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hiroyukikojimaの日記

2012-02-06

世田谷市民大学でゼミをやりますの告知

11:43

昨夜は、埼玉スーパーアリーナで、アヴリルラビーたんのライブを観てきた。

遂に!初めて、アヴリルを肉眼で見ることができた。昨年のライブは、アーティスト側の都合で中止となってしまい、その代替ライブが昨日のものだった。待ちに待ったライブであった。チケットは、中止になったライブの席のものがそのまま有効だったのだが、ミスで2重発券が生じたとかで、ぼくら家族の席にはすでに誰かが腰かけており、我々は係員に連行されて、説明と謝罪を受け、もうちょっと前のとても見やすい席を用意してもらった。その席はステージにかなり近くて、しかも前は通路なので人が立っておらず、とてもラッキーだった。ある意味で、ツイてた。

選曲は、ぼくの願いが神様に(アヴリルさまに)通じたとしか思えないほど、好きな曲が全曲演奏された。(てか、みんなが好きな曲ということに過ぎないが。笑い)。客には若い女の子が多く、みんなが要所要所で、ちゃんとアヴリルの要求にこたえて、熱唱を繰り広げたのはすばらしかった。本当に、若い娘たちのカリスマなんだな、と実感した。(中年のぼくにもカリスマであるぞよ)。「complicated」が演奏されたときは、胸が熱くなって涙が出てきてしまった。この曲で、ぼくはガールズ・ポップに目覚めたといっても過言ではない。おおげさにいうと、この曲が、世界のガールズ・ポップシーンに、新時代を切り開いたものなのだ。アヴリルというと、ノリノリの跳ねる曲、というイメージがあるかもしれないが、彼女の本領は、バラードとカントリーテイストの曲にあると思っている。その本領を完全に発揮したライブだった。

考えてみると、ぼくは、ここ2年ほど、女性アーティストのライブしか観ていない気がする。覚えている範囲でいうと、「パラモア」→「YUI」→「テイラー・スィフト」→「相対性理論(薬師丸えつこ)」→「上原ひろみ」→「YUI」→「アヴリルラビーン」という具合。う〜ん、若いときから患っていたある種の「病」が五十を過ぎて重症化した気配が。。。

 さて、今日の本題はアヴリルではない。「市民講座の講師をやりますよ」という告知である。

場所は、世田谷市民大学(世田谷区 世田谷市民大学(2012年度)参照)というところ。4月から2年間にわたって、経済学ゼミの講師をすることとなった。以下のような内容だ。

「国際経済の行方」

講師:小島 寛之(帝京大学教授)

 今、世界経済は、国際的な問題をさまざま抱えています。EU諸国はギリシャ国債の債務不履行の可能性に揺れ、金融が不安定化しています。中国では不動産バブルがいつ破裂してもおかしくないといわれています。また、我が国も現在、止まらない円高に苦しみ、TPP参加に関して利害の対立が激化してきています。このような状況を踏まえ、経済ゼミでは、国家間の貿易や為替の問題に関して、経済学を道具に議論していきたいと思います。(世田谷区 【1年次ゼミナール:経済コース】(2012年度)

ちなみに世田谷市民大学ゼミというのは、毎週2時間ずつ行われ、書籍を輪読しながら議論を重ねる、というもの。大学のゼミとほぼ同じ感じとイメージしてもらっていいが、もちちん、一般市民向けであるから、大学のような「教育」というスタンスは薄く、むしろ、「講師と学生とが対等な立場で自由に議論をする」という色彩が強い。2年目には、全員強制というわけではないが、何かレポートを書いていただくことを目標とする。(ちなみに、対象者は、原則として18歳以上の世田谷区内在住・在勤・在学の方)。

まあ、平日、金曜の1時半から3時半ということがあって、職業を持っているかたや学生さんが受講することは不可能に思う。実際、世田谷市民大学のほとんどの学生はすでにリタイアされているシニア世代のかたである。それでも、金曜の午後なら2年間通えるかも、という方はふるってご参加ください。

