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himaginaryの日記

2016-09-27

十分統計量アプローチはルーカス批判を回避することができるか?

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Economist's Viewの9/26付のリンク集でなぜかセントルイス連銀の半年前の表題の記事がリンクされている(原題は「Can the Sufficient Statistic Approach Avoid the Lucas Critique?」。ただしリンクのタイトルは「Making Models Simple, but Not Too Simple」)。

以下はその冒頭部での十分統計量アプローチの説明

The sufficient statistic approach is a methodology aimed at formulating public policy recommendations. It is based on the idea that, in some cases, it is possible to address a complex policy issue using a simple formula and available empirical estimates of treatment effects. The formulas are cleverly derived with the aim of summarizing the behavior of a complex model economy when affected by a particular policy shift. The estimates of treatment effects are econometric estimates of the effect of a particular policy shift on the relevant economic outcome(s).

(拙訳)

十分統計量アプローチとは、推奨すべき公共政策の構築を目的とした手法である。それは、単純な方程式と処置効果に関する利用可能な実証的推計結果を用いて複雑な政策問題に取り組むことができる場合もある、という考えに基づいている。方程式は、特定の政策変更に影響される複雑なモデル経済の振る舞いを要約する、という狙いから巧妙な形で導出される。処理効果の推計は、特定の政策変更が関連経済変数に及ぼす影響についての計量経済学的な推計である。

このアプローチがルーカス批判を回避できる理由については以下のように説明されている。

At first pass, it may seem implausible to think that simple formulas depending on just a few parameters would avoid the Lucas critique. However, the Sufficient Statistic Approach can pass this test to a large extent. There are two considerations that suggest this is the case:

  • The formulas used by the sufficient statistic approach are based on the optimal response of economic agents with respect to a change in policy.
  • The statistics that enter the formula should be estimated using quasi-experimental policy variation. That is, the parameters that enter the formula should take into account the empirical reaction to a shift in the policy rule.

(拙訳)

ぱっと見では、僅か数個のパラメータに依存している単純な方程式ルーカス批判を回避するというのはありそうもないことのように思われる。しかし、十分統計量アプローチはかなりの程度この試験に合格することができる。そのことを示す以下の2つのポイントがある。

  • 十分統計量アプローチが使う方程式は、経済主体の政策変更に対する最適反応に基づいている。
  • 方程式に使われる統計量は、疑似実験的な政策変動を用いて推計されねばならない。即ち、方程式パラメータは、政策ルール変更への反応に関する実証結果を反映していなければならない。

しかし、例えばラッファー曲線の頂点近くの経済の振る舞いを十分統計量アプローチで調べる場合には、

のいずれかが成立している必要がある。記事の著者Alejandro Badelは、Mark Huggettとの共著論文で、後者の条件を満たすようなラッファー曲線の頂点の予測式を導出したとの由。

2016-09-26

インターネットは自宅警備員を増やした負の技術ショックだったのか?

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EconospeakのProGrowthLiberal(PGL)が、(昨日紹介した)David Glasnerのエントリの以下の一節が特に気に入った、として引用している

Romer’s most effective rhetorical strategy is to point out that the RBC core of modern DSGE models posit unobservable taste and technology shocks to account for fluctuations in the economic time series, but that these taste and technology shocks are themselves simply inferred from the fluctuations in the times-series data, so that the entire structure of modern macroeconometrics is little more than an elaborate and sophisticated exercise in question-begging.

(拙訳)

ローマーの言説で最も功を奏した戦略は、現代DSGEモデルのRBCの中核においては、経済時系列データの変動を説明するために観測できない嗜好ならびに技術のショックを仮定したが、そうした嗜好と技術のショックは時系列データの変動から推定されたに過ぎず、従って現代マクロ計量経済学の構造全体が論点先取の精緻かつ洗練された事例になっている、という指摘であった。

