* 定年・夫婦で走った40日
 昨日、アーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容であった。
平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、
今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店
の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。
24台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。
  〜まず、NHKの番組案内より
≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって
 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた
中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。
伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ
と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の
心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫
▼ 47人の平均年齢が67歳というから、私と家内の平均と同じ。
年齢は50〜70歳半ば。 それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を振返り、
語り合う。それまでの、子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、向き合う
ことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。二人参加
の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽?されていたトラブル
が、圧縮された移動空間で、噴火する。 だから、成田離婚の悲喜劇が起こる。 
ツアーで、100回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の10回以上
はいない。多くて7〜8回。 よくぞ24組の参加者で、一組の脱落者が
出なかったことに驚かされた。 夫が『二度、殺したくなった』に、妻が
『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。
ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。
ところで、自宅を売り払って、キャンピングかー暮らしの夫婦がいた。
月30万の生活費になるというが、で、一軒家は? に。 全く、それはない。
「変わるのは庭ぐらいで、あとは同じ」の言葉が良い。
「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。
・・・・・・
4772,ぼんやりの時間 ー5
2014年04月08日(火)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「独」―独りでいること  ーぼんやり道
「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、
死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が
無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。
  ー以下の部分に納得するー
《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行
 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば
「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる
ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、
群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」
が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、
心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという
気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。
「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに
過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか
何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを
分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」
 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」
というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす
ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。
「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」
ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは
かなり重なっている、と私は思う。・・(略)
「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら
飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画
のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、
あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と
ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり
の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。
ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・
 リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、
重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて
重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ
湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家
作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない
ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり
することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。
謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》
▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット
 サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、
完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。
 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、
孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、
急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。
この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が
混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して
楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって
いくこと。とすると!
・・・・・・
4405, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −5
2013年04月08日(月)
    四時限 宇宙人を目指そう  『隠居大学』 天野祐吉
 * 隠居をすると自由になれるー宇宙人を目指そうーお相手 谷川俊太郎
 ここで、「人生はカマボコ形グラフ」とあるが、そうかもしれない。
右下がりは以前、還暦だったのだろうが、今は古希か。体力からみると、
私は古希が目安。リタイアーをした後、スポーツジムに連日通いだしてから
足腰は寧ろ、強くなってきた。知能も、バイアスが取れてきた分、
これも良くなった?ようだ。とに角、面白い。 
≪ 谷川:うん、それもあるし、ぼくは幼児に戻れるというふうに思って
 います。われわれ世代は高度成長の時期と重なっているからか、人生に
ついても右肩上がりのグラフで考えるくせがついていたんですよね。
けれど、やはり母の介護を経て、「老い」ということを身近に考えるよう
になって、鶴見俊輔さんらがいうような「人生はカマボコ形グラフ」なんて
ことが、実感としてすごくよくわかるようになった。ある程度上がったら、
下がっていくのが自然なんですよ。それはさっき言ったように自由になったり、
解放されたりすることも含めて。
 天野:下降ということは、嘆くばかりのことではない。
 谷川:そう、人間の加齢を考えるとき、樹木の年輪にたとえて考えるのが
わかりやすいと思っています。中心に0歳の自分がいて、一歳、五歳……と
だんだん経験とともに年輪が増えていき、いちぽん外側に現在の自分がいる。
だから、どんな年齢の老人のなかにも、0歳や三歳の幼児がいる。
これは心理学でもそういう考えがあると思うんです。そして、働き盛りの
中年期を経ったら、今度は積み重ねてきた年輪が一枚一枚、はがれていく。
つまり年をとればとるほど、中にもともといた自分、幼児の自分に戻れる
のではないかというのが、持論です。
 天野: なるほど。年輪となる厚い木の皮は、たんに経験ではなく、
社会的な制約というようなものでもあるんだ。
 谷川: 中年期のひとだって、本当は幼児の自分を持っているわけです。
そしてその部分は、本当はもっと自由になりたいといつも思っているはず
なんですよ。われわれのように詩を書くような人間は比較的自由に幼児の
部分を出せますが、会社組織のなかにいると、そうもいかないでしょう。
だから会社が終わって飲み屋さんに行って、ママさんに甘えるという
かたちで幼児性を解放しているんじゃないかと、そうにらんでいます。
 天野: なるほど(笑)。つまり幼児化、宇宙人化は、もともとできたこと
が下降したり変質したりするわけではなく、むしろ、 自然な姿に戻って
いるということですね。≫
▼ 「加齢を樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすい」というのが
 言いえて妙。一番外の厚い皮が社会的制約、も面白い。その樹皮を外し
てやるのが御隠居の第一歩。一度外すと「遠き日は 年とるごとに 近くなり」
になっていく。振りかえると、してしまった後悔と、しなかった後悔がある。
後悔あとに立たず、だが・・ 解放され自由になるのは良いが、それを
楽しめないと重荷になってくる。 私の知る限り3分の2。
何故解る?顔に出ているもの。せめて楽しいふりをしたら。
・・・・・
4031,「人生の知恵」ノート ー3
2012年04月08日(日)