 実は、ぼくは、大学では「国際経済学」を講義したことはなく、この題材を扱うのは初めてのことである。もちろん、昔から興味はあった。だから、大学院のときは、伊藤元重先生の国際経済学の講義に参加し、植田和男先生の国際金融の講義にも出席した。ぼくは、経済学の道に入ったときの二大興味は、「景気変動」と「国際問題」であった。「どうして景気がよくなったり悪くなったりするのか」と並んで、「なんで、世界では、いろんな国が経済的な衝突を起こすのか」ということを知りたかった。結局、経済学での専門は、ミクロ理論となってしまったが、当初の問題意識はいまだに持ち続けているし、自分の研究している理論を国際経済に応用したい、という意気も強い。なので、この市民大学でのゼミは、その発端と自分の中に位置づけているのである。

そんなわけで、年末から今まで、国際経済学の教科書・専門書で、市民が読むにふさわしいものはどれか、といろいろ探してみた。(それこそ、アダム・スミス国富論』やリカード経済学および課税の原理』まで。笑い)

最初に使おうと思ったのは、もちろん、クルーグマン・オブズフェルド『国際経済学』ピアソンである。

クルーグマンの書く本は、「面白い」「わかりやすい」の両面を持っており、本当にすばらしい本書きだと思う。ぼくは、経済学の啓蒙書を書くときの目標は、クルーグマンのような書き方をすること。今の段階では、まだほど遠いけど、いつかこういう本が書けたら、と思う。このクルーグマン・オブズフェルド『国際経済学』も、本当にすばらしい本だ。なんといっても、導入からもう、心をわし掴みにされてしまう。とりわけ、冒頭に登場する「貿易における重力モデル」には、わくわくさせられてしまった。それは、次のような法則。

(A国とB国の貿易額)=(定数)×(A国のGDP)×(B国のGDP)÷(A国とB国の距離)

これは、ある程度、データから裏付けられており、理論的にも説明できる、とのこと。確かに、ニュートン万有引力の法則の式に似ている。この興味深い法則でのツカミのあと、有名なリカード・モデルとヘクシャー=オリーン・モデルに進む。これら国際経済学の2大基本モデルの説明も、あまりに直感的に理解させてもらえるようになっており、しかも、わくわくどきどきで読めるようになっていてすばらしい。そればかりでなく、例示やコラムに導入される実証データも「ほおぉぉ〜」とうならされるものが多い。

でも、市民大学では、クルーグマンの教科書を最初に使うのは断念した。やはり、初学者が読むには少し敷居が高いと思う。また、アメリカ人の視点で書かれているので、日本人の市民が読むと、ちょっとズレた感覚を持つように思う。そこで、次に手にしたのは、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済有斐閣アルマだ。

はじめて学ぶ国際経済 (有斐閣アルマ)

はじめて学ぶ国際経済 (有斐閣アルマ)

これも、実にすばらしい書きっぷりの本だった。リカード・モデルも、ヘクシャー=オリーン・モデルも、説明がぎりぎり平易におさめられており、「一般性を感じさせようとするがための深追い」がないのが良い。(クルーグマンにはそれが見られる。もちろん、ある意味では、それが優れた点だといえるのだが)。それよりなにより、この本がありがたいのは、国際金融の考え方(要するに、為替レートの決まり方)のことが収められていることだ。クルーグマンでは、国際金融のことは下巻1冊になっているので、たどりつくまでが大変である。多くの市民は、(円高を中心とした)為替のことに興味を持っているだろうから、なるべく早い段階で金融の話題にも触れたい。そういう目的にぴったりの教科書だといっていい。だから、たぶん、市民大学ゼミの最初の本は、この、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済有斐閣アルマになると思う。