これを受けてPGLは、新しい古典派の人たちに1980年代初めの負のショックは何だったのかを尋ねたところ、以下の候補が挙がった、というエピソード披露している。

  • 実質ドル相場の増価による純輸出の低下
    • しかしこれはケインズ的な話の一つ。また、国内製品の相対価格が上昇すれば雇用は増加するだろう。
  • レーガン減税
    • これは移転支出の削減によって賄われており、やはりケインズ的な話。貧困層への政府からの補助が減れば、彼らはもっと働くだろう。
  • コンピューターと技術の革命により、オフィスでの勤務時間が短くなった

最後の候補はほとんどギャグになっている、とPGLは評している。その上で、それを超えるギャグがノアピニオン氏とタイラーコーエンブルームバーグでの討論コーエンから出てきた、として以下の発言を引用している。

There are a few reasons, but the internet may be the biggest. It is easier to have fun while unemployed. That's a social problem for some people.

(拙訳)

理由は幾つかあるが、最大の理由はインターネットだろう。失業中に楽しむことが容易になった。一部の人についてこれは社会的問題になっている。

これは、経済がまだ完全雇用に達していないことからインフラ投資を増やすべき、と訴えたノアピニオン氏への応答である。現在の就業率は依然低い水準にあるが、それでも完全雇用に達している、とコーエンは考えているわけだ。それに対しノアピニオン氏が賃金の伸びが弱いことを指摘したところ、コーエンはさらに以下のように応じた。

Maybe employers just aren't that keen to hire those males who prefer to live at home, watch porn and not get married. Is that more of a personal failure on the part of the worker than a market failure?

(拙訳)

雇用側は、自宅住まいでポルノを鑑賞するそうした独身男性たちをあまり雇いたいとは思っていないのかもしれない。これは市場の失敗というより労働者側の個人の失敗なのではないか?

なお、PGLは引用していないが、これに続いて両者の間で以下のようなやり取りが交わされている。

Smith: OK, but however you slice it, when fewer people are willing to work, because they'd rather sit at home and play "Call of Duty," that's a negative labor supply shock. And that should make wages accelerate.

Cowen: Wages won't accelerate if that shock is a negative signal about the quality of part of the labor force.

(拙訳)

ノアピニオン氏
分かった、しかしどのような切り口で考えても、家で「コールオブデューティ」をプレイしたいがために働こうとする人が少なくなるならば、それは負の労働供給ショックである。それによって賃金上昇は加速するはずだ。
コーエン
そのショックが労働力人口側の質に関する負のシグナルならば、賃金上昇は加速しないだろう。

この少し後にノアピニオン氏は、女性の労働参加率が危機前を大きく下回っていることを指摘し、ビデオゲームは男女に等しく影響しているのかも、と述べている*1。それに対しコーエンは、危機前はバブルだったので参照点として適切ではない、と応じている*2

*1:ちなみにそのノアピニオン氏の発言の直前にコーエンは、日本の労働参加率の上昇について、女性に対する偏見が減ったことが主因であるとして称賛し、その幾分かは安倍首相の功績である、と述べている。

*2:OLはインスタグラムのイケメンにハマっている、などとコーエンが言い出さなくて良かった、とPGL揶揄している。

2016-09-25

「すべてのモデルは間違い」の語源

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David Glasnerが、ローマーのマクロ経済学批判をとば口に、以下の論陣を張っている

  • こうした批判に対する現代マクロ経済学側からのお決まりの反論は、すべてのモデルは間違っている、というものである。その中でも自分たちのモデルはミクロ的基礎付けがなされているのでルーカス批判を免れており、そうでない他のモデルはそもそも検討に値しない、と彼らは言う。しかし、ミクロ的基礎付けがなされたモデルも、均衡の下でのみ有効であり、ある均衡状態から別の均衡状態への経済の調整を予測することはできない、という点でルーカス批判を免れてはいない。
  • 理論が重要なほど仮定は非現実的になる、というフリードマン(1953)が引用した手法上の主張も反論に使われる。しかし、フリードマンは「非現実的」という言葉の代わりに「単純」という言葉を使うべきであった。単純化が非現実的となる場合もあるが、必ずそうなるとは限らない。

その上で、「すべてのモデルは間違っている」の語源を探ったところ、ボックスの論文であった*1、として該当部分を引用している。

Since all models are wrong the scientist cannot obtain a “correct” one by excessive elaboration. On the contrary following William of Occam he should seek an economical description of natural phenomena. Just as the ability to devise simple but evocative models is the signature of the great scientist so overelaboration and overparameterization is often the mark of mediocrity.