 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより � ー
  * 人間的側面見せすぎない
あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、
「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を出せれば尊敬を集めやすい」
という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。
バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。
そのために「余計な関わりは最小に」。
   * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。
溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、
節度が必要。なれなれしくしないことだ。
   * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かさの罰として与えられる。
どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。もっと大きな災いが忍び込んで
くる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に
見ることができ、的確な選択が可能になる。これが知識から知恵への転換に。 
これは独りになりきることで可能になる。
   * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるため
の近道であり、困難からたやすく逃げる道である。「品格は言葉や行動の要。
品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。
 家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブーム
になった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。それが思いもよらず、
殆どクリアーをしていたが、家内は??。自主独立、陰口を控える、趣味を
持つ、信念の確立の有無などで、自己の確立が出来ているかが品性の土台の説。
一般人は表面的にしか捉えない・・ それにしても品性のない人が多い。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の
問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという
問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの
立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、
そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・)
色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた
立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦
関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好
になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン
とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。
ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、
     そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
   2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。
   「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
  3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」
  「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」
▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
 ・・・・・・・
3300, 平山郁夫の教養世界
2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話
などを取上げていた。原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマ
とした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には仏教をテーマ
としたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで
伝えた仏教東漸の道と文化の西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 
彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に教養の深さを
感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、
人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを
表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、
痛感。それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。
その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。この齢になって幅広い
教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入ったため、なお納得。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある
幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて感じとれた。絵の中に彼の
独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現
することが最も重要なこと。 そのために幅広い知性と教養が必要といわれると
納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする
此の頃。良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、
教養のベースができるということか。
 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体の
モデルを肯きながら読んでいて、似ている思考モデルを思い出した。
創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)
・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする
・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐカタ=カ+タで、
型をつくることになる。カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)
にすること。 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを
得たかどうかは分からない。「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、
まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、
へ発展していく考え方である。そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、
「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。
いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』
曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などをメインにしているが、
『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、
各職業の『三位一体モデル』の実例を書き出してみる。その一つだけを、
まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた
「動機」が、これが「神」なんです。書いた人がいて、彼が書いたものがある。
それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。何しろ、初めに「子」
ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の
集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。
それが遊びという世界で万人が解りやすいから、尚のこと心を打つのである。
感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点がチャップリン
の凝縮されたミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は
参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
▼ ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気が
 いるけど、自分を信じて思いきってやってみよう。ひとつ踏み出さなくちゃ、
何にもはじまらない。 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
▼「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たち
 のために行ったことに結びついている。」 解)押し付けにならない程度のこと。
▼ 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
   解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
▼ ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだった
 ということを。解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
▼ 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな
 様子を持つ小さなネズミを思いついた。とにかく精1杯生きているちっちゃな
 やつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続ける
 ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
▼ どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
 ことだけを求めた。特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
  解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリンか? 気の毒じゃないか、
 そういうのは?いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命
 ではないだろうか。