この本がよかったので、その勢いに任せて読んだのが、同じ著者の浦田秀次郎『国際経済学入門』日経文庫である。

これは、前述の本をちょっと詳しくしたような内容であり、意欲がある人ならこっちのほうがよいと思う。リカード・モデルとヘクシャー=オリーン・モデルをかなりきちんと解説した上で、もっと現代的な理論としてプロダクト・サイクル・モデルやリンダー・モデルなどを解説している。かといって、数式は出てこないし、直感的に説明できるぎりぎりのところを狙っていてすばらしい。ただし、為替の話が入ってないので、それは別口で勉強しなければならないだろう。

そんなわけで、ゼミでは、、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済有斐閣アルマで基礎的知識をつけたあとに、時事ネタ通貨に関する問題)的な本に進む予定だ。思案しているのは、国際経済学の教科書を読むと、どうやったって、「自由貿易がよい」という結論になりがちなこと。そうなると、今問題になっている「TPPへの参加の是非」が、なぜこんなに議論沸騰になっているのかがわからなくなる。実際、TPPに関しては、否定的な意見の本がベストセラーになっていて、「推進派」の本は皆無に近い。どうして、理論と現実の議論がこうねじれているのか。このことに接近するうまい方法を模索するのが今後のぼくの課題である。

 世田谷市民大学ゼミ講師を務めるのは、今回で二度目。一度目は、2009年2010年に「不況の経済学」というお題で担当した。世田谷市民大学ゼミ講師を務めるのは、ぼくにはこの上ない喜びである。なぜなら、こここそが、ぼくの人生を変えた、ある意味でぼくの「最終学歴」だからだ。

ぼくは、数学者の道を閉ざされたあと、塾の先生をしながら絶望的な暗闇の中にいた。そんな30歳の頃、ふとしたきっかけで、世田谷市民大学経済ゼミに参加したのである。塾の先生は、昼間は講義がないので、比較的時間に融通がきいたから参加できた。そこで、宇沢弘文先生と間宮陽介先生の教えを受け、人生観が覆った。経済学に興味を持ち、もっと深く知りたいと思った。それがぼくの経済学との出会いだったのだ。だから、世田谷市民大学の講師をする、というのは、ぼくにとって、「故郷に錦を飾る」ことに近い。そういう意味で、このゼミは、ぼくの人生にとってかけがいのない大切なものなのである。

2012-01-27

週刊『エコノミスト』の数学特集

11:16

今、たぶん店頭にある週刊『エコノミスト』誌(1/31特大号)が、「ビジネスに役立つ数学」という特集を組んでいて、ぼくもそれに参加している。インタビューに答えているのと、問題を3題出題し、解答と解説も担当している。是非、手に取っていただければ、幸いである。

エコノミスト 2012年 1/31号 [雑誌]

エコノミスト 2012年 1/31号 [雑誌]

数学啓蒙書が、ここ数年、好調な販売部数を維持しているらしく、あちこちのビジネス誌で数学特集を組んでいる。ぼくも何度か、インタビューを受けた。ぼくの推測では、数学本ブームには複数のタイプが混合しているようだ。

第一は、「リベンジ・タイプ」。世の中には、数学に傷ついたことがある人が多い。つまり、学生時代にうまくいかなかった(やられた)経験があって、コンプレックスを抱えている人たちである。ところが、大人になって分別がついてみると、「そんなに難しかったのかなあ」というような感慨が浮かんでくる。そこで、もう一度チャレンジしてみたくなる。そういう人が手に取るのが、いわゆる「やりなおし本」というタイプの数学本で、要するに中学数学や高校数学を勉強し直すものだ。編集者の話では、このタイプがばかにならないほど売れている、ということだ。

第二は、昔ながらの「マニア・タイプ」。数学には、いつの時代も、ファンという人たちが一定量存在している。隅々まできちんと理解できているわけではないが、憧れと好奇心をもっている人たちだ。将棋囲碁のファン(自分では指したり打ったりしないが観戦するのが好き)と同じようなものと考えればいい。かくいうぼくも、中学生のときから今にいたるまで、このタイプに属している。この手のマニア・ファンが興味を持つのは、最先端の数学。とりわけ、未解決問題である。だから、フェルマー予想やポアンカレ予想が解決したときは、その解決本が飛ぶように売れたりした。今、最もホットなのは、リーマン予想であろう。(ちなみに、この予想については、ぼくと黒川先生の共著リーマン予想は解決するのか』青土社という名著、笑い、があるのでぜひともどうぞ)。こういう人たちが、まさに、数学啓蒙書の市場を支えている、といえる。

