芹川日経論説主幹の「民進は全体、右向け右!」論説は、自民党議員の総立ち拍手を促した安倍首相の所信表明演説に通じるものがある、日本の秋の空にもそろそろ全体主義の気配が色濃くなり始めた、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その17)

芹川日経論説主幹の「民進は全体、右向け右!」の論説を読んで、まず私が最初に感じたことは「全体主義」(軍国主義)のきな臭い匂いだった。私のような戦前生まれの者には、毎朝校庭で「右向け右!」と号令を掛けられ、整列させられた記憶がいまだ鮮明に残っている。それは寒風の吹く真冬でも太陽が真上から照り付ける真夏でも変わらない。国旗掲揚と皇居遥拝が終わるまで微動だにすることが許されないのである。少しでも動けば、容赦のないビンタが飛んでくる。辛い毎朝だった。

だから、戦後70年も経ったいま、「右向け右!」といった全体主義軍国主義丸出しのスローガンを聞くことなど思いもよらなかった。それもタイミングが良すぎる。今国会の冒頭、9月26日の衆院所信表明演説で安倍首相が自衛隊や警察などを称賛して自民議員らに総立ち拍手を促し、それに呼応して自民議員らが一斉に起立・拍手したのである。関係者によると、演説前の26日午前、萩生田官房副長官が自民の竹下国会対策委員長ら幹部に「(海上保安庁などのくだりで)演説をもり立ててほしい」と依頼したのだという(朝日新聞2016年9月28日)。

私もテレビニュースで見たが、安倍首相自らも壇上で拍手していたところをみると、極右タカ派として名高い側近の荻生田官房副長官に安倍首相が指示し、事前に根回しして本会議議場で総立ち拍手を演出したと言われても仕方がない。額に汗して働いている国民の姿などは毛頭念頭になく、上からの命令で動く実力組織の自衛隊や警察などをことさらに称賛する――、安倍首相の極右タカ派的体質が赤裸々に露出した瞬間だった。

こんな光景が鮮明に刻まれていたのだろう。それから1週間余りが経過した10月3日、芹川日経論説主幹の「民進、右向け右!」の論説が掲載された。芹川氏は恐らく戦後生まれで戦後の民主教育を受けた世代だと思うのだが、私は戦後世代のジャーナリストからこんな言葉が平気で出てくることに戦慄を覚える。本人は大新聞の論説トップとして、「民進党に活を入れた」と悦に入っているのだろうが、こんな文句が新聞紙上に溢れるようなことになったら日本はもうお終いだ。また、そんなことを十分承知して表題をつけたのだとしたら、日経新聞そのものが国民全体に「右向け右!」と号令をかける右翼メディアに成り下がったことを意味する。これは容易ならぬ事態というべきだろう。

本論に戻って芹川氏の論旨を検討しよう。氏は、自民の支持率が上昇すると支持政党なし(無党派)が減少し、逆に自民支持が低下すると無党派が増加するという負の相関(逆相関)があるというデータから、「民進が支持を回復するには、無党派に流れては自民支持に戻りまた無党派へとスイングする層を引きつけるしかない」、「民進は、左の民共連携ではなく、右に動いて弱い自民支持であるリベラル保守を取りにいくのが正攻法」と分析し、「民進の進むべき道は『リベラル保守』路線であり、民共は戦術論としては正しかったが、民進の中期戦略としては失敗だ。それは社会党への道である」と結論する。そして「民進党が昔の社会党のように拒否政党の道を歩もうとするのなら別だが、もし信頼を回復してふたたび政権を担いたいというのであればどうするか。それには全体、右向け右である」と提起(指示)するのである。

おそらく、芹川氏の思想的基盤は「リベラル保守」なのだろう。日本の保守主義の本流は「親英米軽武装・経済国家の思想」であり、それを担ってきた宏池会などの政治潮流が現在の自民には「すっぽり抜け落ちている」と慨嘆しているからだ。そして、氏が「リベラル保守」政治家として名をあげた谷垣前幹事長が、安倍首相の「プードル」としてしか存在を許されなかったような事態に失望しているのであろう。そこで民進党をかっての宏池会に代わる自民党内の1派閥に育て上げ、安倍政権に取って代わる「リベラル保守」の担い手にしたいという「第2自民党への道」の発想が生まれたのであろう。

だが、芹川氏が持ち出した社会党が「拒否政党」であったがために消滅したという主張は歴史的事実に反する。社会党は1994年6月に「自社さ」連立政権に参画し、社会党委員長の村山氏が首相に就任し、元委員長の土井氏が衆院議長に就任して政府と議会の両トップを占めた。両氏はこの時、それまでの社会党の党是であった自衛隊違憲の旗を投げ捨てて政権に就いたのであるが(私は社会党が首相と衆院議長のポストで自民に買収されたと思っている)、それゆえに国民の信頼を失い解体・消滅するに至ったのである。

 芹川氏の論旨は、民進党が「リベラル保守=第2自民党」になることで自民の右傾化に歯止めをかけることができるという情勢分析に基づいているように思う。だがこの情勢分析は「大甘」というしかなく、現在の安倍政権の本質を見誤っている。極右タカ派の安倍政権は「リベラル保守」路線(だけ)では対抗できない。「リベラル保守」路線がカウンターパワーとしての政治力を持つのは、革新勢力と連携する場合の時だけだ。まして民進党内には半数にも及ぶ改憲勢力を抱えているのである。氏の論旨は、安倍政権の本質を見ることなく、また民進党の現実を見ることなく「紙上の空論」として展開されているだけである。

 だが、「紙上の空論」が現実の世論に転化してくるとも限らない。大げさと言えば大げさだが、私は芹川氏の論説を読んで、ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動の指導者、マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩を思い出した。
 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」

 「右向け右!」」の論説が蟻の一穴になって、日本の秋の空に旭日旗がひるがえることのないように私は祈っている。(つづく)