つれづれに

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d他のブログ
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http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=t1IBSblHOy8

 今朝は、久々に早朝のポタリング(自転車散歩)に出る。
少し、霧雨が降りかけていたが、それでも強引に出た。
福島江の桜は、2~3分咲き! 週末あたりが満開だろう。

 二日前に梅の花が咲いたので、帰宅後、庭にまわると、
他の花も、いくつか咲いていた。 庭にも本格的春到来である。



・・・・・・
2196, ファンタジー文学の世界へ -2
2007年04月08日(日)
               オッ(*^○^*)ハ~ヨウ! 
  「 ファンタジー文学の世界へ」 -読書日記
ーP57~58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバムの
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。
イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があった。
一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは
大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆
(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、
そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、
そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
 
 以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
 ーー
    「彼女は家を出て行く」
   (シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

    水曜日の午前5時  夜が白み始める頃
    そっと寝室のドアを閉める
    書き切れない思いの残る手紙を残して
    階段を下りてキッチンへ向う
    手にはハンカチを握りしめながら
    裏口のドアの鍵を静かに回してみる
    外へ出る とうとう自由だ

    彼女は     (あの子のために何でもやってきたのに)
    出て行く    (夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
    家を      (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 
母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる
階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む
お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの
あの子は一体どうしたっていうの

    彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
    出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
    家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も    (さようなら)

    金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
    きちんと約束の時間に待ち合わせ
    自動車の仕事をしている彼氏がやってくる

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)

   ーーー
   解)
   これも、親離れへの情操の心理であり、
   誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
   もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、
   親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
   しかし、親の愛ほど純粋なものはない。
   特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
   親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。
   私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の(特に父親の)深い愛情の
   元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
   しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。
   そういうものと信じて疑わなかった。少子化の時代。
   両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。
   気の毒といえば、気の毒である。
                      ー続く
・・・・・・・・
2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話
     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
 
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。
アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。

先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」を特集していた。
おもしろいブログを紹介する番組。
エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。
いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」
   面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、ナカナカ味がある。

     「しまふく寮日記」
     「クリックブログ」
     「サブ・カルチャーの達人」
     「ガラクタイチ」
     「うちの三姉妹
     「月刊男心」
     「ゆめおう男」
     「私がみた事実」
     「ニコニコルソン」
     「だから東京が好き」
     (ネコライブラリー)
     「東京テッシュ」
     「元プロ野球選手のセカンドキャリア奮闘記」
その中で一番面白かったのが、これである。
このブログの一部をコピーしてみた。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
  --
「夫の不倫観察日記~阿修羅のごとく~」

夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。
この際、もうネタにするしかないか。
夫の浮気の一度や二度や三度・・・ 見て見ぬフリをしてきた。
しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ!!!

夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。
夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。
=これだけで、もう引き込まれてしまう=
          ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ

・・・・・・・・
2005年04月08日(金)
1466, 閑話小題

ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。
領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。
頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、
国外退去が妥当というところであろう。
損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。
「何で?」という疑問が残ったが。

ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。
毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。

ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を
飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。
そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2~3時間は聴いている。
元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。

読書日記で書くつもりだが、
「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような
案内書になっている。何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか
知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。

他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACDスーパーオーディオCD)が5~6年前より市販され、
最近になってドンドンソフトが出されているということも知った。
あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。

本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、サッカーボールのようなものに、
多くのスピーカが何面(8~12面?)も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。

・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
1101, 春がきた

新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。
幼稚園生、小学生、中学生、高校生、
専門学校生、大学生と街に初々しい姿が見え始めた。

そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。
自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」
「春のうららの隅田川・・・」
何か魂の故郷に里帰りをしているような気持ちになってしまう。
近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。

春は皆にとって、心がときめく。
全ての始りのような気持ちにさせてくれる。
新鮮な希望の時なのだ。
長い冬は、春にとっての母でもある。
そこで大きな愛を充分与えられるのだ。
春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。