第三は、たぶん新種といっていいと思うけど、「ビジネス活用・タイプ」。日本社会が、不況に陥ってから、「数学力はビジネスに役立つのではないか」という考えに注目が集まり始めた。その理由は、ざっくりいえば、数学の持つ厳密な論理性とか図式思考とかが、どこかビジネスに関連を持つような気分があるから、というのもあるし、また、ITにおけるプログラミングや高度化した金融商品などが、まさに高等数学を用いていることもあるだろう。そういう観点で、ビジネスパーソンから数学への熱い視線が起きているのだと思う。今回の特集は、このタイプの話題を提供しているといっていい。特集でも紹介していただいているが、拙著『景気を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫の一部が、こういうビジネス活用タイプの数学を扱っている。

景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

 タイプはさまざまなれど、ぼくは数学がブームになることは大歓迎である。もちろん、数学本を書くのを生業としているから、というのが大きな理由ではあるが、一数学ファンとして、多くの人と数学文化を共有することが楽しいからに他ならない。

 さて、今回の特集では、ぼくは3題の問題を紹介したのだけれど、その中の1題だけ、ここに引用しよう。

(問題) X社には10人の役員がいて、偉い順に、ナンバー1、ナンバー2、…、ナンバー10となっている。今、ナンバー2だけがナンバー1を会社から追い出すすべを持っていると仮定する。追い出した場合、順位が繰り上がり、ナンバー2がナンバー1に、ナンバー3がナンバー2に、…という具合に昇格する。こうなったときも、新しいナンバー2は新しいナンバー1を追い出すすべを持つ。以下ずっと、同じ構造が続くものとする。このとき、ナンバー2になったものは、あとで自分が追い出されるくらいならナンバー1を追い出さずにナンバー2に収まったほうがいいし、そうでないなら追い出したほうがいい。この設定では、役員が10人の場合、最初のナンバー2はナンバー1を追い出すべきだろうか。ただし、10人は、全員がみごとに高い知性と推論能力を備えていると仮定する。

まあ、考えようによってはシリアスな内容だが、こんなに単純でないにせよ、会社や政治など、人間の集団にはこれと似たような環境がありがちなのではないだろうか。じっくり考えてみれば解くのはそんなに難しくないと思うので、ここではあえて解答は提示しない。(数学でよく使う、とある解法を使う)。どうしても解けなくて解答を知りたい、という人は、ぜひ『エコノミスト』誌で解答を読んで欲しい。

この問題の出典だが、もともとは塾の主任をしていたときに中学生用の試験問題に使ったものである。その後、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書にも収録してある(なので、そっちで答を読んでいただいてもオッケー)。しかし、そもそもこの問題は、東大の経済学部大学院ミクロ経済学の講義にて(簡単な)演習問題として出題されたものだそうで、当時の院生から教えてもらった。だから、そういう意味では、ミクロ経済学の(というか、ゲーム理論の)問題だといっても良いものである。この問題は、とても使い勝手がいいので、あちこちで活用させていただいている。(ごっつあんです)。

リーマン予想は解決するのか?_絶対数学の戦略

リーマン予想は解決するのか?_絶対数学の戦略

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

2012-01-19

YUIの武道館ライブに2日とも行ってきた

00:10

いやあ、YUI2011−2012 Cruising〜 How Crazy Your Love 武道館ライブに、昨日今日と二日間行ってきた。YUIの昨年のライブは、あれこれがんばって、ある方法でゲットしてアリーナ中央の10列目で観るというアリエナイ経験をしたが、(詳しくは、遂に、YUIのライブに行ってきた。 - hiroyukikojimaの日記参照)、今年は、つれあいと友人に手伝ってもらって、抽選に挑戦して、なんとか二日とも手に入れることに成功した。両方ともスタンド2階席だったけど、二日目の今日は、ステージの真正面どんぴしゃだったので、ずっと双眼鏡でYUIさまのご尊顔を鑑賞し続けることができた。もちろん、彼女は美人なのだけど、ぼくにはそれよりも、彼女が歌うときに幼い少女のような泣き顔になるのがたまらなく好きなのだ。(こういうと変態扱いされそうではあるが)。