Since all models are wrong the scientist must be alert to what is importantly wrong. It is inappropriate to be concerned about mice when there are tigers abroad. Pure mathematics is concerned with propositions like “given that A is true, does B necessarily follow?” Since the statement is a conditional one, it has nothing whatsoever to do with the truth of A nor of the consequences B in relation to real life. The pure mathematician, acting in that capacity, need not, and perhaps should not, have any contact with practical matters at all.

In applying mathematics to subjects such as physics or statistics we make tentative assumptions about the real world which we know are false but which we believe may be useful nonetheless. The physicist knows that particles have mass and yet certain results, approximating what really happens, may be derived from the assumption that they do not. Equally, the statistician knows, for example, that in nature there never was a normal distribution, there never was a straight line, yet with normal and linear assumptions, known to be false, he can often derive results which match, to a useful approximation, those found in the real world. It follows that, although rigorous derivation of logical consequences is of great importance to statistics, such derivations are necessarily encapsulated in the knowledge that premise, and hence consequence, do not describe natural truth.

It follows that we cannot know that any statistical technique we develop is useful unless we use it. Major advances in science and in the science of statistics in particular, usually occur, therefore, as the result of the theory-practice iteration.

(拙訳)

すべてのモデルは間違っているため、科学者は過度の精緻化によって「正しい」モデルを得ることはできない。逆に、オッカムのウィリアムに従って自然現象の節約的な描写を目指すべきである。単純だが示唆に富むモデルを構築する能力が偉大な科学者の証であるように、過度の精緻化と過度のパラメータ化は凡庸の印である場合が多い。

すべてのモデルは間違っているため、科学者はどの間違いが重要であるかに気を付ける必要がある。虎がいるときに鼠を気にするのは適切とは言えない。純粋数学は「Aが真だとして、Bは必然的に起きるだろうか?」といった命題を扱う。この記述は条件付き命題なので、Aが真かどうか、および、結果として生じるBと実生活との関連については何も述べていない。純粋数学者は、その範囲内で行動する限り、実際的な事柄には一切触れる必要が無く、また触れるべきではない。

物理学統計学といった分野に数学を応用する際は、現実世界について、真実ではないことは分かっているがそれでも有用と思われる暫定的な仮定を置くことになる。物理学者素粒子が質量を持つことを知っているが、質量を持たないと仮定して導かれた結果で現実に起きることを近似することがある。同様に統計学者は、例えば正規分布も直線も自然には存在しないと知っているが、真ではないと分かっている正規性や線形性の仮定から、現実世界で見い出されることに相当する結果を有用な近似として導き出すことが多い。ということは、論理的帰結の厳密な導出は統計学にとって非常に重要であるものの、そうした導出は、仮定が自然の真実を描写しておらず、従って結果も自然の真実を描写していないような知識に必然的にくるまれているものなのである。

よって、我々が開発するいかなる統計技法も、使用するまで有用かどうか分からない、ということになる。このため、科学、とりわけ統計学における主要な進歩は、理論と実際の行き来の結果として生じるのが普通なのである。

Glasnerは、現代マクロ経済学者は公理的推論や公式の証明や高度な数学技法をこれ見よがしに使用し、それを基に自らを科学者として常に寿いでいるが、ボックスの講義を読んでその内容をきちんと受け止めれば少しは大人しくなるはずだ、と皮肉ってエントリを結んでいる。

2016-09-24

あるマルクス経済学者の技術ショック擁護論

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クリス・ディローが、本ブログ17日エントリで取り上げたローマーのマクロ経済学批判と、21日エントリで取り上げたサイモン・レンールイスのブログエントリについて以下のように書いている

In his attack (pdf) upon macroeconomic theory, Paul Romer is especially critical of the real business cycle view that recessions are caused by negative technology shocks. He calls them “phlogiston shocks” and says:

there is no microeconomic evidence for the negative phlogiston shocks that the model invokes nor any sensible theoretical interpretation of what a negative phlogiston shock would mean.

