch of means-tested programs, which are a lot more generous to people at the bottom than a skinny UBI would be.

So I’m actually unsure, but that’s a possibility. That would only really make a big difference at the bottom, and I think we need to do more further up the scale.

(拙訳)

私は未だにユニバーサルベーシック・インカムについて自問自答しています。肯定的な面は、その自動性には大きな価値がある、ということです。社会保障とメディケアが無条件で提供される、ということには大いに意味があります。誰も「あなたはそれが必要ですか? あなたはそれに値しますか?」とは訊きません。それは無条件で提供され、ユニバーサルベーシック・インカムもその特徴を備えています。

その一方で、ユニバーサルベーシック・インカムは高価です。助けを本当に必要としている人が受け取れるような寛大な仕組みにすれば、多額のお金が必要になります。価格を抑えようとすれば、十分に良いものとはなりません。今現在も資力調査に基づく給付制度がたくさんあり、それは底辺層にとって中途半端なユニバーサルベーシック・インカムよりも遥かに寛大なものとなっています。

ということで、実際のところ私はユニバーサルベーシック・インカムの是非について確信が持てていませんが、可能性はあると思います。それは底辺層にしか大きな恩恵をもたらさないでしょうから、それより上の層についてはまた何か別の手を打つべきだと私は思います。


移民

My view on immigration has always been that if you aren’t at least somewhat conflicted about it, there’s something wrong with you. If you want to have a strong social safety net, which I do and most people do if actually pressed on it, then completely open borders is going to get in the way. Whether or not it’s really going to bankrupt the system, the sense that lots of people are coming in to take your benefits is going to be a problem.

On the other hand, not allowing anybody in is, from a global welfare point of view, is a terrible thing because one of the best ways to improve people’s lives is to give them a chance to move to a place where they’re more productive.

And there are good reasons to think that just our own economic prospects are enhanced by immigration. So some kind of inevitably awkward compromise is what you’re going to do. Then the question becomes, “How many million immigrants a year are we talking about?” That’s a hard question to answer.

Restricted immigration, but not slamming the door, has got to be the right place to be. This is America. Diversity has been our huge strength over the centuries. It’s a real betrayal of our own history and of our prospects to turn it off.

(拙訳)

移民についての私の見解は、あながそれについて少なくとも何らかの葛藤を感じなければ、あなたの側に問題がある、というものです。強力な社会的セーフティネットの必要性については、問われれば私も他の大部分の人も賛成すると思いますが、完全に開放された国境はその障害となります。実際に制度を破綻させるか否かに関わらず、多くの人が入ってきて自分たちの給付を奪う、と認識されることが問題となるのです。

その一方で、世界的な厚生という観点からは、誰も入れない、というのはひどい話です。というのは、人々の生活を改善する最善の方法の一つは、彼らがもっと生産的になる場所に移動するチャンスを与える、というものだからです。

また、我々自身の経済的展望も移民によって良くなる、と考えるべき相当の理由もあります。では、必然的に不格好なものとなる一種の妥協策として何をするか、ということになります。すると「年に何百万人の移民を受け入れれば良いのだ?」ということが問題になります。それは簡単に答えられる質問ではありません。

扉は閉じないが、制限された移民、というのがあるべき施策ということになるかと思います。ここはアメリカです。何世紀にも亘って多様性が我々の大いなる強みとなってきました。それを断ち切ってしまうのは、自分たち自身の歴史と展望に対する真の裏切り行為です。