 今回のツアーは、豪華客船でクルージングしている観客にバンドが演奏を聴かせる、というコンセプト。豪華客船といえば、シチュエーション的にあまりにタイムリーなので、そこはかとなくおかしかった。しかも、船長(ライブの案内役)は、ルー大柴だし。そして、YUIのライブは、彼女にMCをさせる工夫がいろいろなされているのだけど、(何か演出がないとうまくMCできないのかもしれない)、今回は、近くの漁船から無線が入り、その相手とだべる、という趣向になっていた。昨日は、オリラジ藤森で、今日は、はんにゃの二人。やはり、プロの芸人だと、YUIの口下手をうまくカヴァーして、彼女の魅力を引き出すことができる。さすがだと思った。

 今回の選曲と曲順は、考えられる限りにおいて、最高のものだったと思えた。アルバム「How Crazy Your Love」の曲はほとんど演奏し、(「Rain」は前回のツアーでやったから、あえてはずしたのだろう)、昔の名曲「LIFE」や「Good-bye days」や「CHE.R.RY」なども惜しげもなく披露してくれたのでファンにはこたえられない。ただ、全体として感じたのは、今回のライブは、根本的に、以前と異なる面持がある、と いうことだった。うまく言えないのだけれど、YUIの前回までのライブの歌い方は、「自分のために歌う」という感じがしてならなかった。もちろん、いうまでもなく、観客を楽しませるために歌ってはいるのだけど、それは前提としても、彼女は「自分に向けて歌っている」ように思えたのだ。彼女は、歌うことで、自己存在証明をしている。生命を刻んでいる。そんな気がしてならなかった。彼女が挑み、そして乗り越えたいのは、自分の中に抱えたナニカであるように思える。それは、ある種の上昇志向であり、「てっぺんを取る」ということなんじゃないか、と思う。そして、それが、その全身全霊さが、観客の心を打つのではないか、と。

でも、今回のライブは、そういった歌い方とは根本的に違っている気がしたのだ。つまり、今回の彼女は、生まれて初めて「人のために歌っている」のではないか、と。どうしてかは、いうまでもない。震災にショックを受け、心を痛めたからだろう。多くのアーティストがそうであるように、YUIもまた、震災を目撃して、人生感、音楽感が根本から覆ったのだと思う。最新のシングル曲「Green a.live」の歌詞に、このことが端的に表れている。だって、「正義って何だろう?」「憎しみは何処へゆくの?」「神様は誰の味方をするのだろう?」だからね。今回のライブで感じさせられる、慈しみや思慕の情感は、やはり、YUIの変化の結実だと思われる。

 ただ、「How Crazy Your Love」の中に、「YOU」という曲があって、これは特別な曲だと思う。シングルではB-sideだったのだけど、(ほんとはダブルA-sideだった可能性もあるが、とりあえずB-sideということにして)、アルバムに収録されたうえ、さらには非常に重要な位置に置かれた曲になっている。ライブでもアンコールでバンドとして演奏する最後の曲に設定されていたから、やはりこの曲は、YUIにとって特別な曲なのだろう。この曲は、歌詞を表面的になぞると単なる失恋の歌に聞こえるかもしれないが、ぼくはそうじゃないと思っている。失恋のことを歌っているのだとすると、つじつまのあわないところが数か所ある。(いや、歌なんだから、つじつまがあわなくたっていいんだけど、そこはそれとして)。「彼女を選ばなかった」のは、そこらのカレシなんかではなく、「音楽の神様」なのではないかと思えるのだ。そして、「YOU」というのは、彼女が嫉妬を抱く誰か、あるいは「てっぺん」そのものだ。音楽の神様は、YUIではない、誰かを選んだ。ぼくには、そういう失意と嫉妬と、そして、再挑戦の志を歌った曲に聞こえるのだ。だから、この曲だけは、今回のライブの(慈しみという)コンセプトとは異なる曲なのだと思う。