Simon accuses him of attacking a straw man, saying that “the insistence on productivity shocks as business cycle drivers is pretty dated.” And the standard undergraduate textbook, Carlin and Soskice’s Macroeconomics, says RBC theory “is not the mainstream view.”

(拙訳)

マクロ経済学理論への攻撃でポール・ローマーは、特に景気後退は負の技術ショックによって引き起こされるというリアルビジネスサイクル的見解について批判的である。彼はそれを「フロギストンショック」と呼び、以下のように書いている。

RBCモデルが持ち出す負のフロギストンショックに関するミクロ経済学的な証拠は存在せず、負のフロギストンが何を意味するのかについての理に適った理論的解釈も存在しない。

サイモンは、ローマーの言説を藁人形論法非難し、「景気循環の駆動要因として生産性ショックにこだわっているという論議はかなり時代遅れ」と述べている。そして標準的な学部生向け教科書であるカーリンとソスキスの「マクロ経済学」には、RBC理論は「主流派の見解ではない」と書かれている。

その上で以下のように書いている。

Looking through a macro prism, such scepticism is reasonable. How can people forget how to do things? Yes, there can be intellectual regress (which is what Romer alleges of DSGE models!) but surely not at the frequency of business cycles.

However, if we ditch representative agent thinking and think instead of firms as being inherently heterogenous, the notion of a negative technology shock seems more reasonable.

(拙訳)

マクロ経済学観点からすると、そうした懐疑論は妥当である。人々が物事のやり方を忘れてしまうなどということがどうしてあり得る? 確かに知的退化はあるだろうが(ローマーはまさにDSGEがそうだと告発している!)、それが景気循環の頻度で起きることは間違いなく無いだろう。

だが、もし代表的個人という考え方を捨てて、代わりに企業は本質的に非斉整的なものだという考え方に立てば、負の技術ショックという概念はより合理的なものに見えてくる。


そうした考え方を支える論点として、ディローは以下を挙げている。

  • 大きなマクロ経済的変動は1つか2つの大企業の破綻で生じ得るというXavier Gabaixの指摘
  • 企業が重要なハブとなっており、その企業の問題が供給者や顧客に波及する場合は特にそう。アセモグルが示したように、企業レベルのショックを経済全体に伝達(もしくは緩和)する上でネットワークは極めて重要*1
  • 金融危機における銀行については特にこのことが当てはまるだろう。
  • ただし、企業レベルのショックの重要性を示す事例は2008-09年に限られない。ポール・ゲロスキとポール・グレッグは著書*2で、1989-91年の景気後退では僅か10%の企業が雇用の低下の85%に寄与していた、と推計している。それは技術ショックのせいではないかもしれないが、企業の非斉整性が重要だという証左になっている。

そして、以下のように自分の考えをまとめている。

  • 景気後退がいつでもどこでも技術的現象だと言うつもりはないが、時には技術ショックによって起きるのだとすると、その場合にはマクロ経済政策で防ぐことができないかもしれない。経済学者景気後退を一貫して予測できないのは(そのことを証明するものではないが)そのことと整合的である。
  • 経済学者は、代表的個人や均衡景気循環というお湯を流す際に、技術ショックの可能性という赤ん坊を一緒に流すことの無いよう注意して頂きたい。

コメント欄では、ノキアの興亡とそれがフィンランド経済に与えた影響が技術ショックの例になっている、という指摘がなされている。その伝でいけば、デジタル技術の発展と日本の電機業界の興亡もそうした例になるのかもしれない。

2016-09-23

大手銀行は安全になったのか?