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2003年04月08日(火)
734, またまたお金の話ー銀座のママの・・

銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな
人生の浮き沈みを見てきているはずである。
軽く読むにはなるほど面白い内容だ。

 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。
バカバカしいと思うのだが、といって数回行った銀座の店の気分の好さは
今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。
なるほどというのが所々納得できる。
 このママの店のホームページをみてキーワードは、「明朗会計」と「銀座としての
安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
   
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 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、
ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」から学んだ成功法則
を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを
語ってくれます。

「ふたご屋」のWebサイトはこちら
http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/

 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。
濃密な時間が流れる街、「銀座」。
巷には、不況や不景気を言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口に
していませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?

能力だけではつかめない「お金と成功」。
では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか?
「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、
ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」

ますい志保
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
はじめに  私が一流の男たちから学んだこと
第1章 「できる男」は人生の答えを知っている
・ ちっぽけなプライドは疫病神
・ ピンチのときほど、「高楊枝」の精神
・ 肯定的な意見こそ疑ってみる
・ 私利私欲はお金を生まない  他…12の法則

第2章 銀座で垣間見た「敗軍の将」たちの失敗学
・ 「プライド」と「見栄」、違いはどこにあるのか
・ 「自分の賞味期限」を知らないと、命取りになる
・ いくら有能でも「三かく印」では誰も相手にしない
・ 事業失敗で陥った大ピンチを一発逆転した男気
他…7つの法則

第3章 異性に好かれるから、お金にも好かれる
・ お金で気持ちを表すときの上手な方法
・ 銀座の女の子に好かれる人、嫌われる人
・ 「できる男」は、女の「ちょっと嬉しい」が演出できる
・ 思わずドキッとさせられた、ある社長の一言
他…6つの法則

第4章 ちょっとした工夫がお客とお金を引き寄せる
・ 手紙もメールもタイミング次第で効果が倍増する
・ 人との縁が深くなる「アルバムの使い方」がある
銀座ママも驚いた!メモ魔社長の手帳の中身
従業員満足度の向上が、「最高の顧客満足」につながる
・ お金よりも人を動かす「大きな声」の魔法の法
 他…11の法則

第5章 もっと金運体質になる「お金の法則」
・ モノに惚れたら、お金は残らない
・ 貯金とは「お金を貯める感覚」を身につけること
・ “大企業体質”だと金運は逃げていく
・ 「試されている」という意識を持つ
他…9つの法則

ーあとがき ー「人材」は「人財」と実感する日々 
「多く傷付いた魂にこそ光を。」人をもてなす。人を惹きつける。
この銀座ママ箴言に耳を傾けてはいかがでしょうか?
「あなただけの使命」を持つことが、成功をたぐり寄せる。
私は彼女のこの言葉に「元気」をもらいました。

ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。
学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、好きのことの追及などなどである。
一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという
「プライドを捨てられるだけのプライドを持て」であった。
自信がなくてはいえない言葉である。
また、仕事で成功している人は全てが好きで仕事をしているか、
仕事を遊んでいる人だという。まあそうだろう。

 典型的な虚飾の世界であることも間違いはない。
銀座などのクラブの世界は、日本にしか存在しないシステムだという。
売春を目的にしたシステムなら幾らでもあるが。
「擬似ー擬餌?恋愛を前提にした場か、権力の誇示の場としての虚飾を時間売りして
いるシステム」は欧米の人がみたら、全く理解しにくいだろう!
まあ面白いものだ。

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銀座ママが明かすーお金に好かれる人
  嫌われる人のちょっとした違い 」
◇著者:ますい志保

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2002年04月08日(月)  370,なりきる

散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、
会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。

散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。
奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。
上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。

考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。
必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。

同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。
花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?
名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。

ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?
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<おわらい>
ー喘息
うちの社長、春になると喘息になる

ゼイゼイ、ぜいぜい、税税と言い出す。