今日のライブでは、終わりのほうで、「泣きそうです」と言ったので、ちょっと心配していたが、やはり、彼女は最後の最後に感情を抑えられなくなってしまった。その「YOU」という曲で、歌詞が一か所飛んでしまった。単なるミスかと思ったけど、そうではなかった。なぜなら、そのあとにメンバーなしで、アコギ一本で歌った「It's happy line」と「TOKYO」では、完全に、泣きながら歌っていたから。東京武道館公演2daysが終わりに近づいて感極まってしまったのかもしれないし、観客の声援にぐっときてしまったのかもしれないし、あるいは、前述したようなナニカが心に去来したのかもしれない。本当に、YUIは、歌詞を間違えないし、トーンコントロールも完璧なだけに、こんなふうに歌を途切らせてしまうのは、よほどのことだろうなと思った。もちろん、ぼくも一緒に感極まってしまった。観客全員が涙を流したと思う。こういうのが、アーティストとの人間的なふれあいができるライブ、というものだ。YUIのライブは、単なる音楽ショーではなく、大げさにいうなら、彼女の人生と触れること、彼女の人生に関わることなんだと思う。それが、彼女の音楽の魅力であり、彼女自身の魅力であるのだ。ありがとう、YUI

HOW CRAZY YOUR LOVE(初回生産限定盤)(DVD付)

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2011-12-18

啓蒙書の新しい書き方、あり方。

21:27

ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記の付記や、完全性定理って、素人には、そんなにむずかしいわね、確かに。 - hiroyukikojimaの日記でリンクを貼った(2011-12-14 - /dev/wd0a)の主が、(あの有名な)鴨浩靖さんだと今頃、気づいた。確かに書評のリンク先が、鴨さんのページだったので、若干頭をよぎったのだけど、まさか国立大学の偉い専門家さんが、自分の専門分野の内容について、非専門家に向かって、「こんなこともわからんのか」などというはずがない、という思い込みがあって、「単なる他人のページへのリンク」だと思っていた。その思い込みのせいで、なぜかプロフィールを読まなかった。これはぼくの単純な過失だ。すんません。上から目線なのは当たり前だね、だって「上」の人なんだから。笑い。「専門家っぽい人」だとか「専門家ぶりたい人」だとか、大変失礼な言葉を書いてしまって申し訳ない。

「完全性定理って、その主張を理解することすら困難な難しい定理ですか? 数学啓蒙書で実績のある二人が、そろってまったく同じ間違いを犯すほど,難しい定理なんですか?」などという(ネット厨のような、笑い)言い方ではなく、もっと大学の先生としての落ち着いた表現であれば、ぼくもカッとはこなかったと思うんだけど、よくよく考えてみると、「数学啓蒙書で実績のある二人」というところに重きがあるのかもしれない、と急に思った。つまり、純粋な「驚きの声」なんじゃないか、と。ぼくは、吉永さんのほうは「実績のある啓蒙書書き」だと思ってるけど、自分についての自己イメージはそうではなかった。だから、純粋にアホ呼ばわりされたのだと思って悲しくなったのである。(だって、あのエントリーは自分の主張ではなく、5冊の本の紹介だからね)。もし、この仮説が正しいなら、ぼくはコケにされたのでなく、一定のステイタスがあったということなのかもしれない。(いや、勘違いで、単にばかにされただけなのかもしれんが)。