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というサマーズらの論文に、マンキューが、直近のBPEA(Brookings Papers on Economic Activity)の会合で最も興味深い論文だった、としてリンクしている論文原題は「Have big banks gotten safer?」で、著者はNatasha Sarin、Lawrence H. Summers(いずれもハーバード大)。

以下はその要旨。

Since the financial crisis, there have been major changes in the regulation of large financial institutions directed at reducing their risk. Measures of regulatory capital have substantially increased; leverage ratios have been reduced; and stress testing has sought to further assure safety by raising levels of capital and reducing risk taking. Standard financial theories would predict that such changes would lead to substantial declines in financial market measures of risk. For major institutions in the United States and around the world and midsized institutions in the United States, we test this proposition using information on stock price volatility, option-based estimates of future volatility, beta, credit default swaps, earnings-price ratios, and preferred stock yields. To our surprise, we find that financial market information provides little support for the view that major institutions are significantly safer than they were before the crisis and some support for the notion that risks have actually increased. This does not make a case against the regulatory approaches that have been pursued, but does caution against complacency.

We examine a number of possible explanations for our surprising findings. We conclude that financial markets may have underestimated risk prior to the crisis and that there may have been significant distortions in measures of regulatory capital. Yet we believe that the main reason for our findings is that regulatory measures that have increased safety have been offset by a dramatic decline in the franchise value of major financial institutions, caused at least in part by these new regulations. This decline in franchise value makes financial institutions more vulnerable to adverse shocks. We highlight that the ratio of the market value of common equity to assets on both a risk-adjusted and risk-unadjusted basis has declined significantly for most major institutions. Our findings, if validated by others, may have important implications for regulatory policy.

(拙訳)

金融危機以降、大手銀行のリスクを減じる方向で規制の大きな変更があった。規制上の自己資本の尺度は引き上げられ、レバレッジ比率は引き下げられた。また、資本の水準を高めリスクテイクを低めて一層の安全を確保するため、ストレステストが求められた。標準的な金融理論が予測するところによれば、そうした変更は金融市場リスク指標を著しく低下させるはずである。米国ならびに世界の大手金融機関と、米国の中規模の金融機関について我々は、株価ボラティリティオプションに基づく将来のボラティリティの推計値、ベータ、クレジット・デフォルト・スワップ、株価収益率優先株の利回りの情報を用いてこの命題を検証した。驚いたことに、大手金融機関危機前より大いに安全になったという見解への支持は金融市場の情報からはほとんど得られず、リスクがむしろ増加したという見方への支持が得られた。このことはこれまで追求されてきた規制の手法を否定するものではないが、自己満足への警鐘を鳴らすものである。

この驚くべき発見について、可能性のある説明を幾つか調査した。我々は、危機前の金融市場リスク過小評価し、規制資本の尺度に大きな歪みが生じていた可能性がある、と結論付ける。しかし我々の見い出した結果の主要な原因は、安全性を高めた規制手段の効果が、大手金融機関フランチャイズバリューの劇的な低下によって相殺されたことにある、と我々は考える。そうしたフランチャイズバリューの低下は、少なくとも部分的には新たな規制によって引き起こされ、金融機関を負のショックに対してより脆弱にした。我々は、普通株の市場価値の対資産比率が、リスク調整済みとリスク未調整の両方において、大手金融機関で大きく下がったことを強調する。我々の発見は、他の研究者によって裏付けられるならば、規制政策にとって重要な意味を持つであろう。

マンキューがリンクした論文紹介サイトでは以下の表を示している。

大手6行の指標危機前の平均危機後の平均2015年平均
ベータ1.181.591.23
株価ヒストリカルボラティリティ24.7033.0720.67
株価資産倍率0.130.060.10

論文では日本については3メガバンクを対象にしているが、上表と同じ指標を拾ってみると以下のようになる。

大手3行の指標危機前の平均危機後の平均2015年平均
ベータ1.361.311.35
株価ヒストリカルボラティリティ36.6829.9824.70
株価資産倍率0.000.000.00

米国とは対照的に危機後にベータボラティリティも低下している。なお、株価資産倍率はすべて0.00になっているが、例えば三菱UFJの直近データについてyahooファイナンスを見ると総資産は298兆、時価総額は7.7兆、比率=0.026となるので、どのように計算して0.00という数字を導き出したのか少し不思議である(ちなみに論文リスク調整後資産に対する倍率はそれぞれ0.02、0.05、0.05になっている)。