で、だったら、胸を借りればよかった、と今頃になって思った。(後の祭りだ)。というのも、田崎晴明さんが公開で書いている数学の教科書 Math book が、鴨さんなどたくさんの人の手を借りて、どんどん良いものに進化してってるからだ。実際、今日読んでみたら、論理のところとか、すごく為になるような解説になってた。これからの啓蒙書の書き方の、一つの方向性をこれが示しているんじゃないか、と考え始めてる。ゲーデル理論の啓蒙書で鴨さんが褒めている結城さんの本(『数学ガール/ゲーデル不完全性定理』)も、こういう風に専門家の力を借りて書いたと聞いている。(すんません、まだ読んでないです。基本的に同業者の本は影響されるとやなのでなるべく読まないようにしてるので・・・笑い)。鴨さんが、書評(数理論理学)で、吉永さんの本を批判しながらも、「執筆時に、専門家の助力がまったく得られなかったのだろう。今からでも協力してくれる専門家をみつけて、全面的に改稿することを、版元と著者にお勧めしたい。」と書いていて、これも冷静に読めば、さっき書いた「啓蒙書のこれからの方向性」を示唆するもののように思う。とりわけ、ネットという強力なツールが完成した今、啓蒙書にも書き方の革命がもたらされていいはずだ。

実際、ぼくが最近、数学基礎論とかゲーデルの定理のことをこのブログに書いているのは、来年に執筆する予定の新書が、テーマは経済学(というかゲーム理論)だけど、それに数学基礎論的な(ゲーデル的な)ことがかかわるので、頭を整理する意味がある。頭の中ではうまくいってても、実際に書いてみると細かいことでうまくいかない、ということはままあることで、だから一回ブログに書いてみることは良いウォーミングアップになるからだ。

その一環として、ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記 を書いたわけだけど、書いているうちに最初は考えてもいなかった「命題論理の完全性定理によれば、命題論理では不完全な体系は作れないよね」ということを急に思いついて書いてしまった。鴨さんの指摘(公理はなんですか?)によって、「すべての素論理式について、そいつかその否定かが公理にあれば、どの命題も、そいつかその否定は証明できる」とちゃんと書くべくだったことに気づいた。これは、やはり、ネットの効能だと思う。これを「命題論理の完全性定理」と呼んではいけないかもしれないし、「解釈」がおかしいのかもしれないし、不完全性定理と対比することに無理があるのかもしらん。鴨さんが2011-12-17 - /dev/wd0aで書いている「PAと命題論理でパラレルに展開できるものであって、PAと命題論理の違いをことさらに際立たせるものではない」ということが、ぼくの「命題論理の体系に素論理式またはその否定が公理にあったら、どうやったって不完全にはならないよね」ということとどう関与するのか、(素人の)ぼくにはよく理解できなかった。単なる「解釈の問題」という印象を持った。(12月19日に追加:よく読んでみると、なんとなくおっしゃってることの意味がわかってきた。命題論理の体系に素論理式またはその否定を公理として加える、ということは、PAにだって対応する操作を行うことが可能で、そうすれば完全な理論になるのは同じ。だから、ぼくの主張した「不完全性定理は述語論理だから可能」ということは全く的を射てない、ということかしら。だとすれば、なるほどだ。さすが専門家。勉強になった!やはり、専門書に書いていることを逸脱して、余計なことをいうべきじゃないかもなあ。鴨さん、ありがとうございました。すべてのお返事は、この中にあったのですね。)

まあ、それはそれとして、今回のやりとりで、急に新しい啓蒙書書きのスタイルを閃いたので、それは怪我の功名だと思う。実際、ぼくの本でも、専門家の助けを借りた本(『ゼロから学ぶ線形代数講談社とか『完全独習 統計学入門』ダイヤモンド社とか)はアマゾンのレビューとかネット上のレビューとかでとても評判がよい。他方、名前はあげないけど(笑い)、ぼく一人で書いたある本は、いろいろと難癖をつけられている。これまでは、専門家の力を借りるには、友人のつてしかなかったけど、ネットを利用すると、その問題は解消されるようにも思える。ただ、版元との関係が難しいかもしれない。企業秘密というのはあると思うので。剽窃にも気を付けなればならないだろう。そこをなんとか突破すれば、新しい啓蒙書の時代が到来するのかもしれない。

そんなわけで、完全性定理って、素人には、そんなにむずかしいわね、確かに。 - hiroyukikojimaの日記の付記は消す。(時間の無駄、というようなことを書いてしまったので)。でも、ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記の付記のほうは、失礼な表現を若干訂正するけど、基本的には全文を残す。なぜなら、そこに書いた数学ライターとしての想いは変わらないし、鴨さんが、血眼になって、啓蒙書の間違いを探して「間違い本狩り」をしようとしているスタンスには全く共感できないので。(ご自分で、めっちゃいい一般向け啓蒙書を書いて出版するほうがずっと建設的だと思う)。

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理

ゼロから学ぶ線形代数 (ゼロから学ぶシリーズ)

ゼロから学ぶ線形代数 (ゼロから学ぶシリーズ)

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

2011-12-16

完全性定理って、素人には、そんなにむずかしいわね、確かに。

20:56

ぼくの完全性定理の理解がダメだと、(2011-12-14 - /dev/wd0a)でアホ呼ばわりされて、悲しくなったことはゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記の付記に書いたけど、今日のこの人の付記にもまだ「間違っている」と付け足してあるので、仕方ないから、やっぱり定理を正確に引用しようと思う。そのほうが、きちんと理解したい人には有益だろうから。やっぱ、数学にしても、経済にしても、ブログに言葉だけで書こうとすると、専門家にいろいろと細かいことを注意されて、面倒なことになるなあ。う〜ん。

でも、記号の嵐になるし、一般の人にはどうでもいいことだと思うので、一般の読者の(数学記号に慣れてない)かたはスルーしてくだされ。

次の補題は、ゲーデル記念日 - hiroyukikojimaの日記で騒いだ述語論理の完全性定理のひとつながりの証明の一部。

新井敏康『数学基礎論』岩波書店の43ページから引用するけど、ブログに書く都合上、表現や語順などは若干、変更する。

付値νと命題変数p(素論理式のこと)について、p^νを以下のように定義する。

ν(p)=1のとき、p^ν=p。 ν(p)=0のとき、p^ν=¬p。

(¬pはpの否定文)

補題1.5.10 

論理式φは、p_1, p_2, …,p_n以外の命題変数を含まないとして、

ν(φ)=1ならば、p_1^ν,p_2^ν,…,p_n^ν|-φ

ν(φ)=0ならば、p_1^ν,p_2^ν,…,p_n^ν|-¬φ

ここで、記号( T|- A )は、Tという命題の集合から命題Aが証明できることを表す。ν(A)は、Aの付値(真偽)を表す。

この本では、この補題と、「TとAからBが証明でき、Tと¬AからもBが証明できるとき、TだけからBが証明できる」という補題を使って、いわゆる命題論理の完全性定理(φがトートロジーならば、証明体系H_0から証明できる)を導いている。それから、この定理を使って、述語論理の完全性定理を導く手順のことは、ゲーデル記念日 - hiroyukikojimaの日記にあらすじをまとめてある。ぼくの要約が正しいと仮定するなら、(非専門家としての感受性で言えば)痺れるような証明である。

この補題1.5.10からさ、もしも、すべての素論理式p_1, p_2, …,p_nに対して、p_1^ν,p_2^ν,…,p_n^νをそれぞれ公理として導入して、(素論理式って、単なる記号・文字だから、それかその否定を公理にするのは自然なことじゃないかなぁ、とぼくは思ってて、それを書き忘れたのだけどさ、専門家ならそのくらい推論して欲しかったのう)、それを理論Tとすれば、どんな命題φについても、φか¬φかどちらかは、理論Tから(証明体系H_0によって)証明できるんじゃないのかなぁ。なんか言ってること間違ってますか?? 

もしあってるなら、この補題はとてもステキだと思うし、述語論理の完全性定理を証明する手順の鮮やかはすばらしい、と思うんだけど。やっぱり、ぼくはきちんと理解できてないのでしょうかね。